第6話
困惑のまま進む僕に、執事は背を向けたまま自己紹介を始めた。
「私は執事のヘルマンです。この屋敷全般の管理を任されています。まさか、人形をお連れになるとは思っておりませんでした。お若い優秀な方をとお願いしたのですが、素晴らしい方に来ていただけました」
歩きながらざっくりと屋敷の説明も進む。
屋敷はTの形をしており、3階建てだそうだ。
右翼と左翼に分かれており、中央から伸びる各階の部屋は、大広間となっている。
右翼は調理場や執事室など裏方の部屋が備わり、逆の左翼はまるまる客室で、客室は3室ずつ。どの部屋にもシャワー室、トイレが備わっているという。
現在向かっているのは、左翼の1階だ。
「他に、その、お客様がいらっしゃるんですか?」
「いいえ。ですが、魔石鍵がかかっていた部屋に、死体がありまして」
「窓も施錠を……されてますよね、魔石鍵ですもんね」
「もちろんです。死体は、多分、侍女のアンジーだと思うのですが……」
近づいているのがわかる。
匂いが足跡のよう。
一歩進むたびに濃くなる死の匂いに、鼻がむずりとする。
「こちらです」
すでに2人の侍女と、土で汚れていることから、庭師だろう男2人が立っている。
侍女の年はどちらも20歳ぐらい。黒のワンピースに白いフリルのついたエプロンをつけ、長身の赤毛の侍女は唇をかみしめながら床を見つめ、小柄の金髪の次女は、もう一人の次女の肩に隠れるように嗚咽をもらして泣いている。
男は、どちらもくすんだ色のシャツにオーバーホールを着ており、2人ともに足元の泥は生乾きのため、ここに来てからそう時間は経っていない。
ただ青年は無表情で突っ立っているのに対し、白い髭を蓄えた初老は沈痛な面持ちで、麦わらの帽子をぎゅっと握っている。
執事はドアの前に立ち、止まった。
素早くハンカチを鼻にあて、準備をすると、ためらいながらもドアノブに手をかける。
僕はロドスに鞄を置くように伝え、胸ポケットの手帳を取り出した。
浅い呼吸で、肺に空気を何度も送る。
「開けますね」
粘度を帯びた臭気が肌にまとわりつく。
暗い部屋のせいで余計に大雨が続いた室内のように、じっとりと重い。
ヘルマンは慣れた手つきで、壁のスイッチを上げた。
室内にあるシャンデリアを灯すためだ。
カチッ……
模造キャンドルの先にクリスタルがあり、魔石の魔力を流すことで光る仕組みだ。
炎の灯りのように、ゆらゆらと影が揺れる。
カーテンを開けていない部屋は、昼間なのに煌々としていて、少し目が痛い。
ベッドが部屋の中央に1つ、サイドテーブルと一人掛けのソファが1つ。
その間に、黒いものが横たわっている。
見つけた瞬間、ぞわりと肌が粟立った。
──どろどろに腐敗が進んだ人間が、ある。
僕は素早く心の黒い本を開いた。
感情のまま荒ぶった波をイメージする。
その波を、大きな大きな黒い本に流し込んでいく。
次第に波は緩やかになり、さざなみすらもなくなる。
視界にはある。
だが、そこに『あるもの』と認識する。
それだけだと、思い込む。
そう、ただ死体があるだけ────
溶けた死体など、見る機会はないだろうとたかを括っていたが、人生、何が起こるかわからない。
そういった死体を見たり、思い出したりすることで、過去のフラッシュバックが起こり、魔術の暴走が起きてしまうことがあるのだ。
10歳のときの暴走では、ゴブリンの巣ができた樹林帯を焼き払ってしまっている。
今なら、どれほどの被害がでるか、自分でも想像できない。
何度も何度も、乱れる精神を整えるため心を整える訓練をしてきた甲斐があった。
『──こういうこともあるからね。覚えておいてよかっただろ?』
育ての親の声がする。
ひゅっと息を3回吐きすて、心の黒い本をばたんと閉じた。
「あ、あの、アキム様……?」
「……はい、大丈夫です、ヘルマンさん」
僕はその場にひざまづくと、イジェスへ命を届ける祈りを捧げる。
そして、溶けた遺体をつぶさに見つめる。
