第2話 優しい噓
ジマリハ街のとある酒場。
石造りの建物が並ぶなか、ポツンとある木造建築で少し浮いているそこは、数十年の歴史を持つ老舗。
建物こそ古めかしいが今もなお、昔と変わらない賑わいを見せていた。
今日を除いて——
朝、店を開けてからお昼までは妖魔が訪れ、昼時には人間の客も増えていく。
今は昼前、いつもだったら妖魔が来るはずなのだが、今日は一切現れなかった。
マスターを務めるのは筋骨隆々の大男。緑色のもさもさとした髪が目元を隠していて、少し近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
そこに、店の奥から金髪の少女が姿を現す。
「ベアさーん、お客さん来たー?」
「いいや、まだ来ないな」
「そっか」
少女は答えながら、ベアの目の前のカウンター席に座る。
「それにしても変だよね、開店してから一時間もたってるのに誰も来ないなんて」
「そうだな」
そこに、店の奥からもう一人、女が姿を現す。
「おい、リリィ。店に立つときは髪を結べって言っただろ」
「まだ肩に付いてないからいいでしょ」
「ギリギリだからダメだ」
「はいはい、お客さん来たらねー」
赤い髪を後ろに纏めて縛っている隻腕の女性は、アリスタータ。リリィの師であり、母親のような存在だ。
リリィの母親は、幼いころに亡くなってしまった。
その後、同じレジスタンスの一員であったアリスタータに引き取られ、レジスタンスの隠れ家でもあったベアの酒場で二人に育てられた。
血は繋がっていないが、リリィにとって二人は本物の母親と父親なのだ。
「おい、エール」
「いや、アンタ仕事中だろ」
リリィの隣に座るや否やアリスタータがした注文を、即座にベアは拒否する。
「そうだよ、いくらお客さんがいないからって……」
リリィが言いかけたところで、来店を告げるドアベルが鳴り響く。
「ほら、お客さん来たよ。いらっしゃいませ……ってあんたか」
訪れたのは一人の男。
彼は『鴉』と呼ばれる腕利きの情報屋だ。黒衣を纏い、黒く短い髪をオールバックにした、黒ずくめの男だ。
月に1,2回ほどの頻度で訪ねてくるのだが、いつもとは様子が違った。
柔らかな笑みを浮かべ、明るく気さくに挨拶を返してくるはずが、今日はいつになく真剣な表情を浮かべている。
「すまないが急を要する。落ち着いて聞いてほしい」
何かただらなぬ空気に緊張感が走る。
「リリィの捕縛命令が魔族の王より出された」
「へ?」
あまりにも突拍子が無く、思わず変な声が出てしまった。
彼の情報は今まで1度も間違えたことが無い。だが、今回のはあまりにも現実味が無さ過ぎたのだ。
魔族の王が、何の関係も無いただの人間の少女を狙うなど、吐くならもっとまともな嘘を吐けという話だ。
しかし、不思議なことにアリスタータとベアは驚く様子を見せなかった。
むしろ、先ほどよりも真剣な表情をしていた。
「アリスさん……?」
「……」
心臓が大きくドクンと跳ねる。重苦しい2人の雰囲気が、『鴉』の言葉を事実だと告げているような気がして。
「今日、妖魔がこの店に来ていないだろ?全員、クレーの元に召集されている。じきにここへ妖魔を引き連れてくるだろう」
魔族のトップであり、地上を統べる8人の魔族、
この地の
「伝えるべきことは伝えた。どうするかは君たち次第だ、悪いが私はお暇させていただくよ」
そう言って『鴉』は酒場から出ていく。
残された三人は、突風のような『鴉』の行動に唖然とする。
そして、少しばかりの静寂の後、アリスタータが意を決したように口を開く。
「……リリィ、今すぐ荷物をまとめて裏口から逃げろ」
「え?」
「あいつの言っていることは本当だ」
「なんで……そう言い切れるの?」
『鴉』の情報はいつも正確だ。
だからと言って、今回の件はそう簡単に信じられるものではない。しかし、それに確信を持たせるモノを、アリスタータとベアは知っていた。
「サルビアさん……お前の母さんの遺書に書いてあった、お前がいつか魔族に狙われることになると」
「なんで……?」
「悪いがそこまではわからん。だが、あの人がわざわざ遺書に残すぐらいだ。事実だとしても何らおかしくはない」
詳しい理由はわからないが、リリィが狙われているというのはほぼ間違いみたいだ。
「でも、逃げるってどこに……」
「お前の母さんの知り合いを頼るように頼まれてる。北にある濃霧の森、その奥に住んでるらしい」
「濃霧の森……」
一年中霧に覆われた森で、一度入ったら二度と出られないと言われている、妖魔や魔族すらも近づかない危険な場所だ。
たしかに身を隠すにはいいかもしれないが、本当にその場所に人なんて住んでいるのだろうか。
不安ではあるが死んだ母の残した言伝を、今は信じるしかない。
「金のレジスタンスの証を付けているはずだ。何が出てきてもそれを目印にしろ」
コスモスの花をあしらったネックレス、それがレジスタンスの証。
そして、金色はレジスタンスのリーダーのみが持つ、かつてサルビアが身に着けていたものだ。
「わかった、じゃあ、二人も一緒に……」
「いいや、私達はここに残る」
「どうして?」
アリスタータは、少し間をおいてからばつが悪そうに話し始めた。
「いや、私達までいなくなったら、あれだろ、怪しまれるだろ?適当に今日からお前が姿を消したとかさ、理由をつけて追い返したら、後で会いに行ってやるからさ」
「……」
しどろもどろに紡がれた言葉。それが、リリィを納得させるための嘘だというのは、すぐにわかった。
昔からアリスタータは嘘を吐くのが下手だった。それっぽいこと言ってはいるが、あからさまに話し方がぎこちなくなる。
でも、決して嫌なものではない。
リリィに対して吐く嘘は全部、彼女を心配させないためのもの。安心させようと、必死に紡ぐ優しい嘘。
昔、魔物に襲われて怪我をした時も、危険を冒して遠くまで薬草を取りに行ったことを、必死に隠そうとしてたっけ。
だからリリィはいつも気づかないふりをする。でも、今日だけは——
「リリィ。こっちは大丈夫だから行って来なさい」
ベアの放った言葉は、しどろもどろだったアリスタータとは違い、力強く重みのある一言だった。
「……」
「
ベアの強い意志を感じたリリィは何も言えなかった。
それほどまでに強い覚悟を感じ取ってしまったからだ。そして、それが何を意味するのか、わかった上でどうしようも出来なかった。
「……、わかった」
荷物をまとめに、奥の部屋に入っていくリリィを二人は無言で見送る。
これできっと最後になる。
分かっていても、何か特別な送り出しをするわけにはいかない。
彼女に悟られないよう、なるべくいつも通りに、何事も無いように。
魔女のツガイ ユリアス @Yurias0228
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