第4話
ある日、由依は昼食をとりにデリカッセンに来ていた。一等客室の人間は、最初からレストランやデリカでの食事代が料金として徴収されているため、この店は有り金の少ない彼にとって嬉しいものだった。
チーズと厚切りサラミ、レタスを挟んだサンドイッチ、オリーブの実、オレンジジュースを買い、店を出ようとする。
昼食の滋味に対する彼のささやかな妄想は、響き渡る女の金切り声にかき消された。
「騒ぐな!」
そう叫ぶのは痩身の男。長身に見合わない貧弱な肉付きが、彼のフォルムを異常なものに見せている。
「こんなとこに来てまで・・・!」
そう吐き捨てて、由依は男の目の前に飛び出した。別に取り押さえられる自信があったわけではない。だが、彼の注意を惹きつけるなり、あるいは説得をしたり、少なくとも船内警備員が来るまでの初動対応を誰かがしなければ、という使命感があった。
「やめろ!」
そう怒鳴りながら、男の眼前に躍り出る。にじり寄りながら、説得を試みる。
「何が気に食わないんだ!少なくともその人は、お前の不満とは無関係だろ!」
「うるさい!無関係なもんか、俺の辛さに誰も寄り添わなかったくせに!」
「何が!」
「偏差値70のこの俺が、食いっぱぐれるような世の中が憎い!貴族のお坊ちゃんは縁故採用で大企業に入れるくせして、平民の俺が入れるのは小さな小さな廃品回収業!こんな生活はうんざりなんだよ!」
貴族出身、かつ社会経験が学校のみの由衣には、その事実は初耳だった。その歪な事態に内心愕然としながらも、必死に説得を続ける。
「廃品回収だって、人々の生活に必要なものじゃないか!」
「じゃあなんで給料が低いんだ!そんなに社会に必要なら、最賃ギリギリで雇ってんじゃあない!」
そう言われると、彼には言い返す術がない。やり込められたままに、彼は自分が、男のナイフの間合いに入っていることに気づいていなかった。
「とにかく!今思いとどまれば、社会復帰だってできるだろ?俺は、お前が落ちぶれて死ぬところなんか見たくない!」
「もう遅いんだよ!復帰したとて地獄なんだ、もう帰れる場所なんかないんだ!」
そう言いながら、彼はナイフを下ろした。
由依は後ろに跳ね飛んで回避したものの、片刃の切先がジャケットを斜に切り裂き、彼の胸元に火が走った。
「ぐっ、う・・・」
血糊がついた銀の刃を、さらに切り上げようとする瞬間、彼は男の懐に飛び込んだ。
人質の女を押し除ける。左手でナイフを持った手を、右手で顎を掴み、股間に膝蹴りを沈めた。
「うおおおおおおっ!」
勢いに任せて巴投げを極めた。吹っ飛ばされた衝撃でナイフが男の手から離れる。
それを見逃さずに蹴り飛ばし、腕を背に回し込んで取り押さえに成功した。
すると警備員がやって来た。乗り込んだ事情が事情で、できれば目立ちたくなかった彼は、警備員に男を押し付けるように渡すと、ジャケットの襟で顔を隠しながら、裏口をコソコソと通って自室に逃げ帰った。
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