3 ネオ東京最上層

 本多は新宿の〈最上層行き〉の層間昇降機エレベーターの中にいた。

 層間昇降機とは、ただのエレベーターではなく『多層構造都市』の層と層をつなぐもので、上下の旅客輸送の役割を担っており、ある意味〝縦方向の列車〟といえる。

 新宿の場合、地下五層から地上十八層までの各層に乗客を運んでいるが、〈最上層行き〉は運賃が高いし、搭乗時にIDチェックを要求される。

 昇降機の〝箱〟もちょっとした小ホールほどの大きさがあり、中には三百の座席が並んでいてスクリーンのない映画館のようだ。

 本多は上等なクッションの座席に身をあずけていたが、居心地は悪かった。

(断れなくなっちまった)

 苦々しい。

 あのとき──大家がやってきて滞納していた六ヶ月分の家賃を催促されたとき──シュリが家賃を肩代わりしてくれたのだ。

「報酬の前金です」シュリは言った。

 大家は大満足、ほくほく顔で帰っていった。おかげでシュリの依頼を断れなくなってしまった。

 その後、──このアンドロイドの機体に情報思念体が憑依していることを証明します──といって、シュリは本多を連れ出した。いまだにシュリの話を疑って信じていない本多に対して、シュリ自身が彼の疑念を払拭してくれるらしい。

 行き先はわからない。本多は言われるがままについていっているだけだ。

 神保町から新宿に来て、いまその最上層に向かっている。

「で、我々はどこを目指してるんだ」

 本多は今更ながら隣に座っているシュリに訊ねた。

「マガトロン波動測定器がある場所です」

「まが? まがとろ……何?」

「マガトロン波動測定器です。知りませんか?」

「はじめて聞く」

「え、そうですか。今いろんなところで使われてる機械なんですけど」

「そう、なのか」

「はい。たとえば地神ちしん測定とか有名だとおもいますが」

「地震測定?」

「いえ、地神ちしんです。。マガトロン波動測定器で地脈などに気の集中がないか調べて地震予知に利用しているんです。最近の地震予知の精度がめちゃくちゃ高くなったのもマガトロン波動測定器のおかげなんですよ」

「へえ。その機械って大きいのか?」

「改良されてだいぶ小さくなりましたけど、大体四トントラックくらいです」

「でかっ」

「なにはともあれ、マガトロン波動測定器でこの身体を調べれば情報思念体が憑依してるかどうかがわかります。情報思念体が存在していたら私の話を信じてもらえますよね」

「まあ、そうなるな」

「よし。では、最上層に着いたらシャトルバスに乗ってネオ東京に行きます」

「ネオ東京? 新宿は逆方向じゃないか? 神保町から真っ直ぐ行けただろ。遠回りしてるぞ」

「ネオ東京のに行くには新宿から出てる直通のシャトルバスに乗ったほうが早いんですよ」

「最上層に行くのか? ネオ東京の?」

「はい。そこにマガトロン波動測定器があるので」

 本多はかつて仕事で何度かネオ東京に行ったことがあるが、最上層どころか中層にすら行ったことはない。

 層間昇降機エレベーターが終着駅に到着すると本多たちはシャトルバス乗り場へ向かった。チケットを購入し(もちろんシュリが本多の分も買った)バスに乗るのだが、ここでもセキュリティチェックがあった。本多は厳しいセキュリティチェックを受けなければならなかったのに、シュリはIDを見せただけですんなり搭乗できていた。


 シャトルバスは上空二〇〇〇メートルを飛んだ。眼下に望む旧市街とネオ東京の光景は壮観だった。これを見れるだけでも高い運賃を払う価値がある、と本多はおもった(チケット代を払ったのは本多ではないが)。

 シャトルバスの旅は十分程度の短いものだった。何本もあるネオ東京の超超高層巨大建造物メガストラクチャーのうちのひとつが目前に迫ってきた。その巨大さを目の当たりにして本多の脳が誤作動バグを起こし遠近感が崩壊した。

 その超超高層巨大建造物メガストラクチャーの内部にあるポートにシャトルバスが着陸した。

 本多は人生ではじめてネオ東京の最上層エリアに足を踏み入れた。

 話によると、超超高層巨大建造物メガストラクチャーの最上部だけでひとつの街が形成されているらしい。もちろんそこは超富裕層エリアだ。本多みたいな人間は街に入るのさえ憚られる。

