第29話 太田檸檬と高崎緋彩は負けない。③

 気づけば勝負は明日に迫っていた。あれからというもの、講義が終わればテニスの練習の繰り返しだった。

 高崎緋彩の指導はかなりきつかった。個人的な恨みが込められていそうな理不尽な内容もあったが、その甲斐あって当時よりも技術が上がっているように感じる。おまけに体力もついてハードな練習にもついていけるようになった。

 太田檸檬も前衛の練習には勤しみ、俺中心の練習の時は「ファイトー」「ガンバー」と気持ちのこもってない形式的な声援を送ってくる。テニスあるあるだから気にはしないが。(そうだよね?)

 毎回ではないものの、吉井先輩も顔を出してくれて、その時は練習試合をする。俺と太田檸檬ペア、高崎緋彩と吉井先輩ペア。やっぱり試合形式の練習とただの基礎練、応用練は全く異なる。動きながら瞬時に判断が必要になる。高崎緋彩の打球は深くて、コース取りが圧倒的にうまい。それに追いつきながら、かつ適切なコースに返球しなければたちまち前衛である吉井先輩に取られてしまう。高崎緋彩の本来のプレースタイルなのだろう。前衛側にチャンスボールを集めてポイントを取っていく。まんまと俺はその策にハマり続けている。頭でわかっていても自然とボールが吸い込まれてしまうのだ。けれどそれは太田檸檬も理解している。俺が返球でいっぱいいっぱいになっていても、貪欲的に勝負に出て、ポイントを重ねていく。

 試合形式での練習は少なかったが、1回1回に収穫できたものは多かった。これで完璧とは思えないが、現役選手とやりあえるだけの感覚は取り戻せたと思っている。

 しかし、大学の講義後で、頭も体も使う、練習がある日は毎日へとへとで帰ってきた。

 唯一の救いは土日は練習がないこと。高崎緋彩と太田檸檬も体を休めるのも練習のうち、と言っていたが、休みを練習などと思いたくはない。そもそも、土日は団体が利用するため予約が取れなかった。つまりいずれにせよ休むしかないのだ。

 ということ一歩も部屋から出ない。何人たりとも部屋に入れない。服なんて寝巻きのままだし、髪の毛もボサボサだ。起きた時はすごい寝癖だったが、時間経過とともに落ち着いて、ただのボサボサになった。

 そしてテーブルの上にはポテトチップスと炭酸ジュース。それを食べながら溜め込んでいたゲームのタスクをこなして、異世界へ入り浸る。これが至高。

 やっぱり人付き合いは面倒だ。でもゲームの中のRPGの世界での人付き合いはできる。なぜならプログラミングされた人格であり、決められた感情しか見せないから。複雑な人間関係が設定されていることもある。でもゲームの世界だから必ずうまくいく。一方リアルの世界の人間関係はもっと複雑で、修復不可能になったらそのまま。救世主は現れないし、現れなかった──

 なんだか少し目が疲れた。ベッドに横たわって目を閉じる。瞼がじんじんとするのを感じる。

 テニスの練習は良好と言っていいだろう。一方で例の事件の情報収集は進展がない。

 かつてのサークルメンバーに聞き込みを続けても真新しい情報が出てこない。おかしいくらいに。情報統制が敷かれているのではないかと疑ってしまうくらいに皆同じことを言う。

 今回は男子テニス部員との勝負に勝てるだけでは意味がない。真にサークルが存続するためには、事件の真相を暴いて学連に具申するか、あるいは、吉井先輩の考えを変えて行動してもらうしかない。俺にとって後者の選択をすることはできない。なぜならその人の気持ちや感情に関わることだから。そんなの変えるの面倒だろ。

