第23話 それはできません……

(もう食べていい?)


 垂れそうになるよだれをグッと堪える俺は答えを考えることすらも忘れて嬢様に訴えの目を向け続ける。

 さすればチラッとこちらを見やった嬢様は、


「美味しそうだよね」

「美味しそうですね」

「食べたい?」

「そうですね」

「じゃあ3分我慢したら食べていいよ」

「畏まりました」


 忘れていた考えが一気に思考に割り込んでくる。ついでに嬢様の不敵な笑顔も。

 淡々と言葉を紡いだはいいものの、


(俺、嬢様になにかしたっけ?)


 純粋な疑問も浮かび上がる。

 確かに数日前のあれは申し訳ないと思っている。そして嬢様もそれを許したはずだ。


(もしかして今になって怒りが……?)


 ほほ笑みの奥でジッと嬢様の顔色を窺うが、当然心を読む魔法を所得していない俺に理由はわからず終い。

 けど、これだけは分かる。


 ――怒ってはいないが、嬢様は確実に俺になにか恨みを抱いている。


 だってあの目見てみろ!吊り上げてる頬と違って笑ってない!

 確実に恨みを飛ばしてやがる!


「ま、まぁ嬢ちゃん。そんな気落とすなよ!そのまま思いを伝え続けたら行けるさ!俺もそうだったしな!」


 この暗くなった空気を吹き飛ばすように「ガハハ!」と高笑いを披露するおじさんはバシッバシッと嬢様の背中を叩く。


 なんでこの状況で嬢様を励ますんだよとツッコミを入れたいのだが、これ以上恨みを買わないためにもお口をチャック。


 ……していたはずなのだが、なぜか嬢様の眉根はドンドン下がっていってしまう。


「伝える……ですか……?」

「おう!何度伝えても気づいてくれないんだろ?だったらこのまま頑張れっての!」

「あの……すみません……。い、1度も伝えたことはない……です……」


 おじさんへと向けていたはずの視線はいつの間にか地面へと落ち、不敵だった笑みは苦笑へと変貌を遂げた。


 錯覚だろうが、手にあるプレークまでもが嬢様と同じように俯いていている。


「まじでか?」

「……はい」


 目を丸くしたおじさんに、コクっと頭を振る嬢様は小さく答える。


 俺のことは見えていないのだろうか?そんなことを思ってしまうほどに2人の眼中に俺はおらず、淡々と会話が先に進む。


(もう食っていいか?)


 嬢様とおじさんの会話に俺は


 確かにこの会話の発端はおじさんが俺のことを庇ってくれてからなんだが、その後の会話は全く持って俺に関係ないのは聞かなくても分かる。


「言ってないのなら話は別だな。俺は執事くんの味方をするぞ?」

「だ、だって!それってもう……こ、告……。あ、あれじゃじゃないですか!」

「なるほど執事くん。このお嬢ちゃんはピュアだぜ?」


 突然俺の肩を掴んできたかと思えば、高笑いを披露するおじさん。


 というかなんで俺の方に来た?俺は話に入ってないはずだろ?

 ……いや、もしかしたら隠語を含めて話してる……とか……?


(まぁ嬢様に隠語を使うほどの知恵は持ち合わせてないか!)


 表の顔はほほ笑み。裏の顔ではおじさんにも負けない高笑いを披露する俺は嬢様の顔を見続ける。


『そんなことはどうでもいいからさっさと食わせろ』と言わんばかりに。


「べ、別にピュアじゃありませんよ……」


 どうやら嬢様は『よし』と言う気はないらしい。

 折角上げていた瞳をふいっと逸らした嬢様は口を尖らせ、またも俯いてしまう。


「……今朝。だ、抱きついてきましたし……」

「抱きついただけでそんな顔するのはピュアじゃないか?」

「ね、寝込みを襲うともしましたし……」

「ほー?できたのか?」

「……私が部屋に入る前にルフが起きてそれどころじゃなかったです……」


 尖らせた唇からは淡々と言葉が紡がれるが、おじさんの質問に答える度に嬢様の体は団子のように縮まっていく。


 そんな滑稽な姿を視界に入れながら、頭の中で数えていた秒数が3分を迎えたことによってハムっとプレークに齧り付いた。


『抱きついた』だとか『寝込みを襲う』だとか、色々と気になる点はあるのだが、この極上のお菓子の前では無に帰す。


 俺の行動を流し目で見ていたのか、勢いよく顔を上げた嬢様は「あっ!」と声を上げ、伏せていた眉根は大きく吊り上がる。


 瞬間、口の中に広がるのは匂い通りの甘さと、ほんのり感じる酸っぱさ。

 薄くふんわりとした生地は口に入れた瞬間破れ、刹那にクリームが口いっぱいに広がる。


 一言で言えば『美味しい』

 表現を変えれば『絶品』


 これを食べるために生まれ変わったのではないのだろうか?と思ってしまうほどにプレークは俺の舌を満足させてくれた。


「まだ3分経ってないでしょ!」

「いえ、はひまひた《経ちました》」

「おう経ったぞ。俺の体内時計が3分の鐘を鳴らしてるからな」


 先ほど公言した通り、おじさんは本当に俺の味方になってくれるらしい。


 まぁ味方にならなくとも3分が経ったのは本当なんだが、それでもありがたい。

 現に、1対2の状況に陥ったお嬢様は「うぐっ」と半歩後退りしている。


 ……まぁ、嬢様に『ついこの前あんな事あったのにそんな事するんだ?』とか言われたら元も子もないし、反省の色が見えないと言われて悪評をバラ撒かれる未来も見える。


 でもなぜだろうか?今だけはそんなことを言われる気はしない。というかこれからも言われる気がしない。


 嬢様に『ルフのすべてを知りたい』と言われたから?それとも嬢様が俺のことをしているのが分かったから?