(一体どんな奴だよ、こんなところに住んでるって奴は。俺なんか地べたで這いつくばってるってのに)

 本多の心に影を落とした劣等感を反骨心で奮い立たせる必要があった。

「本多さん、こっちです」

 シュリが手招きしていた。ポートを出て住宅地エリアに入る前にも本多だけIDチェックを要求された。

「こちらへはなんの目的で?」保安係員が問う。

「いや、仕事だけど」本多は不服そうに答えた。

「お仕事はなにをされてるのですか?」

「は? 街に入るだけなのにそんなことまで答えなきゃならないのか」

「ええ、街の市民の安全のためです」

「なっ!」

 市民の安全を守るために働いている探偵の本多をまるで犯罪者扱いだ。これにはさすがにカチンときた。俺は探偵だぞ! と言ってやろうと意気込んだ矢先、シュリが割って入った。

「彼は私の連れです」シュリがIDを見せる。

 保安係員はIDを一瞥すると「どうぞお通りください」といってゲートを開けた。

 シュリに出鼻を挫かれ行き場を失った怒りをもてあましながら、本多はゲートをくぐった。

(この子、本当にアンドロイドなんだよな。なんで俺より上等なIDを持ってんだよ)

 シュリへの疑念はいまだ拭えていなかった。


 街に入ってすぐタクシーを捕まえた。タクシー自体がロボットなので人間の運転手はいない。

「行き先を教えてください」タクシーが訊いてきた。

「A132通り52番まで」シュリが答えた。

「畏まりました。到着予定は二十二分後です」

 数分後、タクシーは高級ブランドのブティックが建ち並ぶ商業地区を走っていた。車窓から見えるのは瀟洒しょうしゃな街並み。ここが建造物の中の街だとは信じ難い。この陽の光も、ガラス張りの外壁越しの光なのだ。

「あの、本多さん」シュリが話しかけてきた。

「ん?」

「本多さんは探偵のお仕事、長いんですか」

「えーと、今年で六年目かな。なんで?」

「いえ、どうして探偵のお仕事を選んだのかなって」

「選んだというより、これくらいしかできることがなかったんだ。別に目指してたわけじゃない」

「そうですか」

「君は学生だろ? 将来の夢とかあるのかい」

「夢ですか。そうですね。実はまだありません。探してる最中ですかね」

「そっか。いま高校生?」

「いえ、大学院生です」

「えっ、大学院! そ、そうなんだ……十代半ばくらいかと思ってたよ」

「今年で十六歳になりました」

「へ? 十六で大学院?」

「飛び級なんです」

「げっ、まじか。そりゃすごいな。すごい優秀なんだな、君」

「いえいえ、そんなことありませんよ」

「そんなことあるだろ。で、なんの勉強してんの?」

「いまは霊子れいし力学の研究をしてます」

「ああ、そういえばそう言ってたね。霊子力学ってよく聞くけど、正直どんな学問かよくわかってないんだよね」

「どんな学問か、ですか……そうですね、ざっくりいうと、森羅万象に宿るとされている『情報体』の運動とか働く力とか相互作用とかを研究する物理学の一分野です」

「幽霊とか気功とか、だよね」

「はい、そういうのです。昔は〝オカルト〟とか〝超自然科学〟とか言われて馬鹿にされてたそうですよ。蔑まれ吐き捨てられてきた分野がいまや最先端の研究分野ですからね」


 タクシーが進むにつれて街並みは閑静な住宅街になっていった。そして唐突にタクシーは停車した。

「目的地に到着しました。忘れ物にご注意ください。ご乗車ありがとうございました」

 二人はタクシーを降りた。

「ここです」とシュリ。

「ここですって……」

 目の前には、高さ三、四メートルはある白い塀と、黒くのっぺりとした鋼鉄の門があった。門構えからして途方もない豪邸だ。

「ちょっ、ちょっと待ってくれ。測定器がある場所ってどこかの大学とか研究所じゃないのか? ここはそういう場所には見えないんだが」

「はい、ここは私の家です」

「い、家? ここが? え? まさか」

 本多はあることに思い当たった。

「そういえば、君の苗字、たしか〝真城〟って言ったね。まさか、マシロって……」

「あれ? 言ってませんでしたっけ。私の父はマシロ・コーポレーションの代表の真城コウタロウです」

「はあ!?」

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