第35話 もし私が好きだったら?

「……もし、私がルフのことを好きだったら?」

「僕、執事ですよ?」


 クエスチョンマークに埋め尽くされる頭の中があれど、その疑問はすんなり口を通って嬢様のつむじに落ちる。


「執事の間に幼馴染だから……。で、でももしの話だよ?そんなホンキで考えなくてもいいんだよ……?」

「そうですか」


 下を向いている嬢様の表情は見えない。

 けれど言葉の節々から感じられる不安から察するに、後者の言葉は『逃げ』だろう。


 でも、その言葉は今の俺にとってはありがたいったらありゃしない。

 だって本気で答えなくて良いんだろ?んなら――


「僕が執事である以上、お嬢様の気持ちにお答えすることはできませんね」

「……幼馴染でも……?」

「はい。僕は執事ですから」


 執事以前に幼馴染と嬢様はよく言う。

 けれど俺からすれば幼馴染以前に、俺は執事だ。


 嬢様の質問に本気で答えるつもりはないが、それだけは正しとかないといけないからな。

 幼馴染対応をされて母さんに怒られても困るしな。


「……そっか。執事だもんね……」


 わかりやすくテンションが下がる嬢様はこちらを見上げることはなく、キュッと俺の袖ではなく、シーツを握っている。


 なにが嫌なのか。なにが嬉しいのか。

 喜怒哀楽が激しすぎて俺にはさっぱり分からん。


「ですがお嬢様。先ほど僕が紡いだ『少し嫌です』という言葉に嘘はありませんよ。お嬢様が僕以外の男性と2人で歩いていたらモヤッとする節があるのも事実ですから」


 分からんなりに嬢様が喜びそうなを口にしてみた。

 実際にその光景を目の当たりにした訳では無いが、多分俺はモヤッとするだろう。


 だって他の執事を新しく雇用して、用無しの幼馴染執事を解雇するかもしれないからな。

 うぅ……。考えるだけで寒気が……。


(いやでも解雇されるならそれでいいのか?)


「その言葉は嬉しい……けど……!嬉しいんだけど……なんか、複雑……!!」


 俺の思案なんて他所に、言葉通り複雑そうな顔をこちらに向けてくる嬢様はシーツから俺の袖へと手を戻す。

 そんな袖に意識を向けながらも「あ」と不意に声を上げた俺はポケットに手を入れる。


「それよりもお嬢様。プレゼントがあります」


 解雇されるかどうかなんて今考えても無駄だという結論に至った俺は今更になって本来の目的を実行しようと、小さな小包を取り出す。


 その小包は先日シュナミブレルに貰った小包のようにリボンを巻いたり着飾ったりしていないただの茶色い紙袋。

 そしてそんな小包を未だに複雑な顔を浮かべる嬢様の胸の前へと差し出した。


「か、買ってたんだ……」


 まんまるに開かれた瞳は突き出される小包に向けられる。


「お嬢様の誕生日ですから」

「そ、それはそうだけど……。いつ買ったの?もしかして解雇した日……?」


 チラッとこちらを見上げる嬢様の瞳は上目遣い。


「いえ、お嬢様の部屋から帰るときですね」

「……ってことはかなり前から準備してたってこと?」

「そうですね。かれこれ2週間前から準備してました」

「ず、随分早いのね……」


 見開かれた目から解き放たれる驚きを隠せていない言葉。

 その言葉たちにほほ笑みを向ける俺は、未だに取られないプレゼントを差し出し続けた。


(……そんな驚くことか?たかが誕生日プレゼントだぞ?)


 嬢様の大げさすぎる反応に、心のなかで首を傾げる俺は思案を続ける。


 確かに今年は例年までとは違って嬢様と一緒にプレゼントを買いに行ってはいない。が、それだけだ。


 毎年プレゼントをあげているのだから買うことぐらい予想できたはずなのだが……。


(……もしかして俺、舐められてる?)


『私が言わなければプレゼントなんて準備しなさそう』だとか『1人では買い物にいけなさそう』だとか。

 この嬢様のことだ。そんなことを思ってていてもなんの疑問もわかない。


「お嬢様。プレゼントは机の上に置いときましょうか?」


 あまりにも受け取ろうとしない嬢様にそんな案を提示する。

 さすれば慌てて首を振る嬢様は手を上げ、


「今貰います!ありがとうね!ルフ!」


 勢いの良い声とは裏腹に、優しく包み込むように小包を握る嬢様の両手。けれど、『絶対離さない』という意思すら感じるほどにその手には感情が籠もっていた。


「昨年とはリアクションが違いますね。そんなに嬉しいですか?」

「嬉しいよ!だってプレゼント貰うとは思ってなかったもん……!乙女はサプライズに弱いんだからね!!」

「そうなんですね」


 別にサプライズというほどのサプライズをしたつもりはないのだが……嬢様の気分が上がったのならそれに越したことはない……のか?


