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「パートロ、ここにいたの?今日はヴレノシュの……て、そうか、昨日帰ったのか」

「そう言うことです。なので、今日はパートロ先生だ。懐かしいだろ、メイペス」


 建物インスラの一室。

 学教室と呼ばれるこの部屋で、エデノの子供は、独り部屋に移る十二歳までの三年間利用し、文字や計算、作物の育成や昔話について知る。


「わたしもここで、パートロやヴレノシュたちに教えてもらったなあ…………昔話だけを信じていた頃が、懐かしい」メイペスは、ほんの数年前の事だというのに、遠い目で思い返している。


 エデノの昔話は、理想郷を求めた十五人の旅人がこの地に辿り着き、苦心して礎を築いた、というものでエデノに住む者であれば、誰もが知っている。

 ここで、改めて聞かされるが、エデノの最も一般的な読み物でもある。


 そこまでは。


【把握】が代替わりする時、【初めの旅人の血を引く者】は真実を聞く。

 口伝でのみ伝えられる物語。


 理由さえ曖昧な争いが続く国の片隅に、貧しい村があった。

 捨鉢な兵士の行軍は、村の微々たる作物を強奪し、人々を蹂躙した。

 そんな村を救ったのは敵国だった。

 しかし、「敵」兵に救われたはずの人々は、丸腰だった兵士を「敵」だからと襲撃した。

 忘恩の行為に恐怖した者が、同じ想いの幼馴染と共に、逃げ出した。


 肌の色が違うと、喋れもしない幼い時から賎民として虐げられた少年がいた。

 家畜のような扱いを受け、家畜のように繁殖を強いられた。

 新たな家畜に隷従を与えるためだけに。

 生まれた落ちた子供たちに、自分と同じ轍を踏ませることに不憫に思った彼は、成り行きとは云え、命を預かった女と子供たちを連れ出し、逃げ出した。


 聖職者として真摯な男性が、新たな世界の見方を信じたために裏切り者と見なされ異端の烙印を押された。

 主に背いた罰として、まず両手両足の爪を剥がされ、子を成す術を奪われた。

 冤罪の僅かな相違は、彼に確固たる理念を与え、静かに信念を説き続けた。

 けれど、度重なる拷問と追従に限界は耐えかねて、逃げ出した。


 為政者の敷いた悪政に、些細な忠告をした政治家の男性は、報復を向けられ、詰まらない怒りと見せしめの為に、妻と娘を公然で甚振られる悲劇を見せつけられた。

 勝ち誇ったように嘲笑う為政者と、悪政に甘んじる民に悲憤慷慨し、救出した妻娘と共に逃げ出した。


 堅実で慈悲深い領主の娘は、器量の良さも相まって、両親に慈しまれ、使用人や領民に慕われ、また彼女も同じように返した。

 しかし目先の欲に眩んだ、嘗て恵愛した者たちに狡猾怜悧に貶められ、優しい従者の手引きで逃げ出した。


 逃げ出した先で彼らは運命的に出会い、意気投合し、理想郷を求める旅に出た。

 幾年月の後、彼らはこのエデノの地に辿り着いた。

 根を下ろすまでの道程で、家族の構成は形を変えたが、それは些末事でしかない。


 その話を聞き、知らない言葉の一つ一つが紐解かれた時、【初めの旅人の血を引く者】は多分に漏れず涙する。

 自分達に流れる血に、理想と希望をかけた途方もない想いを知る。


「パートロは、旅人の話で泣いた?」

「…………あれは、辛いよなあ」

「見えないものに振り回されて、人を傷つけたり、ましてや殺めたりする世界があるなんて、知りたくなかった」

「だよなあ。今だによくわからん」


 エデノの決まりごとにおける最優先事項は「争わないこと」。

 これを基に、争いの火種となる差別や身分、宗教、権力、組織の概念を取り払い、平等を掲げ、独占を禁じている。

 概念そのものを排除するため、「独り占めをしないこと」と具体的にし、「空と大地に感謝すること」「約束を守ること」と加えられている。


 エデノに生活するものは全員、建物インスラに共に暮らす。

 個別に家を持たず、家族を組織しないために、家名はない。

 十二歳から一人前と扱われ、一人部屋を与えられる。


 【初めの旅人の血を引く者】は『独り占めをしないこと』という決まり事の、単純でいて、底知れない深い本当の願いが込められていることを心に刻む。


 それは、自分達が【初めの旅人の血を引く者】ということは知っていても、誰の血を受け継いでいるか知らないことにも関係しているのだと思った。


「新来者は折角エデノに辿り着いても、怪我が癒えれば、争いのある外に戻るのだから、本当に理解できないわ」メイペスは溜め息をつく。

「だよなあ……」パートロは上の空で繰り返す。


 新来者にしてみれば、エデノの決まり事は歪でしかない。


 最初こそ、平和な理想郷だなんだと喜ぶが、暮らしが落ち着くと、社会の組織として家族という枠さえ良しとしない、エデノの考え方は、馴染めないらしい。


「ねえ、パートロ。ヴレノシュが帰って、寂しい?」

「まあね。二十年、共に暮らしたからね」

「もう、二度と会えないのよね」

「でも、メイペス。君を残してくれたんだ」

「お父さん、て言うのよね。外では。だけど、家族って、そんなに大事なのかな。皆を大事にしてれば済むことじゃない」


 エデノでは、人は皆、平等に扱われる。

 本人の意思を最優先し、無理強いをすることはない。

 外からの新来者に対しても、暮らすも去るも強いることはない。


 けれど、エデノを出ると二度と戻ってくることは出来なくなる。

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