魔王

 なにもできることはない。

 結果論だけ見れば。



 月曜朝。

 登校でせわしない廊下を抜ける。歩きながら思考を巡らす。

 一人の人間が自我を持ってから今日までさんざ直面してきた問題に、一ヶ月程度関わっただけの存在が短期間で何をなせる?たとえどんな行動を取ったところで、問題の根本的解決に至ることはゼロに等しい。

 もし私が眼科医YだとかZだとかで、不治の病をも完治させる技術を持つのなら——いや、そう。IFは悲嘆に使うべきじゃない。

 現実的な範囲で考えるなら、そうだね——、大半は叶えうることかもしれない。一分一厘程度の可能性に過ぎないけれど。

 どこぞの宗教施設じみてきた。


 すれ違う集団。相変わらず向こうから避けてくれる。ご苦労なことだね。

 話を戻そう。私はまだ13歳で、金も立場もなにもない。第一、一人の人間が生涯かけて蝕まれ続けた課題に、たった週末を挟んだだけの期間で一体全体何ができる?

 そもそもどうこうしなければ交友関係が崩壊するでもなしに、私はなぜ血眼になってヒーローのバミリを探している?

 最適解。それは何も聞かなかったそぶりで今日再会し、ただし相手が吐き出したものはすべて受け止め、そうやって友好的な関係を卒業まで、ひいては関係が切れるまで続けること。分かってはいるんだよ。



 ここまでが結果論。

 で、ここからはそれを無視する。

 過程論でもない。結果を無視する。ただそれだけ。



 腕時計を見やる。八時十三分。HRまであと七分。可もなく不可もなく。

 結果を必ずしも求めなければ。行動の結果でなく行動域それ単体の話なら。

 

 なんてったって13歳。後先なんて考えなくていいお年頃なんでしょう?


 担任もクラスメイトは悪い人ではない。悪気もないし、悪意もない。前の中学校の人間こそ知らないものの、きっと例に漏れずなのだろう。彼女は目が悪かろうが、人を見る目はある。周囲の視線を徹底的に恐怖した人間だ。私の付近なら視線をジャミングできると気づけるほどには研ぎ澄まされている。

 ありのままの姿を慮る善人だけだった——悪人がいなかった。

 校則も、倫理観も、世間体だってなげうって、逃げ出しちゃおうぜって囁いて手を取って走り出すような、そんな場をしっちゃかめっちゃかにする悪役はいなかったのだ。最後に残ったその可能性に賭けるとか、んな大層な確信を持っていたわけじゃない。


 よぎっただけだよ。

 ヒーローにはなれなくても、悪役にはなれそうじゃない?って。

 大人しく振る舞っていたインターバルがあろうと関係ない。なんせ生まれ持って悪人の血がどくどくと流れているから。


 こてつには申し訳ないけれど、結局、人間の本質は変わらないのかもしれないね。



 開けっ放しのドアを通って、一年馬酔木あせび組の教室へ入る。普段は自席に近い後ろ扉から入るけれど、今日は廊下を突っ切って前扉を選んだ。机と机の狭い道を抜けるより効率がいい。

 迷う足取りもせず、まっすぐ目的地まで向かう。教卓ド最前。流刑地も甚だしいね。そこで四人ほどに囲まれている中心人物に用事がある。わざわざ声を上げるまでもない、人波は全自動フルオートで後退していくから。

 椅子に座ったままこちらを凝視する中心人物——真藤こてつ。驚愕の表情を浮かべてもとより大きい目がさらに大きく拡張した。


「おはよう」

 返事はない。今日ばかりは私のほうが優等生かな。

 まぁ……それはないか。

 教室全体が静かで、小声の一つたりとも聞こえず、まるで私の二の句を待っているようで。展示品となっている現状について、もう不快とも思わない。思えない。

 まだ傷つけるきみは、きっと手遅れじゃない。

 だから掬い上げたくなった。

 こんな突飛な行動に、もし理由があるとするならだけどね。


 悪質なブラックジョーク、または過激なファン心理?気でも狂ったのか?

 周囲は思索に興じているのかな。どう思われようと別に構わない。私の内部のほうはとっくに粗みじん切りの状態で、切り離された部位とは痛覚もない。弄るならせいぜい美味しく調理してくれとさえ投げやりになれる。

「ひととせ……?」

 困惑と焦燥が入り混じった声がかすかに漏れる。

 こんなことをしてもきみは名前で読んでくれるんだね。


 真正面にしゃがんで、同じ目線に立つ。机ひとつ分の距離にだけ届くくらいの——静まり返っているからどうしたって筒抜けなんだろうけど——ボリュームで、

「ほら」

 軽く左右に視線をやると、つられて彼女も同じように見渡す。バチッと何人か目が合い、その瞬間相手がそらす。あまりに予想通りの光景に、思わず口角が上がってしまうのを感じた。

 まじまじと見られている。それはとどのつまり、



 まんまるに見開かれたこてつの、鏡とばかりに誂え向きに並べられたヘーゼルの瞳に映る自分。

 腰までかかる長い、長い髪。

 長くて、真っな髪。



「これからきみが何したって誰も気づかないくらい、私が隣で目立つから」

 目立つから——悪目立つから。

「何でもしちゃおうよ。一緒に」



 口に出して改めて思い知らされる。なんて自分本意な計画なんだろう?

 でも何が正解かわからなかった。最適解じゃ腑に落ちなかった。

 だから嫌われたら嫌われたで仕方ない。

 仕方のないことなんだよ。



 ふいに体が引き寄せられる。

 抱きしめられた。抱き、しめられた。抱きしめられた。

 なんで?

 上半身のほとんどが机の上に乗っかる。こてつが視界から消えた代わりに、否が応でも奥のクラスメイトと目が合う。今度は私のほうから目を逸らすことになった。

 じんわりと体温がなだれ込んできて、私ときみとの接触面が曖昧になっていく。心音のBPMが上昇する、困惑と焦燥が入り混じって。どうか伝わらないといいのだけれど。


 だんだんとBPMが60~100正常値に戻っていくのを感じる。そこでフリーズしていた脳が動き始めてようやく、抱擁の意味をようやく理解した。


 正解じゃないかもしれないが、成功はしたのだと。

 私が変われなかった日々はすべて今日のためにあったのだと。

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