エピローグ

 まず、まつげが長い。何を差し置いてもまつ毛が長い。白いまつげは存在感こそ希薄なものの、しかしそれでもシャー芯くらいなら乗っかるだろう。目に突き刺さることはないのか甚だ疑問でならない。

 そして、白い肌。肌を陶器で形容するには少し陶器の知識が足らない、のに表現することを避けられない、そう陶器の肌。凹凸のない、適宜光沢がうかがえる。

 そこで、狙いすましたかのように目が合う。ヘーゼルの瞳。彼女はヘーゼルが色の名前ということを、ましてや自身の瞳の色の通称であることを知らないみたいだった。言い出す機会もなかったけれど、今なら素直に受け取ってもらえるだろうか。

 瞳の像がだんだん輪郭を帯びていく。私がいる。私の知る限り、この世界で一番綺麗な場所に私がいる。それだけで自分のことが少しだけ好きになれる。きみは私を利用した事実に後ろめたさを感じていたようだけれど、人間なんてみんな自分本位に生きてるんだから。きみもいつか肩の力が抜けたらわかるんじゃないかな。私ときみとを足して半分で割ったら、ちょうどいい塩梅になりそうだね。



「まじまじ見んなって。なんか恥ずいだろ」

 こてつは凛と鳴る声で、口角をきゅいっと上げて照れたように微笑んだ。結局は主観に過ぎないけれど、それでも嫌がっている素振りにはあまり見えなかった。

「あー、その……やっぱ変?」

「逆に新鮮」

「ハハッ、フツーだったら逆のシチュエーションなのにな。変だって返されたところで戻す気はさらさらねーんだけど」

 彼女を包み覆う髪の毛は、もう白くはない。

 だからといってヘーゼル——茶髪でもないけれど。

 真っ白な雪原の代替として、そこには黒髪がなびいていた。そうだな、ちょうど前の自分くらいの黒に均一に染められていた。


 終業式の今日は半日授業で、特別な時間割の日特有の地に足のついてない心地でいっぱいのまま、どうやら一学期が終わったらしい。HRが終わっても人目を避けて、しかしダラダラと居座りたかった私たちにとって、教室よりも適任の場所がある。

 そうだね、旧理科二類準備室ニジュンだね。

 夏の始まりを告げる日にふさわしいほど突き抜けた青空をカーテンで日除けして、いくつかの机を突き合わせて孤島を築き、談笑スペースを設けていた。

 鏡のように磨いた机をきみに見せる日が来るとは、初めて話したあの日には想像してなかったよ。

 カーテンの前でくるりとその場でターンをして、黒髪をお披露目される。

「結局、粘って担任から許可とりつけたんだし、律儀に黒にしなくてもよかったんじゃない?」

「特例ったって一応規律に則っておこーと思ってさ。誰かさんが俺の分まで弾けてくれたから、これで釣り合いとれんだろ?」

 ……校則はバランスゲーム方式ではないんじゃないかな。傾けてる側の私には発言権ないけれど。

「高等部に入ったら次こそへーぜる?に染めるって決めてっしな!……なぁひととせ、あと七年したらあたしたち二十歳だってよ。酒飲んだって煙草吸ったって、どんな髪色でもメイクでもいい、自由の身なんだよな」

 自分勝手で自己責任で自己完結しなきゃいけないけれど。

 実現不可能なことも、できちゃいけないことも山ほどあるはずなのに。

 なんだってできる気がするんだよ——きみのためなら。


「そうだね。なんだってできるよ」

「だろ?楽しいなぁ!楽しみだなぁ!どんなモン見て、どんなとこ行って、どんなことしようなぁ?」

「好きなことを片っ端からすればいいさ。視線が気になるなら、隣で誰よりも目立っておくから」

「ほんとか?あたしが急に公道でステップ踏み出したら、ひととせはキレキレのブレイキン踊ってくれるか?」

「……それは、うん。保証しかねるかな?」

 にやりと投げかけられた難題に言葉をつまらす。私は軽い気持ちでとてつもなく重いペナルティを背負ったんじゃなかろうか?そりゃ一人の人間の今後を決める問題だから覚悟はしていたけれど。いや、本当に私は覚悟ができているのか?今のうちに一通りの技はマスターしたほうがいいのではないか?それは体育の成績が4でもできることなのか?

