第10話

「話を整理させてください」

 部屋の天井には安っぽい音響機材があり、そこから音声が聞こえてきた。ドアの向こう、璃子の母親の声だった。

「宇都宮先生は、本当に璃子がいじめがられていたのかわからないんですね」

 風華は少し驚いた。

 この期に及んでも宇都宮はいじめの事実を認めていない。いや、もしかしたら本当にいじめなどなかったと思っているのかもしれない。しかしこの状況でいじめが『なかった』と言い張ることもできず、忖度して『わからない』という答え方をしたのかもしれない。

「はい……」

 虚ろな瞳で、宇都宮が小さく返事をする。その声もまた集音器でドアの向こうの夫妻へと伝わっているのだろう。

「可能性があるとしたら、クラスのリーダーの足立花凛が何か知っているかもしれないと言っていましたね」

「……はい」

 足立花凛の名前を聞いて、風華はとっさにそんなはずがないと思った。花凛は風華の醜聞が出回ってもなお、こちらの味方をしてくれた。リーダーだからいじめの主犯だとは限らないではないか。

 きっと何度となく繰り返されているのだろう質問は終わり、風華は防音室から出る。がらんとしたリビングにいる夫妻は宇都宮ほどではないにしろ、擦り切れるように疲れて見えた。

 璃子の母親がぽつりと言った。

「やっぱり足立花凛から話を聞かないと……」

「でも、もうこんなこと、できない」

 弱く、璃子の父親が呟く。成人男性を拉致、監禁し、もう五日。罪の意識もあれば、いつ犯罪が明らかになるかもしれないというプレッシャーもあるのだろう。

「ここまで来て、諦めるの!?」気弱な夫を詰るように璃子の母親は叫ぶ。「ここまで来たら、璃子に何が起きたのか絶対に明らかにする! 刑務所なんていくらでもいてやるわ! 何も知らず家にいる方がよっぽど地獄よ!」

 娘を亡くした母親にとっては、それは正論になりえるのかもしれない。娘を死に追いやった人間がどこかにいる。そしてその人間はこのままでは永遠の野放しだ。足立花凛が犯人、もしくはヒントをくれる存在ならば、この母親はどんな大罪も犯すだろう。

「足立花凛も拉致する」

 悲壮な覚悟をするように母親は鬼の形相でそう言いのけた。

 どうしよう、と風華は逡巡する。今ここで力を使ってこの夫婦を気絶させて、扉を壊す。そうすれば宇都宮は助かるだろうか。しかし出力を間違えれば、夫婦を殺しかねない。

悪霊としての力がどんどん強まっていて、コントロールもほとんどできない。出力をミスし、殺してしまう可能性は高い。宇都宮を助けてやりたいとは思うが、この哀れな夫婦を殺してまでそうしてやれるほど、風華は決断力がなかった。そもそも宇都宮にも思い入れがない。

 風華がためらっている間に、夫妻は話し合いを始め、花凛を拉致する計画を練り始めてしまった。


 ***


 翌朝になるまで、風華は答えを出せずにいた。璃子の両親は話し合いを重ね、早朝に家を出る。彼らの運転する車の後部座席に乗り込み、彼らの様子をうかがう。

 家が留守になっている今、宇都宮を救出することも考えたが、これから花凛が危害を加えられるかもしれないと思うと、黙って夫妻を行かせるわけにもいかなかったのだ。だから仕方なくついていくことを選んだ。

 朝練に向かうためだろう。テニスラケットを自転車に突っ込んでいる足立花凛が高校近くの通学路を通りがかる。他にもちらほらと学生の姿が見える通りだった。

「足立花凛さん!」

 父親は別の通りに止めた車で待機、母親が花凛に声をかけた。花凛は自転車をこぐのをやめ、不審そうな顔をしながら、自転車を引いて璃子の母親の方にとことこと歩いて行った。

「すみません、どなたでしょうか?」

「不躾にすみません。藤沢璃子の母親です」

「ああ、璃子の……」

 花凛もなんとも言葉に出来ないように目を伏せる。

「花凛の部屋から遺書らしきものが見つかってね、花凛さん宛てのものがあったからちょっと見てもらいたいの」

「わかりました」

 璃子の母親は言葉巧みに人通りの少ない車を停めた通りへ花凛を誘導する。言われるがまま、花凛は自転車を引いて後に続き、その通りに入っていしまった。

 それが最後、璃子の父親に口をふさがれ、車の中に押し込められる。結束バンドで両手足を固定され、タオルでさるぐつわをまかれる。もちろん花凛は暴れたが、璃子の母親に何かの薬液を注射されるとたちまち静かになった。殺したとは考えにくいので麻酔などの鎮静剤なのだろう。どうやら璃子の母親は医療従事者らしい。

