第19話

誰がかけてきた電話か分からないが、向こうはとても騒がしい。


最初に聞こえた悲鳴を上げた女性が休みなく悲鳴を上げ、それに周りが騒ついているようだった。


《アンナ!?》


アンナ?


アンナという女優やタレントは沢山いるが、頭に浮かんだのは『春沢安奈』だった。


《触らないで!》

《うわっ!》

《返せ、返せ、返せ!!》

《や、やめてください!》


《『春沢安奈』はもう終わりだな》

《あれじゃあ、な》


やっぱり『春沢安奈』か。



《杏奈!! 誰か、誰か杏奈を止めて!》


《やめさせて、誰か、誰か!!》




非常口の扉を開けてホールに足を踏み入れた途端、ここが電話から聞こえている場所だと分かった。


「返せ!」


『春沢安奈』は喚きながら局スタッフの上着を着た男に馬乗り。

その傍で『春沢安奈』のマネージャーらしき女性が「誰か」とひたすら叫んでいる。


そこに大量に向けられるスマホのカメラ。



騒ぎを迂回するように男2人がこちらに向かってきた。


「あれじゃあ『春沢杏奈』も終わりだな」

「顔も体も大したことないし、映像女優でしょうか」


「まったく『橘斗真』もあれのどこがよくて……」

「先輩!」


後輩の声に顔を俺に向けた男が顔色を青くする。


「あ、あの……」

「お気になさらず。魔が差すのは誰にでもあることですから」


ペコペコと頭を下げる男2人。

あんなにビビるなら初めから口にしなければいい。


下らな過ぎて帰ろうと思ったとき、大きな窓の前に立つ女に気づいた。


局自慢の桜の大木をガラス越しに背負ったように。

白いドレスを着た女がそこに佇んでいた。



「咲羅……」


咲羅は満足げに『春沢杏奈』を見ていた。


満足げな微笑み。

唇は血色がよくて……うん、足もある。


―――これでさいご。


「咲羅!」 


咲羅は俺の声にピクッと肩を震わせた。

俺のほうをみて10秒くらい驚く。


そして、ふわりと微笑んだ。



「少しだけ、昔話に付き合って」



桜の花びらがひらひら舞う風景の中で微笑む咲羅はただ美しい。


俺は咲羅にスマホのカメラを向けた。

俺の手の中、嬉しそうに笑う咲羅が収まる。



「いくらでも、よろこんで」

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