第5話
称賛を瞬間的に浴びたものの、潮が引いたように人垣が消えていく。
「意外と、ヒーローってあっけないね」
僕がロドスに言うと、気にするなとばかりに肩をさすられた。
気を取り直し、露店で特産のアップルシードルを飲みつつ、胸ポケットに入れてある手帳を取り出した。屋敷までの道を確認するためだ。
少し日差しが暑いが、午前中だ。昼前には間違いなく到着できる、はず。
歩きやすい大通りを通り過ぎ、繁華街を抜け、簡素な門をくぐれば、牧草地が広がり、さらに奥に湖畔が伸びる。湖畔の縁に目を凝らせば、豪華な屋敷がぽつりぽつりと建ててある。どれも嗜好に富んだ大きな屋敷ばかりで、僕は納得した。
「これはペガサス、下ろせないね……」
ロドスもこくりと頷く理由は、石畳ではないこの土の路面にペガサスが降りれば、どんなに離れていても、屋敷に傷がついたと貴族は騒ぐのだ。
いや、そう言う貴族ばかりじゃないのもわかるが、こういう成金エリアは、そういう貴族が多いのが、今までの経験則で学んできている。
『瑣末なことでも揚げ足を取ってくるのが、成金貴族ってヤツ。だいたいは二世で潰れるんだよねぇ』
貴族の目の前で、ヴォルガから言われた時は肝を冷やしたのを思い出す。
もしかして、ヴォルガだからすぐ問題にならなかっただけで、僕はすでにあの頃から、目をつけられていて、今回の事態になってる、とか……?
くだらない過去と現在をつなげて考えていると、三叉路が現れた。
中央に7本の案内板が掲げられ、すべて貴族の名前が彫られてある。
その中でも、ひと際大きな案内板にベナンの文字を見つけた僕は、矢印の通り右へと進んだ。
「うわっ」
地面がぬかるんで、さっそくブーツが泥に埋まる。
ロドスが拭うそぶりを見せるので、
「屋敷の前に着いたらお願いするね」
声をかけると、ロドスはまた僕の後ろにつき直してくれる。
最近、大雨でも降ったようだ。
しかし、このぬかるみでは、大荷物の馬車は走れない。
食材調達など、どうこなしているのかと思っていると、
「──騎士様、失礼」
横を過ぎていったのは、商人の牛型ゴーレムだ。
人はその横について歩いている。
牛型ゴーレムはぬかるみに強く、馬よりは遅いが、実物の牛より歩くのは速い。
いくつかのタグが見えたが、貴族の紋章と頭文字が付けられており、各別荘を回って歩くのだろう。
路面を見れば、牛型ゴーレムの足跡が多数ある。
しかしながら、魔石商の店舗が多かった理由はこれか。
「……魔石の消費、すごいんだなぁ。あ、ロドスの魔石は大丈夫?」
ロドスは指を4本立てた。
5本の内、4本が残っているという意味だ。まだまだ問題ない。
ぬかるんだ箇所を避けながら歩いて15分、短い並木道を抜けてすぐ、ステンドグラスと庭園を掛け合わせた“硝子屋敷”が現れた。
ベナン卿が新婚の頃に住んでいたとされる屋敷で、現在はディルク所有の別荘だ。
「ロドス、綺麗な庭だね……。懐かしいね」
門をくぐり、庭園のなかを歩いていく。
湿地のどこか水の濁った匂いは消え、清々しい爽やかな香りが体を包んでくれる。
緑と茶色しかなかった景色に色が宿り、屋敷がより鮮やかだ。
屋敷の壁には、硝子屋敷の名の通り、ステンドグラスがあちこちに嵌め込まれ、ちらちらと光が地面に落ちて、花の色が地面に降っているようだ。ロドスの顔にも赤色が差し、少しだけ人に見えるのが面白い。
屋敷の正面扉に続く短い白階段の手前にあった泥落としで靴の泥をこそぎ落とすと、手早くロドスが他の泥を拭ってくれた。
改めて階段を登り、ドアの横に下がるベルの紐を3回引く。
がらん がらん がらん
胸ポケットから出した懐中時計は、13時を回ったところだ。
挨拶の準備は整えてある。
大丈夫。挨拶はできる。
「……あ! 騎士様、ちょうどよかった!」
ドアが開いたと同時に初老が顔をだした。
挨拶をしようと胸に手を当てるが、その手首がつかまれる。
屋敷の中に引き込まれ、初老は早々に歩きだした。
僕の後ろをロドスが鞄を抱えてついてくるが、初老はちらりと確認するも、そのまま歩いていく。
初老のジャケットから、懐かしい匂いが流れてくる。
……死臭だ。
僕は歩きながら初老の全身を見回した。
初老は執事で間違いない。
腰回りを隠すようなジャケットに、魔石鍵の束が揺れている。
だが、常にはめているべき手袋がない。
何かがあって外したのだろう。
一瞬だけ見えた首元は、襟がゆるめられていた。
息苦しい状態があった、ということだ。
僕は執事の背中に向けて問いかける。
「あ、あの、なにがあったんです……?」
「……その、死体がありまして」
声音からして、隠したい意図を感じる。
誰もいない廊下にもかかわらず、声が小さい。
それに合わせ僕も声のトーンを落とすも、内心、喜んでしまった。
結婚式がなくなったのは間違いないからだ。
「では、挙式は中止で……」
「行ないます」
歩きながら振り返った執事の目は、言葉以上に断言している。
「3日後の挙式までに犯人を見つけてください、碧薔薇の聖騎士、アキム様」
唐突な事件の始まりなのに、僕の足は止めることを許されない。
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