「冗談だよ。さすがによ」

 冗談だった。

 やれと言われたって多分できるんだろうけど……覚悟を固める時間だけくれれば。

 ともかく、彼女の未来予想図に私がいるという事実に安堵した。


 このまま先も関係性が変わらず、むしろもっと親密になったりして、そうやって一緒にいられたなら、いくつか私にもやりたいことがある。

 今はできないことの埋め合わせを、まだ生きていればの話だけど、将来にはしたいと、ここに誓おうか。例えばなんだろう——音楽でも作ってみようか。

 今までは聴くだけで充分だったから時間はかかるけれど。たとえ何も見えなくなったとしても、どこかに爪痕を残したい。五感まで掌握したいと願ってしまうのは、……わがままかな。ごめんね、家柄でどうもね。



「なぁひととせ。太陽って綺麗?」

「は?」

 突飛な質問だった。どれだけ突飛かというと、突飛な装いでついこの間教室中をざわめかせたことでお馴染みのひととせさんが意表を突かれて身を乗り出したほどに突飛だった。

「太陽って、あの、空に浮かんでる……?皆さんご存知の……?」

「そ。太陽系の太陽。この部屋に来る途中で、初めてあった日のこと思い出してさ。覚えてる?」

 忘れるわけがない。

「あん時は西日だったよな。どっちにしろあたし、太陽って遮光サングラス越しでしか見たことねーからさー。マトモに照らされたことだってないし。近くにあるのに全然知らねーの。だから『西日が綺麗だから』ってひととせの言葉が妙に残ってて」

 そんな事も言ったっけ。

 心の底から思って発したわけじゃなかったはずだ、確か。馬鹿みたいな質問だと内心けなしていたはずなのに、真藤こてつという人間を知ってからは案外的を射ているかもしれない。涙もろくこそないが、万物に対して感傷的だから。

「泣くのが選択肢に入るくらい綺麗なのかって、そんなに綺麗なモンなのかって。拝めないけど、知りたいんだ」

 そんなの畑違いすぎる。理系脳のボキャブラリにはいい修飾語のひとつも浮かんでこない。高い標高に位置する村の紹介パンフレットを読み漁ったほうがまだ叙情を味わえそうだ。最適解が見いだせない。


「きみのほうが綺麗だよ」


 

 予想外の返答に目を見開くこてつは、ふっと目線を落として机を見やる。鏡のような表面に自分の姿でも映っているのだろうか。私がこてつの瞳の中に何度も見つけた、黒髪を携えた自分が。

 いつだってそうだ。最悪の選択肢へと真っ先に辿りつく。最善策を取れるような人間にはなれそうもない。

『綺麗』なんて言葉は人生で何度だって言われることがあっただろうし、類義語を辿るならそれこそ『自分らしく輝く』に近しいものがある。だから選ぶべき言葉じゃなかった。なかったんだけど。どうやら私も太陽に目を灼かれてしまったみたいだね。綺麗の比較対象がきみしか見えなくなっちゃった。

 白髪とか、黒髪とか。目の色とか。乗り越えるべき壁とか、周囲に与える勇気とか。全部全部無視しちゃえよ。

 きみの一番綺麗なところって、そんな浅い場所にないだろう。



 いったいモノローグのどこから口に出して喋っていたんだろう。あるいはちゃんとモノローグで留めておけたのかも。後から問いただしても「さあなー?」ってはぐらかすばかりで全く教えてくれないので、深層は闇に葬られたままだ。

 少し考えるそぶりで隙間を挟んだのち、うっかり零してでもいなければエスパーでもないとわからないような真意までまるごと受け取りましたよなんて済ました顔で再び向き直った。それはそれは眩しい笑顔で、でも目を背けたくはない——今度は悲しい理由じゃなく。

 太陽は言う。



「君がくれた光だよ」

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まおーそりすと 錠千るい @miya-maho

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