第2話 碧の継承者と黄金の契約者 2
「これはこれは、レナトゥス様ではございませんか」
「はい。アドニス様。一昨日ぶりでございますわ」
挨拶はそちらが先でも、レナはアドニスよりも先に頭を下げる。
スカートの裾を両手で持ち上げての挨拶で、相手を立てる挨拶だった。
彼女の方が、下手に出ていた。
「これほど可憐な方から、こんなにも丁寧な挨拶をもらえるとは、恐縮であります」
「いえ。あなた様は、ルーサー皇帝陛下の第三皇子様ですから。格下の私から挨拶するのが当然でありますわ」
アドニス・カルノミア。
グランアレス帝国皇帝ルーサーの末子。
覇王ルーサーに姿が一番似ているとされている。
漆黒の髪に、漆黒の瞳。そして服装も漆黒である。
とにかく黒を好んだ父と、ほぼ一緒の趣味嗜好であった。
唯一違うのは装飾品が好きな事。
父であるルーサーは、自分の服の上に、アクセサリーをジャラジャラと着用するのを嫌う。
「それにしても、こちらでお会いするとは? レナトゥス様、何の御用があるのでしょうか?」
「用などありませんの。たまたまこちらに来ただけでございます」
おほほと軽く微笑んで、自分の気持ちを誤魔化した。
ここで正直に、『ここがつまんねえんから来たんだわ』とは言えない。
「そうですか」
ここの三階には、お客様が楽しむような施設がない。
だから、アドニスは首を傾げていた。
「それでは、アドニス様の貴重なお時間を取らせるのも悪いので、ここで失礼致します」
「え、ああ、はい。お元気で」
「はい。アドニス様も」
レナは廊下の真ん中をアドニスに譲り、廊下の右端を歩く。
格上に道を譲る形を取ってこの場から去った。
すれ違った後のアドニスは、後ろをピタリと追従している男の子に話しかける。
「ジバル」
「はっ」
切れ長の目がアドニスを見つめる。
無表情な顔を変えずにジバルは答えた。
「監視しろ」
「はっ。どの程度でしょうか」
「うむ。ここにいること自体が怪しいからな。彼女がここに滞在するまでの間。つかず離れずでいろ。見つかるなよ」
「はっ。移動します」
「うむ」
アドニスから一歩後ろに遠のくと、ジバルの姿は廊下の風景に溶け込んだ。
「何をする気だ。レナトゥス……噂では、貴様があの『聖女』なのだろう。ふっ、今ここで、私が手綱を握っておかねばな。父は野放しにするらしいが、私は違う。いずれ私の国が。いいや、この帝国が使ってみせよう。そのために私の妻にせねばな。フハハハ」
静かな廊下で小さく笑うアドニスは、何かを企んでいた。
◇
アドニスとすれ違った後のレナは、そのまま北廊下を歩いた。
目指すは西廊下の中央の窓から見える黄金庭園で、そこにはどんなお花が並んでいるのだろうと、ウキウキした気持ちでいた時に、右手側にある窓ガラスが気になった。
ガラスから外を眺めると、そこに広がっているのは、帝都から見える北の景色だ。
「うわあ。ここ綺麗だぁ」
帝都城から見える北の景色は、大平原と東側に映るゼムリア湖。
少し歪な形をしていても透き通った水を持っている。
手を入れようとすると、どこからが水か分からないくらいに、透明な水をしているのだ。
水に濡れてから、初めて水を実感する。
そう言われているくらいに、綺麗な水らしい。
この二つの景色が同時に見える窓ガラスは、絵画を切り取ったようだった。
とにかく美しさに感心しているレナは。
「凄い」
顔を寄せてガラスに手を突いていた。
もっともっと景色を見てみたいと、おでこまでガラスに寄せる。
すると視野の下に鮮やかな黄色が見えた。
「ん? あれ??」
おでこの角度を変えて、強引に下を覗き込むと、帝都城の北の外れには、小さな花壇があった。
小さな小屋の周りにある小さな花壇には、とても元気な花々がある。
