第8話
通路に降りてきたのは紛れもなく大人の朝比奈さんだった。
セレモニーホールで来ていたスーツはそのままで、なぜか亜麻色の髪はきっちり後ろにまとめていた。
「キョンくん」
「朝比奈さん」
「彼女が涼宮さんを偲ぶ会の本当の発起人です。もちろん名簿には乗っていませんがね」
古泉がわかりきった解説を入れた。よく考えればあのまとまりのないクラスの連中の誰がこんな役を引き受けるものか。古泉でなければ朝比奈さん以外ありえないじゃないか。
「キョンくん。久しぶりとは言わないわ。だってずっと見守ってきたんですもの」
俺の脳に言葉が浸透するまでちょっと時間がかかった。俺が驚きを表明するよりはやく朝比奈さんは続けた。
「古泉くん。長門さん。いままでありがとうございました。お二人の協力がなければ決してこの時点に到達できなかったでしょう」
深々と二人に一礼する朝比奈さんだった。
「古泉、一体どういうことだ」
「時間平面上では僕も長門さんも当事者たり得ているということですよ」
古泉は穏やかな笑みを俺に返し、
「僕もこの七年間ずっと時間について研究してきました。それに今の朝比奈さんは禁則とは無縁ですから」
禁則のことも知っているのか。古泉に話した記憶はないが。
俺は改めて朝比奈さんを見る。公園の常夜灯に照らされた朝比奈さんはもちろん高校生ではありえない。背も伸びているし、絶対に禁則で確かめる訳にはいかないが例の星マークだってあるだろう……。
唐突に俺は違和感の正体に気がつく。そうだ。この場所にあの大人の朝比奈さん―― 俺が初めて部室であったほう ――はここに現れるはずがない!
「あなたは俺たちと二年間を過ごし、ハルヒが行方不明になってからもずっとこの世界で七年間過ごした朝比奈さん、ですね」
なぜってあの大人の朝比奈さんはハルヒが存在し続ける世界の延長線上の未来から来たはずだ。それはハルヒの消失とともに失われたはず。
で、今まで朝比奈さんがどこにいたかというと高校一年時点の「朝比奈みちる」事件と同じく……。
「ええ。鶴屋家にお世話になっていました。新しい身分や戸籍も用意してくれたわ」
その間、何をしていたんですか。一度くらい俺の前に現れてくれても良かったのに。
朝比奈さんは目を伏せてゆっくり言った。
「キョンくん。涼宮さんが失踪した直後に、私は自分の能力を失ったの。私の生まれた未来が消失したんだって長門さんは教えてくれたわ。ショックだった。立ち直るまで本当に長い時間がかかりました。でも古泉くんと長門さん、そして鶴屋家のおかげでなんとか立ち直れたの」
「どうして、今なんですか。ここに俺たちを集めた理由はなんです」
「私は歪められた時空間をノーマライズしたいの。キョンくんの力で、あなたには今、それを可能とする十分な経験とその資格があるわ」
朝比奈さんの目は真剣だった。厳しいと言ってもいいくらいの視線を俺に投げている。俺が初めて会った大人の朝比奈さんとは違う。あの人はもう少し余裕があったし、すこしうっかり屋さんのところさえあったのだ。
これは前にも同じことをしたような気がする。俺は遠い記憶を振り絞って思い出そうとした。全く予想外の人物がハルヒの力を盗み出し時空を改変してしまったこと。中空に浮かぶ短針銃。きらめくコンバットナイフの刃……最後の決断。
いや、あの事件の真の顛末はこの朝比奈さんは知らないはずだ。俺ともうひとりだけが当事者であり目撃者だった。
俺は朝比奈さんに向き直る。あのときの正常化はうまく言ったとは到底言えない。同じことをやっても無駄だろう。
「それでハルヒが戻って来るんですか。……なんで俺でなくちゃならないんです」
俺の知っていた朝比奈さん(大)は俺の質問にまともに答えてくれたことが一度としてない。過去人に余計な情報を与えてはいけないのはわかるけれど、あの人は若い頃の自分にも重い枷をかけていたのだ。