 車ごと、吹き飛ばしてしまうべきだろうか。

 車の後部座席には寝ている花凛が横たわっている。どうせ透けるから構わないのだけれど、体に触ることはためらわれて、本来足を置く場所に小さく身をかがめて風華は座る。花凛には上から白いシーツがかぶされて、外から見えないようにされている。それでも規則的な寝息が聞こえているので、死んでしまっているなどという心配はいらないだろう。

 風華は宇都宮を助けるため、白瀬と鵜飼から自由時間をもらった。しかし結果として、今も宇都宮は囚われ、そこにさらに花凛が加わろうとしている。こんなことではいけないと思う反面、真相に近づいているのかもしれないという期待もあった。

 宮前風華はなぜ死んだのか。それには藤沢璃子がなぜ死んだのかとも関わっているのかもしれない。その期待があり、風華は思い切った行動に移せず、こうして真相を究明する夫妻の思うがままに事を進行させている。

 夫妻だって、何も、宇都宮や花凛を憎しみのあまりに殺してしまおうと計画しているわけではない。仮に真相を聞き出した後で殺そうというのなら、そのとき悪霊の力を発揮して、彼らを助ければいい。

 真相の究明、その点においては夫妻と風華と目的を同じくしている共犯者でもあった。


 ***


 マンションの駐車場に到着すると、宇都宮夫妻はトランクルームの中からランドリーバスケットらしきものを取り出し、その中にシーツに来るんだ花凛を押し込んだ。ランドリーバスケットをくるむようにまた柄の入った布をかぶせ、父親がそれを押す。

 平日の昼間ということもあり、運が良かったのか、ロビーもエレベーターの中も無人だった。宇都宮を監禁している部屋以外にももう一部屋を契約していたのか、今度は十階で降りる。そのまま最奥の部屋に鍵を開けて中に入り、防音室に花凛を寝かせる。防音室にはやはり集音器が天井に着いており、携帯トイレや食料が備蓄されている。

 母親がリビングでパソコンを立ち上げている間、父親は花凛に足枷をつけるか悩んでいるようだった。足とはいえ、長時間枷をつければ不快感はもちろん、痣になるだろう。璃子と同い年の女の子にそんな非道なことをするのをためらっているのかもしれない。

 そもそも拉致監禁している時点で極悪非道なのは間違いないが、それでも父親はその一線は越えられないらしく、足枷ははめず、部屋の扉を閉めた。

「すぐに警察が来るはず」

 パソコンのキーボードを猛烈な勢いで叩きながら母親が言う。

「監視カメラをよけきれなかったし、このマンションを特定するのも時間の問題だろうな……」

 諦めたように、でもどこか安堵するように父親がそう答えた。

「麻酔はもうすぐ切れる。そうしたら尋問を始めるわ」

 こちらの正当性を主張するかのように、璃子の母親は尋問という言葉を使った。

「起きて!」

 マイクに向かって母親が大きな声を出す。防音室の中の花凛の体がぴくりと動き、彼女はゆっくりと目を開けた。花凛は怯えるような眼をして部屋の隅に隠れた。今すぐにでもこの分厚いドアが開き、金属バッドやナイフを持った巨漢たちが現れるかもしれない。そう考えていても無理はないシチュエーションだった。

「ここ、どこ……」

 震える声で、目に涙を浮かべながら花凛がそう呟く。

「私は璃子の母親。あなたが正直にこちらの質問に答えてくれたら、悪いようにはしないわ」

「出してください! 私は何も知らない!!」

 両手で耳をふさぎ彼女は座ったまま震えている。その態度に鞭を振るうように璃子の母親は容赦をせず質問をぶつけた。

「宇都宮先生を監禁したのは私たちなの。先生はいじめがあったかはわからないと言っていた。それとクラスの中心人物があなただとも言っていたわ。璃子をいじめていた人を知らない?」

「宇都宮先生……。先生は無事なんですか!?」

 先ほどまで自分の身を案じて怯えていた花凛がにわかに勇気を取り戻し、睨みつけるようにドアの向こうを見た。



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