第17話 第三モトハビル、POP人形店②

 風松かぜまつ楓子ふうこ邸が火事で全焼した際、残されたのはリビングで亡くなっていた風松楓子の遺体、そして耐火金庫の中にあった数体の人形だけだった──というのが表向きの情報だ。裏向きには、耐火金庫の向こう側に隠してあった金属製のケースの中にいた人形・『美琦メイチー』──夜明よあけの存在が確認されているが、夜明のことを知っているのは市岡いちおかヒサシや響野きょうの憲造けんぞうを含むごく少数の人間だけだ。風松家の面々には、夜明については未だ告げていない。


 ドールバッグに夜明を入れて出勤し、社屋で記事を書き、定時で退勤したその足で響野は再び秋葉原に向かう。目的地はもちろん、POP人形店だ。以前訪問した際に対応してくれた店長が今日も出社しているかどうかは分からなかったが、もしもう一度会えたなら尋ねたいことがあった。


「こんちはー……っす……」

「いらっしゃいませ。……おや」

「あ! 店長さん!」


 大博打に勝ったような気持ちで、響野は声を上げる。POP人形店の店長は、今日もカウンターの中でノートパソコンを広げていた。


「お久しぶりです。また、取材ですか?」

「いやそれがぁ……ですねぇ……」


 取り敢えず出してもいいですか、と黒い筒状の鞄を示しながら言うと、「どうぞ」と店長は小さなテーブルをレジカウンターの中から持ち出し、その上に白いふわふわの布団を敷いてくれる。

 夜明の扱いには、もう慣れていた。何度となく外出用の梱包を行い、鞄を肩から引っ提げて出勤し、時には祖父の店で取り出して市岡ヒサシや鹿野素直にその姿を披露もした。人形を雑に鞄に突っ込んで持ち歩いたりしたら顔の化粧が剥げてしまったり、細い指先が折れてしまう可能性があることに思い至らなかった過去の響野とは違うのだ。


「ずいぶんと……まあ」

「慣れたものでしょう!」

「いえ、そうじゃなくて」


 反射的に褒めてもらおうと胸を張った響野をスルーして、店長は夜明の顔を覗き込む。


「穏やかな顔になりましたねぇ」

「あ、夜明さんですか? ……人形の顔って変わるんですか?」


 口に出してみて、急に背中が薄ら寒くなるのを感じる。顔が変わる人形、だなんて。それこそちょっとした怖い話だ。

 夜明を連れ帰った夜。そしてグラスアイの裏側に書かれた『祝』『禍』に気付いた夜に見た夢を思い出す。


「記者さん、怪談か何かだと思ってます?」

「思ってますぅ……怖いぃ……」

「違いますよ。いや、違わないのかな。風松さんがいらっしゃったらきっと私と同じことを仰ったと思うんですが……この『美琦メイチー』は、もう記者さんの家の子の顔をしていますね」

「いや……良く分からないです……」

「もっと長く一緒にいれば分かるようになりますよ。見てください、記者さん。店内にも『美琦メイチー』は大勢いるでしょう?」


 と、顔を上げた店長が明るい口調で言う。確かに、POP人形店の店内、壁いっぱいの棚の中には大勢の『美琦メイチー』の姿がある。身に着けているドレスやウィッグ、それにアイはどれも異なっているが、顔立ちはまったく同じ──


「……うん? 同じじゃ、ない?」


 小首を傾げた響野に「そうですね」と店長は穏やかな口調で応じる。


「左手の棚のいちばん前に立っている『美琦メイチー』は昨年秋に発売された限定版です。正面の棚で片足を上げるポーズを取っているのは今年の限定新作、サーカスがテーマの『美琦メイチー』です。衣装だけでなく、メイクも奇抜で素敵ですよね。その隣で座椅子に腰掛けている『美琦メイチー』はベーシック……記者さんがお持ちの『美琦メイチー』と同じタイプのドールです」

「……ええ〜? ほんとですか? なんか違くないですか、顔……あ!」


 そうでしょ、と店長がコロコロと笑う。


「違うんですよ。店頭に立っているドールも、オーナーに連れ帰ってもらったドールも、みんな。メーカーや販売時の名前が同じでも、記者さんが連れてきた風松さんの『美琦メイチー』とまったく同じ個体は存在しない。私は、そう思っています」

「はへぇ……」


 気の抜けた声を上げた響野は、なんとなく申し訳ないような気持ちで布団の上に横たわる夜明を見下ろす。以前POP人形店で購入した、藍色の瞳と視線がぶつかる。


「それで、記者さん……本日は夜明さんに新しいドレスを買いにきた、というわけではないんですよね?」

「そ、そうですね。いや買ってもいいんですけど、買おうかな、うん、帰りに買います。なので、ヒントをください店長さん」

「ヒント?」


 唐突な台詞に、今度は店長が小首を傾げる番だった。


「ヒントとは……記者さんの取材の手助けになるような知識を、私は持ち合わせていませんが……」

「いや、なんていうか、人形のことを知ってる人にしか聞けないことなんですよ」


 と、響野はレザージャケットのふところに手を突っ込み、錆殻光臣から受け取った──連れ立って風松邸を訪問した翌日、家庭用粗塩で作られた『浄めの塩』が三十グラム、純喫茶カズイに届けられた。受け取ったのは祖父で、「えらく背が高く、髪の長い男が持ってきた」と言っていた。おそらく菅原氏のことだろう──塩を数粒入れた小さなポーチの中に、更にビニール袋で包んで仕舞い込んでいたふたつのグラスアイを取り出した。これは、と眉を跳ね上げる店長の手にグラスアイを押し付け、響野は首を縦に振る。


「最初にこのお店を訪問した際、夜明さんが使っていたグラスアイです」

「これが……何か?」

「裏側、見てもらえますか」

「……いわい? それに、まが……?」


 訝しげな表情で鼻の上に皺を寄せる店長に、


「この漢字自体はあまり気にしないでください。俺が知りたいのは──」


 と夜明を抱え上げて、響野は言った。


「人形、キャストドールの体内にそういった漢字を隠すとしたら、目玉の裏側以外にどこがあると思います? 俺、人形の体のことが何も分からないから、もう聞くしかないと思って」

「……なるほど、そういうご質問ですか」


 響野にグラスアイを返しながら、店長はようやく合点したような表情を見せた。

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