第8話

 白瀬と鵜飼は五人ほどの男子高校生の集団の後ろをついていた。〈魔法〉がいい具合に効いているのか、彼らは鵜飼たちを友人と判断している。男子たちの行く先は、ゲームセンターのホッケー台だった。

「クレープじゃない……」

 背後でぽつりと白瀬が嘆く。

「すみません」

 あまりに落胆ぶりに見ていられなかったのだろう風華が謝る。

「謝る必要なんてありませんよ。勝手にこの人が期待しただけなんだから」

「ホッケーなんて卓球とかと大差ないじゃん! なんで男子っていつの時代もこういう遊戯が好きなわけ!? クレープの方が絶対いい!!」

「騒がないでください、目立つ!!」

 大型犬に振り回される飼い主になった気持ちだ。鵜飼はやれやれと思いながら、一人に声をかける。

「藤沢さんの件、大変ことになってるらしいですよ」

「え。藤沢って、藤沢璃子? うちのクラスの?」

 彼は、うちのクラスだった、という過去形ではなく、うちのクラスの、という現在進行形を使った。だからなんだというわけでもないが、彼の話は聞く価値があるかもしれないと思った。

「いじめなんじゃないかって」

 こんなことは嘘である。警察はあの死を事故死として片付けてしまったし、学校もそれに対して動いている気配はない。けれど、学生たちを揺すぶるにはこうでもしないと方法がなかった。

「なんで今更……」

 男子は苦い顔をする。にこりと笑って白瀬が畳みかける。

「いじめなんてなかったのにね」

 そのときの男子の顔はなんとも表現に困るものだった。頷いた方がいいとわかっているのに、同意できない。心の中の善良な部分が、大きな波にたった一人で抗っているような苦しい表情をしていた。

「……そうだよ。いじめなんてなかった」

 絞り出した声は頼りない。しかし次の言葉はしっかりと鵜飼の耳にも届いた。

「たとえそれがあったとしても、俺たちには関係ないじゃないか」

 ぽろりと転び出たその言葉は生々しく、切り傷のようにひりひりとした痛みをともなって、彼の口から発せられたものだった。

 人は大人になればなるほど、本音と言うのを隠すのを上手くなる。大人と子供の境である高校生ともなれば、軽々しく本音を言うことはかなり難しくなってきているだろう。それでも今、目の前の青年から出た言葉が本音だと、鵜飼は職業柄、見抜くことができた。

「俺たちには受験もあるし、これからがある。なんで死んだ人間に未来を左右されなきゃいけないんだ。死んだってことは逃げたんだろ。俺たちは逃げてない。闘ってる。闘ってる俺らが、なんで死んだ奴に足を引っ張られなきゃいけないんだよ」

 いじめなんて知らないし、どうでもいい。

 彼の言い分は要約するとそんな具合だった。同意するかどうかは人間ではない鵜飼の仕事ではない。そもそも感情的な目で同僚を見ることはあっても、人間を見ることはない。鵜飼にとって人間は研究員が研究上モルモットを扱うのと同じように、仕事上携わる生命体でしかない。

 けれど命があるものだとは思っている。終わりが来る定めのあるものだということを少なくとも知っている。

 だから、その命に対して何も知らない、関係がないと言い切られるのは悲しい考え方のような気がした。悲しくなるのは、自分が、ではなく、この青年が、悲しくなるような気がした。

 ***


 軽自動車に戻り、ミラー越しに背後の風華を見る。彼女は何かに耐えるようにじっと顔を俯かせていた。

「関係ないなんて、ひどい考え方です……」

 じっくりと噛み締めるように風華は続ける。

「同じクラスで、毎日会ってて、それでも関係ないんですか。じゃあ、なんなら関係あるって言えるんですか?」

 それはここにいる二人への問いかけではない。生きているあの青年たちへのメッセージだった。そしてこの場で白瀬だけが冷静だった。

「自分に利害関係がなかったって意味では生前は関係なかったんじゃない?」

「……っ」

 利害だけで論じられるほど人間関係というものは単純ではない。しかしあの青年にとって藤沢璃子はその単純な図式に押し込められるくらいには赤の他人だった。つまりはそういうことなのだろう。