部屋の前にいた侍女と同じく、黒い長袖のワンピースに、フリルのついた白いエプロンがかかっている。だが、それも赤茶色に染まり、腐った体液がどっぷり染み込んで、とても重そうだ。
温室となった部屋のせいで腐敗が早かったと見れば、死後2週間程度とみていい。
そう、メモを取っていると、
「慣れてらっしゃるんですね、お若いのに」
ヘルマンの声が後ろで聞こえたが、ハンカチ越しのせいで声が小さい。
「……僕は、その、あー、戦争孤児でして」
「なるほど」
ヘルマンとのやりとりを縫って、後ろから侍女たちの声が聞こえた。
昨日までいっしょにいたのに……
僕はすぐに時間魔術を展開。
この遺体の時間軸が違う可能性がある。
なぜなら、昨日まで生きて働いていたなら、この死体の腐敗具合は、絶対におかしい。
手のひらに時間魔術の文字を魔力をこめながらなぞると、菱形の魔術式がでてくる。
それを遺体と同じ大きさになるように両手を広げ、拡大し、両手から溢れ出た光の束で遺体を包みこむ。
これで遺体の時間は止められるはずだ。
仮に遺体を動かすことで何か魔術が発動しようにも、時間を止めてあるので発動はしないはず。
だが、それを見越しての魔術が施されていたなら、もう僕は魔術の反撃、または反転魔法で、大怪我、あるいは即死していたかもしれない。
「もっと慎重に動かないとダメだな……」
僕は自分に言い聞かせながら魔術での処理を進め、ロドスを手招きした。
「この部屋の状況と、遺体の記録を取ってくれるかな」
ロドスは、鏡面の顔に映し出されたものを全て記録することができる仕様なのだ。
通常は屋敷内での動線を把握するための機能なのだが、まさか、こんな活用をすることになるとは思っていなかった。
ふと、赤毛の侍女と目が合った。
「あの、昨日までって本当ですか?」
僕の唐突な質問に驚いたのか大きく肩を振るわせながらも、コクコクと大きく頷いた。
「え、そ、そうです、昨日までいっしょでした」
「ずっと、いっしょだったのですか?」
「それは……えっと、そうですね、お昼の時間もいっしょでした。……あ、あと、昨日、お屋敷から上がる時間がいっしょだったので、同じ時刻に寮に戻りました」
「その時刻は?」
「時刻は……、日が落ちたころなので、18時30分を回ったところでしょうか」
手早くメモを追加し、魔術探知の魔法陣を手のひらに出す。
魔術の痕跡を探すためだ。
ただ半日以上経っているため、痕跡として残っていない可能性もある。
それでも調べない理由はない。
手のひらに浮かぶ菱形の魔法陣を遺体にまんべんなく照らしていくと、青白く、鈍く光る箇所がある。
魔術を使った痕跡だ。
「右肩……?」
見れば、右肩から右腕が切り落とされている。
気づかなかったのは、服に傷がなかったことと、腐敗が進みすぎているため、腕のような細い箇所は骨のみの箇所が多かったのもある。
しかし、肝心の右腕はどこにもない。ベッドの下にももちろんない。
「何か、お探しで……?」
「彼女の右腕がありません」
僕が告げると、ぎゅっと呼吸が止まる音がする。
それは侍女が悲鳴を飲み込んだ声だった。
二人は恐怖で顔を強張らせ、泣いてはいない赤毛の侍女の手は、肩で震える侍女の袖を握っている。
青年の顔は深く俯き、足が半歩下がる。引ける腰を掴むように、初老が青年の背中に手を回すと、ベルトを握り、ぎゅっと持ち上げた。青年は一瞬背筋を伸ばすが、また肩をすぼめて、身を固くした。
「ロドス、服をめくってくれるかな」
僕が指を刺した右腕の袖をロドスは丁寧にめくってくれた。
ずっしりと重くなった袖はやはり何もなく、首周りから服を捲ると、切り口がよく見える。
鎖骨からざっくりと切り取られているが、鋭利な箇所もあれば、引きちぎられた筋肉も見え、かなり力任せな切り口だ。
だが、やはり衣服に傷は全くない。
「……あの、ヘルマンさん、これは、村の警備兵にも連絡し」
「臭すぎるぞ! 異臭はここかっ!」
僕の提案を遮るように叫ぶ声がする。
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