僕の心に火がついた ニ
「宇多川さん、こちらで一緒に見学しましょうか」
その声のした方へ視線を向けると、鈴村さんはこちらを見ながら手招きしていた。
「……良いんですか?」
「良いも悪いも今日は私がお誘いしたのですから案内するのは当たり前ですよ」
鈴村さんはそう言うと、薄く微笑んだ。
僕は、「ありがとうございます」と言って、鈴村さんの後に続き、スタッフの方達の邪魔にならないであろう場所まで移動した。
ここからでも坂上の様子はよく見える。
坂上は現在、他の人と何か打ち合わせをしている様だった。
坂上と話をしている相手は勿論大人で、それにも関わらずに坂上は積極的に発言をしている様だった。
そんな坂上に対して相手も時には頷き、時には身振り手振りで意見を伝えている。
その様子は坂上の事を子どもとしてでなく対等な相手として接している様だった。
「……すごい」
僕と同い年なのにあれだけたくさんの大人達の中で存在感を発揮している坂上の見ていると、素直にそんな感想が漏れた。
鈴村さんは、そんな僕を見て微笑むと、「驚くにはまだ早いですよ」と、呟いた。
すると、坂上達の動きが急に慌ただしくなってきた。
どうしたのだろう、と僕が不思議に思っていると、「これから本番を撮るみたいですね」と、鈴村さんが教えてくれた。
いつもテレビを通して見ている光景がこれから自分の目の前で行われる。
そう思うと出演する訳でも無いのに緊張を感じて僕は唾を飲み込んだ。
やがて、この場に居る全員が黙り込み、静けさが包み込んだ。
すると、坂上がこちらに背を向けながら海の方に歩き出した。
少し歩くと、坂上は後ろに続いていた男性を振り返った。
僕は振り返った坂上の事を見た瞬間、それが本当に坂上かどうなのかを一瞬疑ってしまった。
坂上とは知り合って数日しか経っていないが、それまでの坂上とはまったくと言っていい程に纏っている雰囲気が違って見えた。
ここ数日で見せた元気で明るい雰囲気はまったくと言っていい程に感じる事が出来ず、儚げな印象を感じた。
対する男性もそんな坂上に負けない所かそれ以上の存在感を出している。
今までドラマや映画を観ても演技の良し悪しなどほとんど分からなかった僕だが、今の坂上達を見てこれが演技なのか、と僕は感じた。
周りにある機材やスタッフの忘れてしまうくらいで、まるで本当にある日常のワンシーンを覗き見している様な気分になった。
大人達に囲まれている中で、自分を表現する坂上が純粋にすごい、と思った。
対して、僕は形は違うが表現する事を途中で諦めてしまった身なので、少し情けない気持ちになりはしたが、坂上の演技にパワーを貰ったのか、自分ももう一回、小説で表現をしてみたいという気持ちになっていた。
坂上と男性がいくつか言葉のやり取りをすると、「カット!」と、声が掛かった。
どうやら一回中断の様だ。
その時初めて僕は自分が息を止めていた事に気付き、大きく息を吸った。
「……普段の静香と全然違うでしょう?」
僕の反応を見て、なんとなく僕の考えている事を察したのか、鈴村さんが微笑みながら言った言葉に、僕は静かに頷いた。
「月並みな感想かもしれないですけど、役者さんってすごいんですね」
「そうね。でも、私はその中でも静香は特別だと思っています。今はまだ二番手のポジションが多いですけど、経験を積んでいけばいつかもっと高みに登れると思っています」
鈴村さんのその強い言葉に僕は胸が熱くなった。
人の才能惚れて、ここまで確信を持った言葉を言う事が出来る事はそうそう無いだろう。
僕が坂上と鈴村さんの関係性を羨ましく思っていると、鈴村さんは坂上の方に視線を向けた。
つられて僕もそちらに視線を向けると、坂上は中年の男性と何やら話し込んでいる様子だった。
「今撮ったあのシーンは実は二日前にも行っているんです」
以前撮ったなら何故再度撮る必要があるのだろうか。
その疑問が顔に出ていたのか、鈴村さんは僕の顔を見て頷くと、言葉を続けた。
「その時、静香は演技に気持ちを込める事が出来ていなくて、それで、監督にこれではこのシーンは使い物にならない、と言われてしまったんです」
「……それは坂上さんにとっては辛かったでしょうね」
「そうですね。監督に、『経験が足りないんだ。恋愛の一つでもしてこい』と怒られてしまって、それで静香は現場を飛び出して行きました。すごく心配しましたけど、『デートをしてから帰ります』というメッセージが送られてきた時には、強いな、と思って、つい笑ってしまいました」
鈴村さんの言葉を聞いて、僕は坂上と出会った時の事を思い出していた。
坂上がスマートフォンを取り出してメッセージを送っていた相手は鈴村さんだったのだ。
「突然、『デートをしよう』と言われた時は冗談かと思いましたけど、そういう事があったんですね」
僕の言葉に鈴村さんは小さく頷いた。
「ええ、それで、数時間後に、『デートをしてきました』と言って、戻って来た時には始めの内は私もスタッフも半信半疑でしたが、撮影スケジュールが押していたので、取り敢えず、今撮ったのとは別のシーンを撮ったんです」
鈴村さんはそう言うと、坂上の方へ再び視線を移した。
