嫉妬と上書き

「近い。アリーシャから離れろ」


 いつもよりも大きな歩幅で近付いてくると、ノアは二人の間に強引に割って入った。アリーシャを背に、レオと向き合う。


「何を勘違いしているかは存じ上げませんが、魔法で治していただいていたのですよ。ね?」


 レオから話を振られ、慌てて首を縦に振った。確かに、顔に負った傷を治すために治癒魔法をかけていた。これは嘘ではない。ノアが振り返り、アリーシャに顔を向けながらも横目でレオを見る。


「……怪我でもしていたのか?」

「わたしが失敗をしてしまって」

「違いますよ、私が制止を聞かなかったがために負った傷です」


 つまりどういうことなのかと首を傾げるノアに、順を追って説明をすることにした。

 ノアは相槌を打っていたが、次第に無言になり、段々と表情が曇っていく。宝石が砕け散ってレオが怪我をしたところなどは、眉間に皺を寄せてじろりと彼を睨みつけていた。


「すべてレオの自業自得じゃないか。庇って当然だ」

「ええ、そうです。私の不徳の致すところ。ですが、そんな私の怪我を治していただいたのです。感謝しています、

「……えっ、あ、いえ、そんな」


 両手を軽く前に出し、首を横に振った。レオは全面的に自分が悪いような言い方をするが、しっかりと止められなかったアリーシャにも責任はある。何より、怪我をした者を治すのは、当然のことをしたまで。

 それよりも気になったのは、アリーシャと呼ばれたこと。ノアが来る前までは「アリーシャ」だったはずなのだが。ノアが「アリーシャ」と呼んでいて、そちらのほうが呼びやすいとなったのだろうか。

 こう呼んでほしいといった愛称もないため、どのような呼び方でも構わない。しかし、急に呼び方が変わったからか。少しどきりとしてしまった。


「他に何かされていないか。大丈夫か」

「私とアリーシャが二人きりでいたことが、そんなに気になりますか?」


 幼いですねえ、とわざとらしく大きな溜息を吐き、レオはノアを挑発するような声色で話す。

 ノアが何を気にしているかはわからないが、何もされていない。抱きしめられはしたものの、あれは飛び散った宝石から庇ってくれようとしたため。現に、アリーシャには傷一つついていない。

 だが、どうしてだろうか。ノアに隠し事をしてしまったかのように感じ、ちくりと胸が痛む。


「名残惜しいですが、私は退散するといたしましょうか。ノアも早く出て行ってほしいようですから」


 ノアを障害物のように避けて歩き、隣へとやってきた。髪の毛に優しく触れられたかと思うと、そっと口付けが落とされる。

 この国では、こうして親愛を表現するのだろうか。慣れない行為に、顔に熱が集中するのがわかる。ノアから盛大な舌打ちが聞こえてきたが、レオは微笑みを崩さず、気にする素振りをまったく見せない。


「アリーシャ、貴女の力になれることがあれば、いつでも仰ってください」

「あ、ありがとうございます、レオ様」

「敬称は必要ありませんよ。どうぞ、レオとお呼びください」


 再び舌打ちが聞こえてきたが、レオはアリーシャに一礼し、ノアにはにっこりと微笑んで部屋を出て行った。

 しん、と静まりかえる部屋。ノアはむすっとした表情のまま、一言も発さない。何か気に障るようなことをしてしまったのだろうか。両手の指を絡めたり、離したり、気分が落ち着かない。視線を逸らしてそわそわとしていると、ノアが口を開いた。


「……レオと随分仲良くなったんだな」


 仲良くなれたのだろうか。非常に優しく接してくれる方だとは思ったが。ちらりとノアの様子を窺えば、眉間に皺を作り、目は細められている。唇は尖り気味で、拗ねているような、不貞腐れているような、そんな表情だ。


「なんか、嫌だ」


 赤い瞳が、アリーシャを映した。

 寂しさを滲ませつつも、熱を帯びた瞳。初めて向けられる熱に、目が離せなかった。

 そこにどのような感情が込められているのか、理解が及ばない。けれど、その瞳を見ていると胸が締め付けられているかのように苦しくて。それなのに、こんなにも胸の鼓動が高鳴っている。