 休みの日にあれこれ考えるのはやめて、再度ファンタジーの世界に入り込もうとした時、訪問者を告げるチャイムが部屋の中にこだました。

 大体こういう時の予想は当たるもので、モニターを見るとやはりというべきか、そろそろくるんじゃないかと予測していた人物が映し出されていた。

 「どうした?」

 どこかに出掛けていたのだろう、めかした装いでいる。

 「ちょっと話せない?」

 不安げな表情と声音でモニターを見つめてくる。

 「今忙しいんだが。」

 「何かやってるの?」

 「・・・ゲーム。」

 「全然忙しくないじゃん!だったらいいでしょ!」

 「馬鹿言え。これから大事なレイドバトルがあるんだ。」

 「意味分かんないけど、ゲームならいつでもできるじゃん!」

 お前は俺の母ちゃんか?それとも彼女か?今の発言はゲーマーから嫌われるやつだな。

 「とにかく、お前を部屋にあげること自体が俺は嫌なんだよ。」

 「どして?」

 わかっていてとぼけた顔している。

 「嫌な記憶しかないからだ。」

 「だってあれは透君が覗いたのが悪いんでしょ?」

 悪戯っぽく口角をあげる。お前が仕向けた罠のくせに。しかしこうなると、俺が不利になることもわかっている。あの写真で揺さぶりをかけてくることも予測済みだ。

 故にその押し問答をするのも面倒なので、俺が折れるしかないのだ。

 「わかった、少し・・・」

 「それかファミレス行こうよ。」

 俺の言葉を遮って別の提案をしてきた。ファミレスか、それなら俺も妥協できるし、話を聞けば太田檸檬も満足するだろう。それに今日は菓子しか食ってなかったからな。夕食くらいまともなものを食べた方がいいだろう。

 「準備する。」

 「りょーかい!待ってるねー。」

 雑に敬礼するかのように右手を額付近に当てて画面から消えていった。

 服くらいは外に出れる格好にしよう。髪の毛は・・・まぁこのままでいいか。


 アパートから一番近いファミレスは、太田檸檬と会合したあのファミレスだ。ちょうど夕飯時のため店内は混み合っていた。順番待ちの名簿には、カタカナの名前が羅列されていたが、俺たちの前には3人くらい待機していて、思ったより少なかった。10分ほど待ったのち、名前が呼ばれて、4人掛けのテーブル席へ案内された。

 「前もこの席だったよね。」

 「ん?そうだっけか?」

 よくもそんなどうでも良いことを覚えているものだ。でも確かにこのテーブルから見える外の景色には見覚えがあった。

 テーブルに置かれたメニューには、春限定のいちごパフェの写真が大きく載っていた。日付を見るにどうやら今日までのようだ。

 が、俺はファミレスでデザートは食べない派だ。コンビニスイーツに限る。

 「うわっ、このいちごパフェ食べたかったんだよねー、しかも今日までじゃん!食べるしかないじゃん!」

 太田檸檬は食べる気満々なようで目を爛々と輝かせている。

 「透君も食べるでしょ?」

 「いや、俺はいらん。」

 「えーなんで、だって今日までだよ?」

 「俺は別に限定物に興味はない。」

 「美味しそうなのにー」

 少しがっかりしながらも、グランドメニューを広げてパラパラとめくりだす。

 「私チーズインハンバーグのセットにしよっと。」

 「え、もう決めたのか?」

 勝手なイメージだが、女子とは優柔不断でもっと決まるのに時間を費やすものと思っていたが、ものの数秒で決めてしまったことに驚いた。

 「うん、まぁこういうところくると大体食べるもの決まってるんだよねー。あ、透君はゆっくり決めて良いからね。」

 メニューを渡され俺もパラパラとめくるが、思ったより種類が豊富で迷ってしまう。この間はドリンクバーだけだったからメニューも何も見ずに決められたのだが、改めて見ると時間がかかってしまう理由もうなづける。

 変な偏見持ってすみませんでした。

 結局迷った挙句、太田檸檬と同じものを頼むことになってしまった。気持ち悪いだろうかと心配だったが、太田檸檬は気にしない様子で店内ベルを押して注文をしてくれた。一般的には男である俺がした方が良いんだろうが、口を挟む間も無く注文されてしまった。

 その後も他愛もない話題が続いた。てっきり明日のことについて、作戦会議だとか心配事でも話されるのかと思ったのだが拍子抜けだ。モニター越しに見たあの表情が嘘のように、いつも通りの明るい太田檸檬だった。

 食事を互いに平らげて少しすると、いちごパフェがやってきた。イチゴを練り込んだであろうソフトクリームに所狭しとイチゴを散りばめて、どこから食べてもイチゴが口に入るようになっている。春らしい爽やかな見た目だが、想像以上に大きく、高さが30センチ近くありそうな勢いだった。