「綺麗だわ……あそこも、とっても綺麗。ん? 誰かいる??」
花壇の前で、少年が呆然としていた。
小さな手で持つには、やっとの大きさのじょうろを片手に持っている。
そこから察するに、綺麗な花を愛でているのが、そこにいる少年のようなのだ。
「彼が、あの花を? まだ小さいのに……あんなに綺麗なお花を育てているの?」
疑問はあるけれど、それよりもまずレナは、彼の立ち姿を見ただけで胸が苦しめられた。
顔も見えないのに、彼からは悲しみが溢れている。
深く暗い暗雲が彼の体の中から出ている気がした。
そんな立ち姿が、あの美しい花々の中にある違和感。
お転婆なレナが、一点を集中して見つめるくらいに。少年から出ている違和感が異質だった。
「レナ様? どうかされましたか? そんなところで止まって?」
「い。いえ。なんでもありません」
「そうですか。ほら、こちらですよ。あそこの曲がり角をいけば、あと少しで黄金庭園です」
「わ、わかりました」
ヒルケンシュタインに促されたので、後ろ髪を引かれる思いでレナはこの場を後にした。
あの花だけじゃなく、近くで少年の顔を見てみたいとも思いながら。彼女は目的の地に辿り着く。
◇
黄金庭園はたしかに美しい。
咲き誇る花々の色の配置に、それ自体の輝き。人の手入れがよく行き届いている事が窺える。
これは誰が見ても、美しいとの感想が第一声で出て来るだろう。
しかし、今のレナにとっては、このような風景など、どうでもよかった。
「全然。綺麗じゃない……不自然よ。気味が悪い」
レナの目には、この咲き誇る花々が別な景色に映っている。
感じるのは窮屈。
そんな風に感じてしまう。
彼女には、花々の周辺にある魔法の残滓が見えていた。
強制発動している力が、花たちを強引に咲かせている。
それに対して。
「彼の花壇……あそこの花は伸び伸びとしていたわ。だって、今の季節の花だもん。自分のタイミングで咲いているから。あそこが美しいんだ」
少年の花は綺麗で、自由があった。
強制とは違う解放があそこにはあった。
「それに、あの花たち。とっても嬉しそうだった。あのマナも美しかったし、それに彼の周りにあったマナもとても喜んでたわ。彼、自然に愛されている子なんだわ」
少年の周りには黄金のマナがあった。
ふらふらと彼の体の周りに浮かんでいた。
でも彼自体は暗い雰囲気を醸し出していた。
その中で、何故か彼の意思と正反対の眩い光を持っている。
闇と光。双方が見え隠れするのは何故だろう。
物思いにふけるかのように、レナは黄金庭園を見ているけど、見ていない。
「レナ様。どうですか。この美しさは」
「ええ。もういいです。帰ります」
「え? レナ様。までこちらに来たばかりですぞ」
「もう十分です」
あれだけ楽しみにしてくれたのに、何故か目的地に到着すると同時に落胆した様子を見せた事で、ヒルケンシュタインは、彼女の様子を心配した。
もしかして、強引にお連れしたことが影響したか。
それとも、花が気に入らなかったのか。
執事としては主の気に召さない物を見せてしまった事を後悔していた。
来た道を戻る間。
「レナ様」
「……」
「レナ様」
「…………」
聞こえていない。
なぜか上の空だった。
西廊下の曲がり角を曲がって北の廊下を歩く。
途中の大きな窓で立ち止まると、彼女はとても悲しそうな顔をした。
何かがあるのかと思い、ヒルケンシュタインも彼女が見ている場所を見る。
「何もない……いや、小屋か? なんだ。みすぼらしい花壇に花が咲いているな。あれが気になったのか。あのお嬢様が?」
この時には、少年がおらず。
だからレナは更に落胆して、北廊下を歩きだしたのである。
「レナ様!」
「………」
全く反応を示さずに、彼女は客間に戻っていった。
◇
そこからしばらくの間、レナは大人しかった。
