第四章

足りないもの

 あの日、ノアから贈られたストックの花がデザインされたバレッタは、アリーシャの宝物になった。寝るとき以外は必ず身につけ、毎日の手入れは欠かさない。

 今日も、耳から上の髪を束ね、バレッタで止める。三面鏡できちんとできているか確認するも、バレッタが目に入るとつい笑みが溢れてしまう。好きな人が選んでくれたものを、こうして身につけることができる幸せ。そして、ストックの花が持つ意味と花言葉。

 頬を赤く染めている顔が鏡に映り、パチンと両頬を叩いた。浮かれすぎている。自惚れすぎている。どのような意味を込めて贈ってくれたのか、ノアからは何も聞いていないというのに。

 気を取り直し、朝食を食べに行こうと部屋を出ると、廊下には壁に凭れかかり腕を組んでいるノアが立っていた。


「ノア、おはようございます」

「おはよう、アリーシャ」


 一緒に朝食が食べられそうな日は、こうしてノアが廊下で待ってくれている。それがとても嬉しい。隣に並び、廊下を歩いてダイニングルームへと向かう。

 他愛のない話をしながら朝食を食べていると、廊下を走る音が聞こえた。途端に、ダイニングルームの空気が張り詰める。何かあったのかと手に持っていたフォークとナイフを置いてすぐ、一人の兵士が入ってきた。ノックもないということは、緊急の要件なのだろう。兵士はノアの元で跪いた。


「オークニーの街付近に、魔王の手下が出現いたしました!」

「わかった。馬の用意を。ただちに向かう」


 ──こうして、突然日常が奪われる。奪われてしまう。

 オークニーの街の人達は、兵士達は、大丈夫だろうか。共に向かおうとアリーシャも立ち上がるが、ゆるゆると首を横に振るノアに止められた。


「ヒールストーンで何とかなる。アリーシャは、ここで帰りを待っていてほしい」

「わ……わかり、ました」


 ノアは兵士と共にダイニングルームを出て行った。一人残されたアリーシャは椅子へ座り直し、食べかけの朝食を見る。

 ヒールストーンは、アリーシャがいなくても怪我を治せるようにと作成したもの。使い方としては間違っていない。それを頼りにしてくれているのもありがたい。

 けれど、どうしてだろうか。ほんの少し、寂しく感じてしまった。



 * * *



 ノアや兵士達が戻ってきたのは、日が沈み始めた頃だった。

 砂埃や泥で汚れてはいるものの、誰も怪我を負っていない。オークニーの街の者達の怪我も治してきたようで、ヒールストーンが大活躍だったとノアは笑っていた。

 ただ、まだ後処理が終わっていないようで、このあと必要物資を揃えてオークニーの街へと戻るようだ。魔王の手下が街にまで入り込んでしまい、建物がいくつか壊されてしまったらしい。

 城内が準備で騒がしくなる。敵によって壊された建物などは、いつまでも放っておいてはいけない。この国は手が回っていないと敵側にみなされ、追撃される可能性があるからだ。元の世界でも、ダンジョンから抜け出したモンスターが、近隣の街や村を襲うことがあった。その際も、これ以上付け入る隙は与えてはならないと、早急に立て直しが図られていた。

 テディベアのときのような魔法が、思うように使えることができれば。だが、まだ解明できておらず、あの一度きりだ。力になれるような手を持っているかもしれないというのに。アリーシャは焦慮しょうりょに駆られる。


「しばらく留守にするが……終わったら、またどこかへ出かけよう」

「……はい。楽しみにしています。お気をつけて」


 兵士達を引き連れて、ノアはオークニーの街へと向かった。

 今は、自分にできることをするしかない。気持ちを切り替え、ヒールストーンの作成や抱えている課題に取り掛かることにした。

 ヒールストーンを作成しては、防御魔法によるコーティングを研究し、テディベアに使った魔法について考える。解毒魔法は、おそらくそれの応用になるだろう。

 そのように日々を過ごし、オークニーの街が襲撃されてから、何日が経過しただろうか。

 ノアはまだ戻らず、アリーシャはヒールストーンの量産以外は何も進んでいない。はあ、と深い溜息を吐いた。


(マーリン様は、どのようにして魔法を編み出されたのでしょうか)