 ──不思議だ。世界は、これほどまでに静かだっただろうか。早鐘を打つ自分の鼓動しか聞こえてこない。

 ノアの右手が伸ばされ、左頬に指先が触れた。その部分は途端に熱を持ち、胸を更に締め付ける。

 向けられている熱と同じ。そう思ったが、ノアは何かに気付いたかのように目を丸くし、手が引っ込められてしまった。赤い瞳は逸らされ、アリーシャから数歩後ろへと下がる。

 同時に、世界に音が戻ってきた。熱に当てられ、我を忘れていたのか。されど、今もまだ、鼓動は高鳴ったまま。胸元で両手を握り締め、きゅっと唇を結ぶ。

 深く息を吐き出しながら、ノアは前髪を左手でくしゃりとさせた。


「駄目だな。幼いと言われても、言い返せない。レオと二人きりで過ごしたというのが……取られたように、感じた」


 左手を離し、乱れた前髪を顔を振って戻すと、ノアはもう一度アリーシャを見た。赤い瞳から熱は失われておらず、またしても目が離せなくなる。まるで、囚われているかのよう。


「俺が、アリーシャと出会ったのに」


 重く、低い声。ノアは、何を言っているのか。これでは、レオに嫉妬しているような、そんな言い方だ。

 瞳はより一層熱を帯び、息ができなくなるほど胸が苦しくなる。黙っていると、先程後ろへ下がった分歩いてノアがこちらへやってきた。自然と顔が上がり、視線がぶつかる。胸元で握っていた両手を下ろすと、優しく包み込まれた。


「困らせてしまってすまない。おそらく、いや、間違いなく、俺は焦っている。レオやルカと比べれば、精神的に未熟で、頼りないからな」

「え……そんなことはありません!」


 つい大きな声が出てしまった。ノアも驚きから目を見開いている。


「わたしは、この世界で初めて出会った人がノアでよかったと思っています」

「アリーシャ」

「ノアは、わたしを信じてくれました。わたしの魔法を、必要としてくれました。ノアの言葉でわたしは、これまでの自分から変わりたいと思えたのです。頼りないなんてとんでもない。とても頼りになる方です」

「……ありがとう」


 ふ、とノアが笑みを溢す。


「冷静で、しっかりされていて……わたしも、ノアのように立派な大人にならなければ」

「そう言ってもらえるのは嬉しいが、昨年成人したところだ。俺もまだまだだよ」

「え……っと、昨年、成人……?」

「ああ、今は十九歳だ」


 そう言って照れくさそうに笑うが、アリーシャはそれどころではなかった。

 冷静沈着で判断も素早く、言動も行動もしっかりとしていて頼りになる。そのような理由から、本当になんとなくだが、人生経験が豊富な年上だろうと思っていた。稀に幼さが顔を出すも、それはノアに兄がいるからだと。

 が、蓋を開けてみればどうだ。年下ではないか。それに、ノアのこの口ぶり。推測に過ぎないが、アリーシャを自分よりも年下だと思っていないだろうか。

 容姿か、はたまた行動か。年下から年下だと思われてしまうほど幼く見えてしまっている事実に固まっていると、ノアが首を傾げながら口を開いた。


「アリーシャ?」

「ノア、その……わたしは、二十二歳です……」


 ちらりとノアを見てみれば、予想どおりの反応。目を丸くし、口をぽかんと開けて驚愕していた。


「……年下だとばかり」

「すみません……」

「何故謝るんだ? それにしても、そうか、年上か。……なら、年上の方が、いいのか?」

「何がでしょう?」


 意味がよくわからなかったため問いかけると、ノアは言葉を詰まらせる。宙に視線を彷徨わせたり、床を見たりと忙しない。

 じっと眺めていると、しばらくして咳払いを一つし、目を泳がせながら話し始めた。


「その、なんだ。好きな男とか。年上がいいのかと」


 考えたことがなかった。正直に言えば、恋すら未経験。どのような男性を好きになるか、自分でもわからない。


「すみません、恋愛というものに疎くて。ですが、そうですね……年齢で好きになったりはしないと思います」

「……っ、そうか」


 こんな返事でよかったのか、ノアはホッとしたように笑顔を浮かべた。


「俺にも、チャンスはあるんだな」

 

 目を伏せたかと思えば、そのまま床へ片膝をつき、真剣な眼差しでアリーシャを見上げる。


「レオは、どちらの手に口付けを?」

「……え?」

「あいつなら絶対にする。そういう奴だ。で、どちらの手だ?」

「右、だったような」


 気がします、と言い終える前に、ノアが右手に唇を落とす。

 やわらかい唇が手の甲に軽く押し付けられ、落ち着き始めていた鼓動がまたもや高鳴る。


「──っ、ノア!?」

「あいつが触れたところを、俺で上書きしていく」


 あとは髪か、と立ち上がると、肩を抱かれ、引き寄せられる。


「こ、これに、何の意味が?」

「さあ、どういう意味だろうな」


 意地の悪そうな笑みを浮かべながら、ノアはアリーシャの髪へ顔を埋めた。

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