「すると、静香は前より比べ物にならないくらい感情が乗った芝居をし始めました。驚いた監督が何があったのかを聞いたら、静香はなんて答えたと思います?」
「えっ? なんでしょうか?」
そう言って、笑みを浮かべた鈴村さんを見て、坂上はスタッフの方達になんと言ったのだろう、心配になった。
「静香は、『デートで朝食を食べて来た!』って、嬉しそうに写真まで見せてくれました。私達の中でそれってデートなのか、という疑問はありました。けど、実際に静香の演技は良くなっていたので、本人にとってはそれがデートだと思っていると考えたらなんだか微笑ましくなりました」
そう言って、笑みを浮かべる鈴村さんを見て、恥ずかしくなった僕は、「そ、そうなんですね。坂上さんの演技の為になれて良かったです」と言って、話題を逸らそうとした。
「本当に宇多川さんのお陰です。あの子、一昨日から宇多川さんの話ばかりをする様になったんですよ。それで、これはいけると思った監督が、『今度は写真を撮ってこい』って、お題を出したんです」
「あぁ、あれですね」
僕は坂上が俳優をやっていると知るきっかけになった女性二人組との出来事を思い出して、げんなりしながら呟いた。
「静香は、『イケメンが顔を赤くして慌てているのが可愛かった』と言って、楽しそうにしていましたよ」
鈴村さんになんて事を言っているんだ、と思った僕は坂上に後で注意をしておかなければならない、と考えながら、「……お恥ずかしい限りです」と、言葉を返した。
「静香では無いですけど、宇多川さんは格好良い
と思いますよ。俳優やモデルに興味はありませんか?」
「無いです」
鈴村さんはまさか即答されるとは思わなかったのか、驚いた表情を浮かべている。
しかし、一番驚いているのは言った僕自身だった。
鈴村さんの提案は半分冗談だと理解はしていたが、それでもすぐに断りの言葉が出てくるくらいに自分の中で小説を再び書いてみたいという気持ちが芽生えている事に気が付いた。
「……ああ、余計な事を言ってしまいましたね」
鈴村さんは僕の顔を見ると、そう言って納得した様に頷いた。
「おーい、宇多川君、お待たせ〜」
何か言葉を返そうと思った時、遠くから坂上の声が聞こえてきた。
声のした方を見ると、坂上が手を振りながらこちらに走って来るのが見えた。
やっぱり演技をしている時と普段の坂上はまったくと言って良い程違う。
坂上のすごさを改めて感じていると、坂上が僕と鈴村さんの下に辿り着いた。
「宇多川君、私の演技見てた? ……ってあれ?」
坂上はそう言うと、不思議そうな表情を浮かべながら首を傾げた。
「宇多川君、なんか雰囲気変わった?」
「そうかな、自分では全然変わった気がしないけど……」
顔を見合わせてすぐ分かる程、気持ちが表情に出ていたのだろうか。
そう思って尋ねると、坂上は大きく頷いた。
「うん、すごい変わったよ。さっきまでは優しいイケメンって感じだったけど、今は目付きが鋭いギラついたイケメンって感じがする」
「それって性格が悪くなってない?」
僕が笑みを浮かべてそう言うと、坂上は顎に手を当てて考え始めた。
「うーん、なんだろうな。言葉にするのは難しいね」
坂上はしばらく考える素振りをすると、突然、「あっ」と言って、顔を上げた。
「分かった。何かは分からないけど、宇多川君は夢というか何かしたい事をみつけたって顔をしてる!」
「……そうだね。坂上さんの演技を見て頑張ってみたいと思う事が出来たんだ」
僕の気持ちを言い当てた坂上に驚きながら言葉を返すと、坂上は嬉しそうな表情を浮かべた。
「……本当? それは嬉しいな」
「坂上さんの演技はそれくらい力があって素晴らしかったよ」
「……また、監督がデートのお題を出したてきたんだけど、後が良い?」
「そうだね。明日でも良い?」
気を使って聞いてくれた坂上に対して僕は頷いて答えた。
小説を書き始めるのはいつでも良いのかしれないが、今の気持ちを大事にしたいと僕は思った。
「うん、全然良いよね。そうしたら、また後で連絡をするね」
僕は坂上の言葉に、「ありがとう」と言って頷くと、鈴村さんの方を向いた。
「鈴村さん今日は撮影現場に入らさせて頂きありがとうございました。坂上さんと鈴村さんのお陰でやる気が湧きました」
そう言って、鈴村さんに向かって頭を下げた。
「宇多川さん、やめて下さい。本当はこちらがお礼を言うつもりだったんですから」
鈴村さんは慌てた様にそう言って、僕に頭を上げる様伝えると、僕の顔を見ながら微笑んだ。
「家まで送って行かなくて平気ですか?」
「はい、そこまでお世話になる訳にはいかないので」
鈴村さんは僕の言葉に頷くと、「では、せめて道に出るまで見送りましょう」と言って、僕達三人は砂浜から歩道まで歩いて向かった。
「二人ともお仕事があるでしょうからここまでで大丈夫ですよ」
「分かった。そうしたら宇多川君、また明日」
そう言うと、僕は坂上と鈴村さんに手を振って見送られながら家に向かう為に足を踏み出したのだった。
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