 大事そうに小包を胸に当て、綺羅びやかな眼差しを浮かべる嬢様に相変わらずのほほ笑み顔を向ける。

 先程までの『好きな人がなんちゃら〜』だとか『もしルフのことが好きなら〜』だとかの会話がまるでなかったかのように見せるその顔は――多分、自分が用意したであろう小包が丸見えなことに気づいていない。


 小包が垣間見えるのはブランケットの隙間。

 きっと、俺がお風呂に入ってる時にブランケットの下に隠してサプライズでもしたかったのだろう。


「んふふ……」


 不意に緩む嬢様の頬。

 どんだけ嬉しんだよとツッコみたくはなるのだが、「ハッ」と我に返った嬢様によってそれは阻止される。


「ご、ごめん……。ちょっと頬緩んでたかも……」


(ちょっとどころじゃなかったが)


「大丈夫ですよ。お嬢様のその顔が見れるのは僕の本懐なので」

「それは気恥ずかしさはあるけど……。でも、ありがと。今人生で一番嬉しい」

「それなら良かったです」


 若干緩む嬢様の頬から溢れる本音であろう言葉。

 前世でもそうだが、やはり感謝を直接言ってくれるヤツのほうがありがたいし、素直に嬉しい。


 もし俺が執事という立場じゃなければ今頃泣いて喜んでいることだろう。

 だって頬が緩むほど嬉しいって言ってくれてるんだぞ?前世で小さい頃に数回経験したことはあるのだが、それでも嬉しいものは嬉しい。


(……やっぱり執事っていう称号は邪魔だな)


 なんてことを考える俺を他所に、俺の小包を抱えながらゴソゴソとブランケットの中に手を突っ込み始める嬢様。

 そんな姿を横目に謎に身構えてしまうのは、多分答えを知っているからだろう。


「先手を打たれたけど、私もルフにプレゼント買ってあるんだ」


 ブランケットから取り出すのは丸見えだった白色の小包。俺のとは違って丁寧にリボンを巻いてあるその小包は俺の胸の前に差し出された。


「ありがとうございます」


 何の変哲もない返事。

 そんな面白みのかけらもない返事が求められていないのは自分でも分かる。


(わかるのだが、こういう時どんな反応をすればいいのか前世から分からんのだ……)


 まぁ多分、プレゼントが前もって見えていたから反応しにくいってのもあるのだろうが、多分それがなくても俺は何の変哲もない言葉を返していたと思う。


 前世で純粋な反応ができたのもあいつが初めてプレゼントを俺に渡した時ぐらいだしな……。


 そんな思案をする俺なんて他所に、まるでその反応を待っていたと言わんばかりに微笑を浮かべる嬢様はコツンッと俺の胸に小包を持つ右手を当てた。


「ルフは昨年通り、反応が薄いね?」

「すみません。ご希望に添えた反応ができなくて」

「んーん、全然大丈夫。ルフらしくて私は……」


 そこまで紡ぎ、黙り込んでしまう嬢様は下を向く。

 さっきも同じようなことがあったな?と脳裏で考える俺なのだが、どうやら今回は先程までとは違うらしい。


 意を決したのか、「うん」とひとりでに頷く嬢様はバッと顔を上げ、


「私は好き!」


 俺の瞳を見据える嬢様は頬を赤らめながら口を切った。


「それなら良かったです」


 そんな嬢様の言葉に、即答を返す。


「………………。ここはもうちょっと動揺してくれてもいいじゃん……」


 さすればボソボソと聞こえる嬢様の声。

 俺らしくて好きと言ったくせに、動揺してほしいとは一体どういうことだろうか。


「申し訳ございません」

「別に謝らなくてもいいんだけどさ……」


 そんな嬢様の言葉に耳を傾けながらも小包を受け取ると、パタンと力が抜けた嬢様の右手は崩れ落ちてしまう。


「お嬢様?」


 未だに赤くなっている頬に言葉を零してみるのだが、返ってくるのは無言。

 落ち込んでいるのか。はたまた嬉しさの余韻がまだあるのか。

 顔が見れない以上真意はわからない。


「……ルフ。私、結構勇気振り絞ったんだからね……?」


 なんの拍子もなく聞こえてくるのは嬢様の小声。


「勇気ですか?」

「……そうよね。気づいてないよね……」


 一体何に対して勇気を振り絞ったのだろう。

 まさか好意を伝える訳でもない『好き』という言葉に対して勇気を振り絞ったのだろうか?


