第7話
春の宵というには汗ばむほどの熱気が残っていた。ホールからずいぶん歩いたせいか、暑くて上着を脱いだ。
あの人が本物の朝比奈さんだとしたら、必ずここにやってくるはずだ。もう何年も前の七夕の夜、二人して座ったこの公園のベンチに。この場所は時空を駆け巡った俺が必ず通過する分岐点みたいなものだった。それだけに思い入れがある。
俺を挟んで古泉と長門が両脇に座った。到着を待っていたかのように公園の常備灯がパッと点灯して俺たちを照らした。あたりはこの時間にしても珍しく俺たち以外に誰一人いない公園は静まり返っている。四月の夜空にヴェガとアルタイルは見えなかったけれど、すばらしい星空だった。
あの錯綜した時間のはざまで星空を見上げた俺に、朝比奈さんが寄りかかって何かを言ったけれど、あまりに小さい囁きは耳に届く手前で意味を失っていた。何を言ったのかは永遠の謎として俺の心に残ることだろう。
「古泉」
「なんでしょう」
「ハルヒはどこに行ったんだと思う」
七年前、俺は何度も長門や古泉に同じ質問をした。今の俺にはそれなりの回答がある。俺のヘッポコ頭でも考えつくくらいだから、こいつらだってなにか考えているだろう。
「涼宮さんの入学から始まり朝比奈さんの卒業で終わった二年間について僕なりに考え続けてきました。僕はおよそ二ヶ月ほど遅れて参加したので、活動期間はあなたより短かったですが」
古泉は夜空を見上げながら話している。裏方役として俺の想像を絶する苦労や秘密があるのだろうが、決して古泉は明かさない。分かち合えない辛さを感じているのはたぶん俺だけではないだろう。
「まさに稀有な経験でした。いま僕が僕たり得ているのはひとえに涼宮さんのおかげです」
「俺だって同じさ」
「でしょうね。ただ、涼宮さんが我々から去ったのは、あの二年間が彼女の中では失敗だったからではないかと」
それは俺も考えていた。入学当初の超能力者、未来人、宇宙人の構成が朝比奈さんが卒業する時点で崩れるのはわかりきっていたんだ。それがタイムリミットだったのは当然と言える。
「原因は僕にもあると考えています」
なぜだ。お前ほどハルヒに翻弄されたやつもいないだろう。閉鎖空間であの怪物とガチで戦い続けていたのはお前らなんだろ。一番の被害者じゃないか。戦闘で命を失った機関員もいるとか言ってなかったか。
「おもえば、僕は閉鎖空間を恐れるあまり、イベントや事件を企画しては涼宮さんの気持ちをそらすことに傾注しすぎたのです。裏を返せば彼女の本当の気持ちを知ろうとする努力を完全に怠ってしまった。一見、涼宮さんは僕が考えたイベントを楽しんでいたように見えましたが、それは涼宮さんの本心だったのでしょうか」
人類絶滅の瀬戸際で戦っていた古泉が回避しようとするのは当然だろう。古泉が責められるなら、俺も同じく糾弾されてしかるべきだ。
ハルヒが去った原因は古泉ではないはずだ。ハルヒは古泉を副団長にしたくらいだ。カンの鋭いハルヒのことだから、古泉が裏方役として働いていることくらいはわかっていただろう。もちろん古泉を超能力者に変容させたのが自分だとは知らなかったろうが。
「わたしにも責任がある」
それまで沈黙の海に沈みながらも俺たちの話を聞いていたらしい。隣りに座った長門がまっすぐ前を見たまま、静かに言った。
いや。断じておまえに責任はない。あるとすれば俺の方だ。
高校一年のクリスマスから始まった一連の事件は俺とハルヒの間に決定的な何かを持ち込んだことは事実だ。雪山の洋館事件ではハルヒはついに俺に向かって長門について問いただすまでになっていた。あのときハルヒについた苦しまぎれのウソがまさか四月の事件につながるとは知る由もなかったが。いや、俺はもちろん長門ですらあの時点で予見できたとは言い難い。
「長門」
「なに」
「お前がすべてを背負う必要はない。俺は……あの二年間で眼の前に現れた選択肢の中でいつも間違った選択肢を選んでいた気がする。お前じゃないんだ原因は」
俺は朝比奈さんが卒業するまでに、はっきりとハルヒに意思表示すべきだったのか。中学時代のハルヒのトリガーを引いたらしいジョン・スミスの正体を明らかにすべきだったのか。限られた二年間の課題はこれだったような気もする。
三人三様の沈黙が訪れたそのとき、ベンチ裏の木立に人の気配がして誰かが通路に降りてきた。
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