第18話 第三モトハビル、POP人形店③

 ──お客様もいらっしゃらないようですし、早めの閉店としてしまいましょう。

 店長はそう言って手元のパソコンに手早く文章を入力し、それから店の扉に掛かっていた『OPEN』の札を『CLOSE』にして店内に戻ってきた。まるで前回の訪問の再現だ。


「いいんですか? こんな気軽に店閉めちゃって……」

「週末とか連休だと大丈夫じゃないんですけどね。今日は平日で、新しい入荷商品も特になかったので問題ありませんよ」

「それならいいんですけど……」


 なんともいえない罪悪感を抱える響野きょうのに「夜明よあけさんを一旦バッグに戻してもらってもいいですか?」と声をかけながら、店長がカウンターの中から一体の人形を抱えて出てくる。


「……あ! 『美琦メイチー』だ!」

「そうです。私が個人的に所有している『美琦メイチー』です」

「店長さんも『美琦メイチー』ユーザーだったんすね! ん、でも……なんか、メイクとか、全然違う……?」


 夜明と入れ違いに布団の上に横たわった『美琦メイチー』の顔を覗き込み、響野はきゅっと眉を寄せる。先ほど店長に言われた「同じ個体は存在しない」のレベルを超えて、この『美琦メイチー』は響野の知らない顔をしている。


「はい。私の『美琦メイチー』は十年ほど前にお迎えして……やはり十年という長い月日が経つと全体的な経年劣化に襲われてしまいますので」

「あ、なんか、肌の色が変わるとかそういうのですか?」

「黄変のことですね。もちろんそれもあるのですが、私も長くこの店に勤めている関係で自分の『美琦メイチー』を店頭に連れてきて、販売予定の商品のチェックなどを手伝ってもらっているうちに」


 メイクが、と店長の指先が布団の上の『美琦メイチー』の頬から目の当たりをくるりと示す。


「剥がれてしまいまして」

「えー! ほんとに剥がれちゃうんですか! 気を付けよう……ちゃんとフェイスカバー使おう……」

「ヘッドを取り落としたり強く擦りでもしない限りそこまで大きい傷になることはない、のですが、まあ、商売の手伝いをしてもらっていると色々なことがありますからね……」


 眉を下げて店長は微笑み、


「そこで、昨年だったかな。カスタマーの友人がいるので、メイクをすべてやり直してもらったんです」

「カスタマー?」

「平たく言うと、ドールの顔に化粧を施すことができる人のことです。SNSで『ドール』『カスタム』で調べてみるとたくさん写真を見ることができて興味深いと思いますよ」

「な、なるほど……」

「もちろん、『美琦メイチー』を製作、販売している中国の本社に頼んで公式のメイクをしてもらうという手段もあるんですが」

「ええ! なんか! すげえ!」

「はい。ドールには本当に様々な選択肢があり、色々な楽しみ方があるんです」


 話が大きく逸れてしまいましたね、と小さく微笑んだ店長は、


「それじゃあ、始めましょうか」


 と手を伸ばし、自身の『美琦メイチー』の服を脱がせ、ウィッグを外し、それから響野よりもずっと慣れた手付きでボディとヘッドを分離させる。ヘッドを布団の端に置いた店長は、次に『美琦メイチー』の左足を丁寧な手付きで取り外す。響野が目を丸くするのを他所に、店長はひょいひょいと左手も同じように外してしまう。ヒュッという音が二度響き、『美琦メイチー』の体はあっという間にバラバラになっていた。


「ええ……ええええ〜〜〜〜〜〜!?」

「『美琦メイチー』は全身にゴムを通すことで形を保っているドールです。ゴムが骨の代わりを担っているとでも言いますか……」

「いやでもこんな! バラッバラじゃないですか!?」

「記者さん、落ち着いて。すぐに直せます。大丈夫です」

「本当に!? えーっ申し訳ないなんか……こんなことになるなら夜明さんをバラバラにしてもらえば良かった……」

「記者さん、さっき出会ったばかりの私の『美琦メイチー』にずいぶん思い入れてますね。もう、取材とは関係なくドールに興味が出てきているんじゃないですか?」


 悪戯っぽく問われ、「うぐぅ……」と響野は口をへの字に引き結ぶ。確かに、自分でもそんな気がしていた。今回の事件とは何の関係もない(はずの)POP人形店の店長の、更に何も少しも関係がない『美琦メイチー』を『祝』と『禍』の隠し場所を探すためとはいえバラバラにするということに、凄まじい申し訳なさを感じる。