 「でかくないか?」

 「そ、そうだね。」

 どうやら太田檸檬も予想だにしないサイズで面食らったようだ。

 最初は美味しい美味しいと食べ進めていたのだが、1/3ほど到達したところで、手が止まった。上目使いで俺に無言で訴えてくる。

 ため息をついて、仕方なく残りの分を食べることにした。確かに味はうまい。いちごは酸味が少し強めなため、クリームの甘ったるさを軽減してくれる。そのクリーム自体もそこまで重くなく、さっぱりと食べられる。それでも量が量だけにお腹にはずっしりとくる。

 なんとか食べ切れたものの、腹ははち切れそうな程に膨れている。しばらくは動けそうにない。

 「ごめん助かったよ。」

 両手を合わせて謝る仕草をする。

 「今度からちゃんと食い切れる量を注文しろよな。」

 「だってあんなに大きいと思わなかったんだもん。写真詐欺ってよく聞くけど、これは逆写真詐欺だね。」

 意味のわからんことを言っているが、それに反応する気力もないため「そうだな」と短く返答するだけにとどまった。

 しばらく太田檸檬はスマホをいじっていたが、落ち着きなくそわそわし始めた。俺と目が合うと、すぐに逸らしたが姿勢を正して再度目線を合わせてきた。

 「あのさ、明日のことなんだけど・・・」

 やっと本題か。この様子からして表向きは頑張って平静を保っていたようだ。

 「私たち勝てるかな?」

 「勝つためにやってきたんだろ?」

 「そうだけど・・・大丈夫かな・・・」

 テーブルに置かれているコップを両手でぎゅっと握りしめる。

 「意外だな。あんだけ啖呵切っていたから自信はあると思ってたぞ。」

 俺の言葉にすぐには反応せず、ふた呼吸ほどあけてゆっくりと口を開いた。

 「実は、すごく怖かったんだ。あの時はほとんど無意識で、勢いだけで喋ってた。年上の先輩にあんな剣幕で接したことなかったし。だから冷静になった時に、すごく怖くなって。」

 コップを握る力が強くなっている。肩にも力が入って、上がっているのがわかる。

 確かにたかが1年が、上級生のしかも年上の男に凄むなんて、よほど肝が据わっていないとできない。実際、あの時はそう思っていたし、やばいやつと認識した。

 だけど、本当は恐怖や不安を普通に感じる、ただの18歳の新入大学生の女子であった。あの時の太田檸檬は、精一杯強がった太田檸檬だったのだ。

 「とてもじゃないけどあの日は一人で部屋にはいれないと思って。だから透君の部屋を訪ねたの。」

 「そうか。」

 おかげで酷い目に遭った。あの時は全て太田檸檬の策略で、それにまんまと引っかかったのだと思い込んでいたが、実際は土壇場で思いついたアイデアだったのかもしれない。にしても自分の下着を犠牲にして俺の協力を得るって、どんだけの度胸なんだよ。思い返すたびに背筋がゾッとする。

 それきり太田檸檬は閉口してしまったが、おもむろにテーブルに置かれていた伝票を取って席を立とうとする。

 「今日はありがとう。先に私は帰るから、透君は少し休んでから帰りな。ここは私が払うし。」

 「いや、自分の分は自分で払う。」

 「いいよいいよ、私の我儘に付き合ってくれたんだから、ここは私の奢りね。」

 そう言って立ち去ろうとする太田檸檬は、明るく振る舞っているが、やはり不安を滲ませている。

 明日は本番だ。この不安はきっと試合にも影響が出る。

 「インハイ出場者のお前なら大丈夫だ、俺もそれなりに練習したし。」

 ありきたりな言葉しか投げかけることができなかった。根拠は俺の目と経験のみ。薄いと言われれば薄い。

 太田檸檬は立ち止まり、俺へと振り返って一言「ありがとう」と発して、その場を去っていった。

 多少の不安は拭えただろうか。いや、所詮、俺が言ったことだ。効果はない。

 ソファにもたれかかり天井を仰ぐ。まだお腹は苦しい。今日はコンビニスイーツはいらないな。

 

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

大学生に青春は遅すぎる? ゆうじん @yuzin825

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画