「古泉くん。やっぱり私ではうまく説明できなかったみたい。あなたにお願いしていいかしら」
古泉は一呼吸おいてから話しだした。
「あの二年間で発生した最大の謎を解決する唯一の方法です」
「ハルヒの失踪以上に未解決な問題はないだろ」
「もちろんそうです。ですがここでは一旦おいておきましょう。我々に残った最大の謎。宇宙人、超能力者、未来人の三者が集まっていながら、やってこなかった第四の存在がいます」
「……異世界人か」
「ええ。彼らはいつ僕たちの前に姿を表すのでしょう。僕に超能力属性を与えたのは涼宮さんです。未来人、宇宙人も同様です。とすれば、彼らが現れなかったことで涼宮さんは失敗と断じた可能性があるのではないでしょうか」
「異世界人をどっかから引っ張ってくれば問題は解決するとは思えんな」
「そうでしょうか」
「たとえ姿を見せなくても、あの二年間でその存在の関与があれば、事態はまた別の方向に向かったとは思いませんか」
「もうやめろ!」
俺は立ち上がった。俺にできることはなにもない。もう記憶すら定かでない高校時代のことに関わっている暇はないんだ。
古泉はかまわずになおも言葉を続けた。
「個人的には僕は『機関』の一員であり、超能力者でありながら、『機関』が誰の手によって組織化されたのかが謎のままでした。もちろん涼宮さんが一夜にして創出した可能性もありますが」
「わたしも同じ。わたしはたしかに未来から来ました。でも私に指示しているのが誰なのか最後までわからなかったの」
俺もおぼろに古泉の考えがわかってきた。頭の中でゆっくりと組みあがっていく。この場所で集まった理由も。古泉はとんでもないことを考えていやがる。いや、首謀者は古泉じゃなくて……。
「長門、お前も協力してくれるのか」
長門はこくんと小さく首を縦に振った。
「私はある時期から未来との同期を断ったが、それよりずっと以前の私なら同期可能。私がこの七年間で得た知見と理解をデータとして過去の私と同期する」
「これから僕たちは涼宮さんに会いに行きます。彼女の真の望みを叶えるために。それがどんなものかわかりませんが、僕たちはもう同じ失敗はしないでしょう」
俺は古泉から朝比奈さんに向きなおった。
「でも、どうやって? 朝比奈さんは時間跳躍がもうできないんでしょう?」
「長門さんがより強力なTPDD場をこの日のために再構築してくれたの。それは今、私の中に無形で存在するわ。だから私はあなたと古泉君を連れていける。でも、それはあなたが高校生に戻ることではないの」
そうか。そういうことなのか。ようやく俺の頭にも曙光がさしてきた。俺は三人を順番に見つめてから言った。
「だからこそできることもある、ということですか」
「ありがとうキョンくん。わかってくれたみたいね」
朝比奈さんはほっと安堵の表情を見せ、あのとろけそうになる笑みを初めて見せた。
俺が大学に進学したのは、今の職業を選んだのも――古泉や朝比奈さんの影の働きかもしれないが――ハルヒの事を忘れないようにしたかったから、ハルヒの言葉を守っているからじゃないのか。手を差し伸べられるのをまっている子供たちのためにだ。
「古泉、お前も行くんだな」
「もちろんです」
「結婚してるんだろ? いいのか」
「彼女にも同意してもらっています」
「同意って……。戻ってこれないかもしれないんだぞ」
「江美里も過去の自分と同期すると言っていましたから」
古泉のやつ喜緑さんと一緒だったのか。この野郎。そのあたりの経緯を問い質したい気もしたが、あとにしよう。
「キョンくん、古泉くん。準備はいい?」
古泉は笑みを見せ、俺は答える。
「ハルヒのいない世界に未練はありませんよ」
……目をつぶった俺のまぶたに柔らかい朝比奈さんの手が触れた。
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