第31話 年始、行方知れず

 記者、響野きょうの憲造けんぞうが行方不明になって、半月が経った。


 昨年末、刑事・小燕こつばめ向葵あおいが響野の勤務先を訪問し、その後自身のデスクに『年明けまで休暇』というメモを残して社屋を出た──それが、都内での最後の響野の目撃証言となった。彼の後ろ姿を見送ったのは、響野の勤務先ビルの警備員の男性である。警備員が嘘を吐く理由はどこにもないし、妙に細長い鞄──ドール・夜明が入っているであろう鞄を肩から下げて歩く姿は防犯カメラにも記録されていた。

 年が明け、仕事始めの一月四日になっても出勤してこない響野の身を真っ先に案じたのは編集長・諏訪部すわべだった。彼はまず刑事・小燕こつばめに連絡をし、それから響野の緊急時の連絡先として登録されていた住所、新宿歌舞伎町、純喫茶カズイに自ら足を運んだ。一月四日。純喫茶カズイは普段と変わらず営業していた。カウンター席にはヒモ・市岡いちおかヒサシと、弁護士で兄の市岡いちおか稟市りんいちが並んで腰掛けていた。


「響野くんが出勤してこない?」


 諏訪部の訴えに、市岡ヒサシは小首を傾げる。


「別に珍しいことでもないんじゃない、んすか? あの人急に取材〜ってすっ飛んで消えちゃうこと結構あるし」

「だが……」


 オーナー・逢坂おうさかカズイに勧められるがままにカウンター席に腰を下ろした諏訪部は、どこか煮え切らない様子で爪を噛む。市岡稟市は諏訪部に名刺を差し出しながら小首を傾げると、


「何か、心当たりでも?」

「ああ……そうですね、心当たり……響野のやつ、最後に刑事と面会していて……」

「刑事」


 平坦な声で繰り返した稟市は大きく瞳を瞬かせ、


「小燕さんかな」

「弁護士さん、ご存じですか。そんなような名前の刑事さんだった」

「私よりは弟の方が深く関わって……ヒサシ。小燕さんに会ったか、最近」

「最近〜? かどうかは良く分からないけど、去年、風松かぜまつ家で焼身自殺した人がいたじゃない。その現場にはいたよ、小燕さん」

「風松」


 諏訪部の声に、他の誰かの声が重なる。

 純喫茶カズイの防弾ガラスで作られた扉にぶら下がる、ドアベルが涼やかに鳴る。

 小燕こつばめ向葵あおいが立っている。


「刑事さん!」

「編集長の……諏訪部さんと仰いましたね。お久しぶりです」


 厚手のコートを脱ぎながら、小燕が小さく頭を下げる。「いらっしゃい」と逢坂が片手でカウンター席を案内する。これで、純喫茶カズイのカウンター席はほとんど埋まった。

 臙脂色のセーターにブラックデニムを履いた小燕は諏訪部と市岡兄弟のあいだに腰を下ろし、


「盗み聞きをしたようで申し訳ないが、今、風松と……?」

「ええ、ああ、はい。刑事さん。実はあなたに連絡を取りたいと思っていて……」

「風松家の件だとしたら、私から話せることはほとんどありません」


 と、低く応じた小燕が、コートのポケットから何かを取り出す。

 ビー玉。蜻蛉玉。

 いや。

 だ。

 硝子製の、人形の目玉。


「響野くんの、」


 市岡ヒサシが声を上げる。


夜明よあけの目玉だ! なんで小燕さんが持ってんです?」

「あの男が最後に押し付けて行ったものだ」

?」


 地を這うような声が響く。

 逢坂おうさか一威かずいだ。

 一瞬の沈黙。その後すぐに、小燕向葵が頭を下げる。


「軽率な物言いでした。申し訳ない」

「いや……いや。たしかに、孫に最後に会ったのはあんただからな、小燕さん。孫は──その蜻蛉玉を、あんたに?」


 すぐに気を取り直した様子の逢坂の目を真っ直ぐに見詰めた小燕が、


「この目玉……『祝』と『禍』の文字が書かれて、

「いた?」


 勢いを付けて椅子から飛び降りたヒサシが、小燕と諏訪部のあいだに回り込む。煙草に火を点けた稟市が、小さく溜息を吐いている。


「いた、ってどういうこと? 小燕さん」

「そのままの意味だ。これはもう──ただの蜻蛉玉だ」


 小燕の長い指が、良く磨かれた木製のカウンターの上に転がる目玉を弾く。

 その裏側には、何も書かれていない。

 大きく息を呑んだヒサシを、落ち着かない顔で諏訪部が見上げる。


「その……市岡ヒサシさん」

「あ、俺のこと知ってるんですか、編集長」

「響野の記事に良く出てくるからね」

「え〜!? 勝手に〜!?」

「私が手を入れて伏せ字にしてはいるが……あなたは、なのだろう」


 諏訪部の問いかけにも似た言葉に、ヒサシは答えなかった。その代わり手を伸ばし、カウンターの上の目玉を自身の大きな掌の中に転がす。


「どこにもない……祝も禍も……ねえ小燕さん、どういうことですかこれは」

「それを確かめたくてここに来た。響野憲造はどこにいる?」


 苦い沈黙が落ちる。


「姿を消して、半月になりますよ」


 市岡稟市の声に「半月?」と小燕向葵は低く唸った。

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