「藤沢璃子についてもう少し調べてみましょうか」

 時刻は十五時。まだ〈魔法〉で色んな場所に潜入しやすい時間帯だ。

「じゃあ、実家に行ってみようか」

 そうして鵜飼は職員室に忍び込んだ時に確認した住所録を思い出し、藤沢璃子の家へと車を走らせた。


 ***


 鵜飼も白瀬もどこか淡白で、かつては人間であった風華だけは居心地の悪い思いをしていた。

 利害関係。

 優しくて気遣いのできる白瀬のことは嫌いではないが、彼が発したその単語はなんとも嫌な響きがした。思えば生前の自分、宮前風華は随分とその利害関係とやらに巻き込まれている気がする。

 家族の言われるがまま、風俗まがいの仕事をさせられて、家に利益をもたらし、自分が害を負った。害として、学校ではそのことで貶されて、きっと自尊心も傷つけられたことだろう。

 鵜飼の運転する車がパーキングに停車する。歩いてすぐが藤沢家らしい。鵜飼と白瀬は警察官のふりをして風華や宇都宮について話を伺う手はずを整えていた。

二人がチャイムを鳴らす間、風華は一足先にすうっと家の中を通り抜けて室内へと入って行った。

 宮前家と大差ない、築三十年ほど二階建ての一軒家だ。あまり二人と離れるのは監督義務がある彼らからしたら困ることだろうと思い、彼らが通されたリビングに風華も立っていることにした。

「宮前、風華さん……?」

 応答したのは四十代後半くらいの母親だった。娘の死を受けてか、顔がやつれて陰鬱な雰囲気をまとっている。

「ご存じありませんか。同じクラスの生徒なのですが」と鵜飼。

「さあ、あまり学校でのことを話すようなことじゃなかったので」

「では、担任の宇都宮先生は?」

 白瀬が顔写真をスマホに表示させながら問う。職員室にあった写真立てをそのまま撮影したものだった。

「新学期のときに面白い先生だとは言っていましたね。でも、それ以上のことは何も。お二人に何か?」

「……行方不明なんです。宮前さんは七日程、宇都宮先生は連絡がつかなくなってもう五日です」

 璃子の母親は目を丸くして驚いた。

「何かの事件ですか?」

「そこまではまだ。別々の都合で家を出た可能性もありますから」

「でも一度に同じようなことが起こるなんて変ですよ。きっと璃子の死因とも関係してるんです。璃子は事故死なんかじゃありません」

 白瀬がすっとぼけて答える

「事故死じゃない? 我々はその件とは担当部署が違いまして、詳しくはないのですが、事故死ではないのだとしたら、何だとお考えなんですか」

 母親は言葉を一瞬詰まらせてから、吐き出すように言った。

「自ら、命を絶ったんです。あの学校でいじめがあったんですよ!」

「娘さんは生前そのことをお母さまにご相談を?」

「年頃の娘ですから、そんなことは言いませんし、隠していたかったんだと思います。でもいじめがあったはずなんです。じゃなきゃあの子があんな人気のない不良のたまり場みたいな所に行くはずがありません」

 母親の話はあまりにも璃子自殺説を押しすぎていて、風華には何が真実なのか判定するのは難しかった。本当に自殺だとするなら、いじめがあったことになる。あのクラスでいじめがあったらしいことは、先ほどのゲームセンターの一件で確認済みだ。しかし、学校側がそれを認めていない以上、もうこの件は動かないだろう。

「調べてください」

 終いには、璃子の母親は泣き出してしまった。

「どうしてあの子が自殺をしたのか、調べてください。絶対にいじめがあったんです!」

 鵜飼が少し困ったように眉根を寄せて白瀬を見る。白瀬は慈愛のあふれる天使のように微笑み、その背をさすった。

「辛いお話をしていただき、ありがとうございました。参考にさせていただきます」

 母親の慟哭が収まってから、風華たちは家を辞した。



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