 魔法は不思議を体現させるもの。その言葉にヒントはあると思うのだが。

 失敗してしまった宝石を机の上から一つ手に取る。手のひらの上で煌々と輝く宝石の欠片。両手で優しく包み込み、目を瞑った。

 もしも、不思議を体現させようとするならば。イメージをすることが必要な気はする。今であれば、手の中にある宝石の欠片に防御魔法をかけて、コーティングさせるといったものだ。頭の中でしっかりとイメージし、詠唱を唱える。


「仇なす者の攻撃を防ぐ、堅牢けんろうの護り」


 宝石の欠片に防御魔法がかけられているのは感じ取れる。が、残念ながらそれだけだ。コーティングには至っていない。ここでアリーシャが魔力を込めるのをやめてしまえば、防御魔法は消えてしまう。

 イメージだけでは足りていないということ。その足りていない部分が、今もわからない。

 魔力を込めるのをやめ、防御魔法を解く。刺激を与えないようにと、静かに宝石の欠片を机の上に戻した。


「簡単にいかないことはわかっていましたが……」


 アリーシャがしようとしていることは、マーリンが魔法を編み出した所業と同じ。易々とうまくいくわけがないのだ。時間をかけてゆっくりと。されど、真っ暗な道を灯りもなしで歩いているような気分になり、どうも焦ってしまう。

 休憩しよう、と近くにあった椅子に腰掛け、背もたれに背を預けると宙を見上げた。

 元の世界にいる魔法使いや魔女、もちろんアリーシャも。マーリンが魔法を遺してくれていたからこそ、使えている。厳密に言えば、マーリンが編み出した魔法や詠唱を、マーリンの弟子が詳細に記した文献を遺してくれていたからだ。


「……あ、そういえば」


 解析はされているが、すべての魔法が使えているわけではない。使い手の魔力量やセンスにも寄るが、誰もが扱えない魔法もあるのだ。

 詠唱は間違っていない。込める魔力量も合っている。それなのに、魔法が発現しない。他に何の条件があるのかと、その研究に没頭している者も。


「わたしに足りないものも、それと同じなのでしょうか」


 そもそも、センスが足りていないかもしれない。それだと元も子もないが、攻撃魔法が一切使えないのだからありえる話だ。しかし、あのテディベアは──と堂々巡りに入ってしまう。

 魔法とは身近なものだったが、向き合えば向き合うほどわからなくなる。不甲斐ないと長嘆していると、コンコン、と扉を叩く音がした。慌てて姿勢を正し「はい」と返事をすると、扉を開けて中に入ってきたのは──。


「こんにちは、アリーシャ」

「え……レオ?」


 最初に会ってからその姿を見かけることがなかったため、驚いてしまった。急いで立ち上がり、頭を下げる。


「少しばかり出かけていまして。お久しぶりですね」

「は、はい。お久しぶりです。お元気そうでよかった」

「体力はありますから。おや、これが噂のヒールストーンですか?」


 机に近づいてきたレオは、完成しているヒールストーンを手に取ると口元に弧を描いた。


「とても綺麗ですね。兵士達だけではなく、怪我をされた方達にも実際に使ってもらっているのだとか」

「はい。そのように、ノアが動いてくださって」


 毎日ヒールストーンは消費されていくが、アリーシャも慣れてきたため、供給に滞りはない。だからこそ、こうして別のことを考えられる時間はあるにはあるのだが。

 手に持ったヒールストーンを一頻り眺めたあと、レオは机の上に戻した。身体の向きを変え、アリーシャと向き合うと右手が差し出される。


「今から、アリーシャの時間を私にいただけませんか?」

「え?」

「見せたいものがあるのです」


 それは見てみたいが、右手が差し出されているということは、左手を乗せろということなのだろうか。

 相手がノアなら、迷わずに手を取っていた。どうしようと戸惑っていると、レオの右手がアリーシャの左手を掴み、引っ張られる形で部屋を出る。


「レオ!?」

「きっと、気分転換になりますよ。私がエスコートさせていただきますね、レディ」


 扉を閉めると、いつの間にか手にしていた鍵で施錠し、レオとアリーシャは廊下を歩く。逃げるつもりはないのだが、逞しい手は離れない。

 どこへ連れて行ってくれるのだろうか。じ、とレオの顔を見ていると、視線に気づいたようでこちらを振り向いたが、優しく微笑まれるのみ。

 ノア以外の男性と手を繋いでいることに若干の罪悪感を抱きつつも、アリーシャはレオについていった。

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