それを心配したメイドらは、彼女の好物のプリンを持って来たり、いつも一緒になって遊んでいるあやとりなどで、気を引こうとしたのだが、端にも棒にも掛からず。
いつもは、お転婆なので、こちらから何かをしなくても、遊びを提案するような子が・・・。
今では何も手付かずの少女と化してしまった。
それが何だか無性に不安になる。
彼らは心配で心配でたまらなかった。
そんな事はつゆしらず。
彼女は、何か一つ動くだけでもため息をつくようになった。
レナの頭の中では、少年が持つ暗さと、少年の育てた花の明るさが、相反しているその姿が気になって、どうしても頭から離れていってくれなかった。
翌々日。
教皇バロンが部屋に戻って来た。
昼食の際にバロンは、前日に頼まれたことをレナに報告する。
「レナ」
「……」
「レナ?」
「…はい。お爺様?」
「どうした。ぼうっとしておるぞ」
「…ええ、なんでもありませんわ」
「そうか」
食事中の手が止まっている。
さすがにおかしいと思ったバロンだが、話したかった内容の続きを話し出した。
「レナ。お前が庭の方に行きたいとの話」
「…はい。どうなりましたか」
「許可が出たぞ。城の正面。出入り口となる橋付近は駄目と言われたが。こちら側なら別に好きにして良いとのことだ」
「本当ですか。ありがとうございます」
「うむ。ただし気をつけるんだぞ。ヒルを連れていけ。それと北側に行ったらいかんらしい。いいか。北側は禁止だ」
北に行くのが禁止。
でもレナが行きたいのは北だった。
少年がいるのはそこだからだ。
でも禁止されようが、そんなことは関係ない。
一度外に出てしまえば、どうにでもなると。
レナは返事を中途半端にしてぼかした。
「……はい。わかりました」
と言った後。
急ピッチでご飯を食べ続ける。吸い込むようにして料理を食べ続けた。
「な? なんだ。なぜ元気になったのだ」
戸惑うバロンを尻目にレナは完食した。
先程までの憂いた表情に、慎ましい感じの食事の仕方はどこ行ったのか。
周りの人間たちは唖然とした。
◇
その後、レナはヒルケンシュタインの目を盗んで、外に出た。
彼がそばにいれば、北側には到達できないと思ったから。
一人でトイレに行く振りをして、部屋を飛び出して、コソコソと城の正面から西の庭へ行った。
そして、西にある。
この世で一番だという黄金庭園を見向きもせずに通り抜けていき、彼女は北の小さな小屋まで一直線に走り続けた。
高鳴る鼓動は、何も走ったからじゃない。
あの少年に出会えるかもしれないという淡い期待が、彼女の胸の鼓動を激しくさせた。
あの花を感じたい。あの子に会いたい。
そんな思いに駆られたレナの目に、少年の背中が見えた。
上から見た時よりも、近くで見たら、より一層に雰囲気が暗い。
しかし、それに反して、彼の周りには、たくさんの光があった。
この子は、マナに愛されている。
自然が彼を愛している。
多くの迷える信者を見てきたレナの経験上。
これほどのマナに愛されている人間を見た事がなかった。
だから、少年の顔を見てみたいと思ってしまった。
本当は、北に来てはいけないのに、それを破ってでも、彼に会ってみたいと思ったのだ。
「ねえ。そこの君。こんな所で何をしてるの?」
この出会いは決して偶然じゃない。
碧き力を持つ少女と、黄金の瞳の少年は、どうあがいても出会う運命しかなかった。
必然が待っていたのだ。
彼女の何気ない一言から始まるのが。
ゼロム戦記史上最大の歴史である。
この呼びかけが、黄金の少年を、世界の救世主たらしめることになるのを、この時の碧の少女は、まだ知らない。
運命の黄金と碧が邂逅する。
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