 まぁ理由はなにしろ、この前の経験で割と何でもしていいことが分かった。


 今はちゃんとしつけを守って食ってるんだけどな?


「ど、どうしてルフの味方を……!」

「嬢ちゃんがもっと積極的に行ってたら味方したんだが、直接言ってないと来たからな」

「そ、それは……!……い、言えませんよ……」

「どうしてだ?」


 もぐもぐと咀嚼する俺は見逃されたのだろうか?

 またもや2人の会話へと戻ってしまうのを目の前に、もう一口プレークに齧りつく。


「だって……この関係を壊したくないから……」

「その関係を?」

「『その』ってなんですか!私にとっては心地いいんです!」

「そ、それはすまん。けど、敬語ばっかの関係って楽しくないだろ?もっと距離近づけたくないのか?」


 嬢様の声量に若干気圧されたのだろう。苦笑を浮かべるおじさんだが、まるで嬢様の核心を突くような言葉をツラツラと並べる。


 ん?なぜ俺が嬢様の核心をついてるのか分かるかって?

 嬢様がこの上なく目を見開いてるからだよ。


 チラッチラッと俺の方を見てくるのは安息の地を探すためだろう。


 この言葉のどこで核心をついたのかは知らんが、嬢様の顔は非常に分かりやすい。良いプレークのおかずになる。


「確かにもっと近づきたい……ですけど――」

「――ゴイチプレークひとつお願いします」


 嬢様の言葉を遮るように聞こえてくるのは少年の声。


 チラッとそちらを見やればオーブを被っており、髪色は見えないが身長的に俺と同い年ぐらいだろう。


 けど、その少年には少し不確かな点があった。

 身に纏うローブは生きるのを諦めた少年の声のように破かれており、所々についている泥が不衛生を物語っている。


 それだけだったら違和感のひとつも感じることはなかったんだろうが、その破れたローブの隙間から見える、下に着ている服が違和感を醸し出していた。


 というのも、隙間から見える服は新品のように輝いており、学院生を表すマントを纏っていたのだ。


 この少年には失礼かもしれないが、学院の学費は平民が賄えるものではない。

 それ相応の才能を持ち、学院から補助して貰っているのなら通えなくもないのだが、生憎この少年からはその才能が見られないし、見るからに貧乏だ。


 ローブから取り出した財布の中身もプレークをひとつ買うので精一杯な金額しか入っておらず、同じお金がない民からすれば勿体ないとも思ってしまうほど。


 というか、何でもかんでも買える嬢様の財布がバケモンなんだよ。なんで串肉買った後に服買ったり靴買ったりプレーク買ったりできるんだよ。

 親の金ばっか使いやがってよ!


 心のなかで嫌味を呟く俺は嬢様のことを見ることもなく、プレークを作り出すおじさんと少年を流し目で見た後――


「ほれ、そろそろ並び始めたからお話はここまでだ。また今度も来いよ」


 そんな言葉に促されるように少年の後ろを見やれば、これまた絵に描いたような行列がそこにはあった。


 さっきまでスカスカだったのは運が良かっただけか?なんて疑問も考える暇もなく、「畏まりました」と頭を下げた俺は屋台の隣に捌ける。


「あ、ちょ!ま、まだこの人と話したいことが……!」

「また来ましょう。僕もプレークという食べ物が好きになりましたので」

「ふ、2人で……?」

「もちろんです」

「……!絶対ね!」

「はい。男に二言はありません」


「やった!」と握り拳を握る嬢様は未だにプレークを食べていないのだが、匂いだけで好きになったのだろうか?


 嬢様がこのお菓子を食べたところを見たこともないし、買うときの反応を見るに元々好きだったとは考えにくい。


(まぁでも、機嫌が良いのならなによりだ)


 スキップでも踏むような足取りで歩く嬢様の後ろでクシャッとプレークを包んでいた紙を握り潰した俺は、風魔法に乗せて屋台の前にあったゴミ箱に放り投げた。


「そういえばお嬢様。本来の目的をお忘れなられていないでしょうか」

「しらな〜い。次はどこ行こっかな〜」


 誤魔化しているのか本当に忘れているのかわからないフワフワとした言葉が街中を飛び交う。


 そして今の嬢様の心情を表すかのように、ハーフアップは楽しそうに横に揺れる。


 そんな後ろ姿にジト目を向ける俺は、小さく諦めのため息を吐いて無言で歩く。

 自由が効くようになったとは言え、所詮は執事。嬢様の機嫌を損ねることは言わないようにしよう。


 ――結局、その日は勉強をしないまま底をしらない嬢様の財布で遊び呆けてしまった。

 ……と言っても、ほとんど嬢様が食べては買ってをしていただけなんだが。

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