 いやそれはないか。多分プレゼントを渡したことだろう。

 思った以上に俺の反応が薄くてがっかりしてる的な感じだろう。


 嬢様のつむじを見下ろしながらなんて事を考える俺と、つむじを見せる嬢様の間に広がるのは静寂。

 話すことも終え、プレゼントも渡し終えたのだから静寂が訪れるのも当然。


 だから任務を遂行させた俺はそろそろ帰ろうかと思って立ち上がろうと――した瞬間だった。


 突然胸に感じるのはダンジョン以来のタックル。それもつむじを俺の胸に突き刺すように突撃してきたのだ。


「お嬢様?」


 刹那に感じるシャンプーの香りを鼻の下に通しながら、倒れずに嬢様を支える俺は悠然と呟く。


「…………倒れて」


 まさか俺がこのタックルに耐えるとは思っていなかったらしく、胸から上げた瞳はジトッと俺の顔を睨みつけていた。


「畏まりました」


 そんな言葉とともに素直にベッドに体重を預ける俺の体と、続くように体を預けてくる嬢様。


 胸には嬢様。腰にはブランケットがあって少々呼吸がしづらいこの状況。

 そしてお腹の上から胸にかけて感じる温もりと柔らかな2つの山。


 多分、こんな時に思い出すことではないのだろうが、前世でとある話を耳にしたことがある。


『女と同じ部屋で、風呂に入ったんなら営みぐらいするだろ』


 とある酒場で、とある冒険者が口にしていた言葉。

 生憎前世の俺はチェリーボーイ。女性の裸を見たことがなければ、今のように2つの山を押し当てられることにも縁がなかった存在。


 そんなやつが今、嬢様とはいえ、女に押し倒されている……?


(……もしかしてこれ、やんのか?嬢様と執事の禁断の関係的なやつをやんのか!?)


 多分、今の俺にあるのは好奇心と高揚感。

 興奮なんてひとつもなかった。その根拠にあれが反応していないからだ。


 そんな俺の思考なんて他所に、胸にあった嬢様の顔は匍匐前進とともに上がってくる。それとともに盛り上がる俺の高揚感と好奇心。


 そうして嬢様の赤い顔が俺の顔の前で持ち上がり、目の鼻と先に訪れた頃。

 何度か俺の瞳を捉えたり逸らしたりを繰り返す嬢様の目は、数秒を得て俺の顔を見据える。


 大きな肉厚があるのに感じる嬢様の激しい鼓動。

 ともに高まる俺の高揚感と好奇心。


「……ルフ」


 細くなる嬢様の瞼は白縹の瞳を隠す。

 思わず飛び出そうになる心臓を食い止めた俺は、「なんでしょう」といつもと同じように言葉を紡ぐ。


「…………今日、このあと予定ある?」

「いえ、ありませんよ」

「……そっか。それならさ――」


 好奇心と高揚感が最高潮に達した。

 思わず崩れそうになるほほ笑みをなんとか堪える俺は――その後に続く言葉に、落胆をせざるを得なかった。


「――今日、一緒に寝よ……?」

「……畏まりました」


 多分、俺は今世で初めて言葉が詰まったと思う。

 一瞬考え込んでしまった俺の姿を見て、嬢様がどう感じたのかは分からん。が、ニコッと悪戯気に笑う嬢様の姿はこの上なく癪に障った。


「初めて動揺したね」

「そうですね」

「隠さなくていいんだよ?ドキッとしたって言ってもいいんだよ?」


 俺に気遣う様子もなく全体重を胸に預ける嬢様はパタパタと足を上下に振る。


「していませんよ。ただ、嬢様の発言に驚いただけです」

「ふーん?」

「本当ですよ」

「ふーーーーん??」


(いや信じろよ!!)


 最高潮に達していた高揚感と好奇心はどこへ行ったのやら。

 フツフツと湧き上がる怒りが脳の半分を占め、小さく息を吐いた俺は嬢様から貰った紙袋をベッドから下ろし、動かさないでいた両腕を嬢様の脇に添えた。


「……ん?ル、ルフ?なにして――」


 刹那、その指を小刻みに動かした。


「――ヒャっ!や、やめっ……!アハッ、まって!ごめん!クッ、わ、私が悪いから!!」


 くすぐりから逃げるためだろう。体を転がして俺の上から退避していく嬢様なのだが、このイライラがそうすぐに収まるわけもなく、脇腹をくすぐり続けた。


 これまた器用に、笑いながらも俺がプレゼントした紙袋は絶対に踏まない位置に置いた嬢様は枕元まで転がる。


「お嬢様が言う通り、僕は執事の以前に幼馴染です。ですので、この仕打ちも許してください」

「今それ使うのはずる――ま、まッへっ!今はまだしゃべ……アハハッ……!」

「すみません」

「謝り、ながら……こしょばす、なぁ……!」


 悲痛な叫びが部屋に響き渡る。

 男子が女子寮に入っていいことなんてすっかり忘れ、執事という称号を活かしてただ嬢様を使って楽しむ。


(まぁこの様子を見るに、仕打ちも許してくれるだろう)


 そんなことを思いながら、俺はただ嬢様をこそばし続けた。

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