「まずはヘッド」


 店長の手が、メイクに触れないようにそっと『美琦メイチー』の頭を持ち上げる。


「先ほどボディからヘッドを外す際にもご覧になった通り、『美琦メイチー』は……『美琦メイチー』だけでなく多くのキャストドールは、頭の中までゴムを通し、Sカンで引っ掛けて固定することでバランスを保っています。ですので」


 と、頭の蓋をパカッと開き、


「グラスアイに文字を書く、以外の可能性として、頭の中に小物を隠すというやり方も有り得ますよね」

「確かに」


 夜明の頭の中には何もなかったが、鹿野迷宮に捜索を命じられた『燃え残った人形』の頭の中に『祝』と『禍』両方、もしくは片方が隠されている可能性は充分過ぎるほどにある。


「次に──」


 と『美琦メイチー』の頭を布団の上にそっと置いた店長の手が、ゴムが解けてバラバラになった人形の腕から手にかけてを指し示す。


「それほど太いゴムが通るように作られているわけではないので少し無理がある想像だとは思うのですが……」

「二の腕、肘の関節、それから腕と手、っすか」

「そうです。たとえばそうですね……先ほどお伝えしたカスタマー、ドールの顔に繊細なメイクを施す技術を持っている人間なら、」


 筆先でこうやって、と店長は指先を動かし、


「ゴム引きをする際に目に付かない場所に、小さく字を書くことぐらいはできるかも」

「なるほどぉ」

「更に、ボディですね。『美琦メイチー』は私が入手した十年ほど前から、胸・腹・腰の三分割のデザインを採用しています」


 説明を受けながらバラバラになった『美琦メイチー』の体に視線を落とす。たしかに平らな胸、僅かに括れた腰、更に小さな尻がそれぞれの部品として転がっている。


「ドールの扱いに相当手慣れた人でなければ難しいとは思いますが、先ほどの二の腕やハンドパーツに較べるとずっと大きな部位ですので」

「何かを書き込んだり……あとはこの、胸パーツの中って空洞ですよね」

「そうですね。ヘッドパーツと同様、何かを隠すことは可能かと思います」

「うう〜ん……」


 残る太もも、膝関節、更に脛と足首から下のパーツの説明を受けながら、響野は必死で脳を回転させる。夜明と同じキャストドールひとつ取っても、隠し場所があまりに多過ぎる。鹿野迷宮が何を思って焼け残った人形を回収するよう命じたのかは分からないが、風松家の面々が既に『祝』と『禍』を取り出してしまっている可能性は大いにある。何せ先方は、人形のプロなのだ。


「記者さん?」

「あ、すみません、ちょっと情報量が……」

「そうですよね。分かります」


 とはいえ、響野としては脳がパンクしそうだという理由で店を出るわけにはいかない理由がまだ残されていた。


「店長さん」

「はい」

「ご説明本当にありがとうございました。それでですね。俺まだわがまま言っていいすか」

「……ははあ。読めましたよ」


 バラバラになったままの『美琦メイチー』を布団ごとレジカウンター内に連れて行きながら、店長は笑った。


「風松楓子さんの『美琦メイチー』──夜明さんの腹の中を、見てみたい?」

「言い方ぁ!」

「記者さんが厄介なことばかり言うからですよ。でもまあ」


 いいですよ、やってみましょう。

 新しい布団を抱えて戻ってきた店長を、響野は心を込めて拝んだ。


 ──結果。

 夜明の腹の中に『祝』、胸の裏に『禍』の文字が見付かった。


 響野は、夜明をグラスアイの『祝』『禍』を隠すためのだと思っていた。違った。夜明こそが『祝』であり『禍』でもあったのだ。

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