第2話

 「涼宮さんを偲ぶ会」のハガキが転送されてきたのは先月のことだ。


 ハルヒの失踪から七年がたった。法的にはこれで亡くなったことになるらしい。俺も就職して二年目、高校時代の一切合切と縁を切るつもりで住所も携帯の電話番号も変えていたし、なんとなく出席の返事は出しそびれていた。


 いや忙しさは単なる言い訳だ。心の奥底にある問題から顔を背けているだけなのはわかっている。かつてあれほど切実にエンターテイメントを求めた少年の心は俺が大人になる過程で犬にでも食われたんだろう。いや、猫かもしれない。シャミセンを我が家に連れてきてから二年と少し、俺が大学に入学すると同時に、とうとう一語も発することなく、彼は虹の向こうへと旅立ってしまった。また一つ、俺とハルヒをめぐる証拠の一つが失われてしまった。


 「偲ぶ会」の開催日まで一週間というところで、どうやって電話番号を突き止めたのか――かつての『機関』にはまだそれくらいの力はあるらしい――古泉から連絡がきた。

 古い棺を掘り起こすような思い出したくない記憶。今が普通の生活というのなら、俺はあの事件が起こって数年はずっと普通じゃなかった。


『ぜひ来てください。発起人も強く要望されています。あなたの出席はこの会にとって必須なんです』


 発起人が誰かは知らない。たぶん同じクラスの誰かだ。古泉には北高を卒業して以来一度も会っていない。しばらくぶりにあいつの顔を拝んだところでバチは当たらんだろうし、そろそろけじめをつける時が来たのかもしれない。


 場所は甲陽園女学院の近くにあるセレモニーホールだった。開催は十八時から。仕事帰りに寄るにはちょっと遠いが、俺は時間を作ることにした。



 当日になって、早く着きすぎた俺は玄関からホールに続く通路に立っていた。北高時代に同じクラスだった連中はほとんど出席しているようだが、誰一人、俺に話しかけてこない。いまだに俺があの事件の当事者とみなされているんだな、という気がした。

 

 七年前。高校二年の終端、朝比奈さんの卒業をきっかけとした事件。

 就職してからは自分の心に鍵をかけてそこから何かが出てこないように目も耳もふさいでいた、というのが正解かもしれない。今となっては霧にかすむ原野の向こう、どこか遠い彼方の出来事になっている。何もかもが不確かで、県立北高校での最初の二年間は本当にあったことなんだろうか。


「お久しぶりですね」

「古泉か」

 もともと顔立ちの整ったやつだったが、しばらくぶりに合うと男ぶりに磨きがかかっている。衣装にも疎い俺でも古泉が上等なスーツを着ているのがわかる。薬指のリングが光る……私生活でも充実しているらしい。

 こいつはたしか東京の大学に進学したんだった。俺なんかが絶対入れないようなハイレベルの私学だ。


「今日の集まりはお前が企画したわけじゃないよな」

「ええ。僕も発起人から連絡を受けたクチでしてね」

「あまり来るつもりはなかったんだが」

「こんな終幕を迎えるとはあの頃の僕には予想できませんでしたね」


 事件直後はさすがの古泉も顔面蒼白で、今のような落ち着きはなかった。取り乱した古泉を見るのも初めてだったけれど、慰める言葉すら出なかったのは俺もそれどころじゃなかったからだ。

 俺が長く気持ちを引きずったのに比べ、古泉の立ち直りは早かった。卒業までの一年間で『機関』を存続させるべく奔走したらしい。

『機関』はこれまでも接触に成功したTFEI端末から思念体の超越技術のおこぼれをもらって技術転用していたらしい。結局、解体するには危険すぎて、一種の企業体となって存続することになったという。


 言葉を切った古泉の視線を追って振り返ると長門がいた。

 俺と目が合うとまばたきを返し、口元に薄い笑みのようなものを浮かべたような気がしたのは俺だけかもしれない。長門にできる精一杯の意思表示だ。白皙の顔色が濃紺のスーツのおかげか際立って見える。服装は変わったけれど、高校の時から顔立ちや姿勢はかわっていない。北高のセーラー服を着せても全く違和感ないけれど、あのころには決して感じ取れなかった人間的な厚みを感じる。会話も相手の人間の理解度に合わせて少しゆっくりになったのは知っている。


 事件直後、俺は長門に向かって喋り続け、涙をこぼし、ときには古泉に八つ当たりをする中、辛抱強く俺のそばに居てくれた。それぞれ別の大学に進学しても一年に一回くらいは会っていた。

 向こうから話したいと連絡が来ることもある。ほとんどが人間関係の齟齬からくる疑問だったから俺は可能な限り答えてやり、俺からは仕事の悩みをきいてもらったりした。けれど、二人ともここ数年はハルヒのことは話さなくなっていた。



 元担任の岡部先生の姿も見える。

 数人の教え子たちの挨拶の間を縫って歩いて俺たちに近づいてきた。今は三十代のなかばを過ぎたくらいだろうか。近くに見ると若白髪が目立つ。かつてハンドボール顧問として校内を闊歩していた面影はもうない。事件直後の心労が刻まれた表情がそのまま取れなくなったのかもしれなかった。


 互いに向かい合ったまま、すぐに言葉が出ない。

 あの事件はずっと三年五組に重い影を落として、岡部先生も校長やら教育委員会から相当圧力がかかったと聞いている。

 ずっと後になって知ったことと言えば、岡部先生はハルヒがお隣からパソコンを強奪したときもコンピ研の顧問に詫びを入れたり、バニーガール事件のときは退学寸前だったのを校長に頭を下げて回避したり、俺達の全く知らないところで後始末に苦慮していたようだ。結果的に俺たちの卒業と同時に北高を離れ、どこか県境の小さな町の高校に転勤になったという話は聞いていた。どう見ても栄転ではないだろう。


 高校最後の一年間、岡部先生は学期ごとの席替えでも、窓際の一番うしろの机だけは空席のまま残していた。誰もその理由は聞かなかったし、ハルヒの存在を思い起こす記念碑のように、卒業するまでその席に座るものは誰もいなかった。卒業アルバムには三年五組の生徒としてハルヒの名が掲載されている。



 岡部先生は一言、俺を本名で読んでから、しばらく黙っていた。

 俺はほかに思い浮かぶ言葉もなく、ありきたりのあいさつをして頭を下げた。

「お久しぶりです。その節は大変お世話になりました」

「立派になったね。今の君の姿を見たら、涼宮もきっと喜んでくれたろう」

 それはわからない。でも岡部先生はさびしい笑みを見せて俺の肩に手をやり、

「君ならきっと大丈夫だ」

 つぶやくように言って、俺に背を向けほかの元生徒たちの中に分け入っていった。

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