第16話 執事の以前の幼馴染
「本当に申し訳ございませんでした」
「…………」
なぜか私の目の前で
遡ること、つい5秒前。
私の部屋の前でニーナと別れ、ルフと一緒に玄関を潜った瞬間、ルフは
ルフに至っては別に私の許可なしに何でもしていいんだけど、初めて見るルフの姿に、今の私は動揺を隠しきれていない。
ドタッと音を立てて手から滑り落ちたカバンは私のつま先にぶつかり、けれど目の前の情報が痛がることを許してくれない。
「どうかわたくしの御無礼をお許しください」
耳に入るのは久しぶりに聞く『わたくし』という言葉。
他人行儀が嫌で『僕』にさせたのに、なんで今更その一人称を使うのだろう。
そんな思案が脳裏に浮かぶけれど、このルフに何か言える状況ではない。
というか多分、相当許して欲しいことがあるから『わたくし』という一人称を使っているのだろう。
(そんなひどいことされたっけ……?)
けれど、生憎私にはその自覚がない。
確かに、『抱き付かれるのが嫌』と言われたことには多少傷ついたけれど、その気がない人に抱きつかれても迷惑なのは当然なこと。
確かに私が生きてる中で3番目ぐらいに傷ついた言葉だけれど、そこまでして謝ることじゃない。
「えーっと……。と、とりあえず頭上げよ……?」
やっと動いてくれる体はカバンを拾い上げながら紡ぐ。
自分ではその言葉は困惑に満ちた声色だったのだけれど、どうやらルフの耳に届いたものは違ったらしい。
「畏まりました」
ルフの畏まった言葉から伝わるのは『怯え』。
私以外の人が聞けばきっといつもの悠然としたルフと何ら変わりないと思うだろう。
けれど、私は何を隠そうルフの幼馴染。一時も離れることはなく、一時も考えなかったことがない幼馴染。
だからよくわかる。私ではなく、別のなにかに怯えてるということが。
でもそのなにかは分からない。どこかで突き止めようとは思ってるけど……
(私の幼馴染、ほんっと表情に出ないんだよね!)
今は一瞬の行動と声色でなんとなく『怯え』を察せれたけれど、日常的にこの
もっと表情に出してくれたらいいのに……。
「そ、それで?なんで頭を下げたの?」
踵と踵を合わせ、ズボンの縫い目にピシッと指先を揃えたルフと目が合う中、相変わらずの困惑した声で問いかける。
さすればルフはやっぱり悠然とした表情で答えを述べ始めた。
「先ほど、わたくしはお嬢様の敵に回る言動をしてしまいました。今更おこがましいのは重々承知しております。執事としてあるまじき行動だったと反省しております。ですのでどうか、今回だけはお許しいただけないでしょうか」
淡々と綴られる言葉たち。
「敵……?言動……?おこがましい……?」
全く持って理解できない言葉に、私はただ首を傾げることしかできなかった。
確かに、あの行動は執事ならダメなことだと思う。けど、ルフは執事だけれど執事じゃない。
私はずっとまえから『幼馴染なんだから言いたいことは何でも言ってね?』とルフに伝えている。
執事じゃなくて、ひとりの幼馴染として――ひとりの男の子として――私には言いたいこと、やりたい行動をしてくれていいと思っての言葉。
(だったんだけど……もしかして履き違えてる……?)
なにをどうルフの中で解釈したのかはわからない。でも、私とルフの距離感は確実にお嬢様と執事のそれ。
これ以上近づくこともないし、それ以上離れることもない。
人によっては願ったり叶ったりなのだろうけれど、私は違う。
「はい。執事の分際であのような口を聞いてしまい、誠に申し訳ございません――」
「まってまって!頭は下げなくていいから!」
隙あらば頭を下げようとするルフのおでこを手のひらで支える私は、折角持ち上げたカバンを再度つま先に落とす。
(色々と考えたいことはあるけれど、今はこのルフをどうにかしないとね)
私が手で支えたからだろうか。はたまた主人がやめろと命令したからかはわからない。
力づくで頭を下げることもないルフはサッと頭を上げ、慣れた足付きで私から距離を取る。
それが一番傷つくことも知らずに。
「よ、よくわかんないけど全然許すよ?だからそんなに畏まらないで……」
「誠ですか?」
「誠ですかって……。もっと打ち解けていいんだよ?執事の前に幼馴染なんだから」
「そう言われましても、ここにいる以上わたくしは執事でなければなりません」
「確かに男子は『執事』っていう資格が無かったら女子寮に入れないけどさぁ……」
(それとこれとは違うじゃん!)
と叫びたくなる気持ちはグッと抑え、自分を落ち着けさせるために宙を彷徨っていた手のひらでカバンを拾うために腰を曲げる。
やっぱりルフは根本的から正していかないと距離を近づけさせてくれない。
一応2歳の頃から
生まれてこの方、離れたことはないから過去に何かあったとは考えにくいけど……それを取り除くのも幼馴染の役目よね。
ハンドルを握った手と共に腰を上げる私は小さく息を吐き、ピシッと空いた手の人差し指をルフに突き立てた。
「と、とりあえずルフ!まずはその『わたくし』をやめよ?他人行儀なのは嫌」
「ですがこれは――」
「いいから!やめると言ったらやめる!」
「畏まりました」
(……うん、今のは幼馴染じゃなくて主人特権使った)
でもぐちぐち言い訳されるよりかは断然マシ。
必要ならば主人特権も使うし、ルフにはその主人特権に否応なく従ってもらう。
朝は逆らってたけどね……!でもそれで距離が近づくのなら何でもいいんだけどね……!!
再度自分を落ち着かせるためにルフに背中を向けた私は逆らわれたベッドへと歩いて行き、その隣にカバンを丁寧に置く。
そしてベッドに腰かけ、ちょいちょいっとルフに手招きをしてやる。
「おいで?今度私たちの誕生日もあるんだし、ルフの悩みは今晴らそ?」
「いえ、悩みというほどの悩みは――」
「いいから来るの!私の隣に座る!」
「畏まりました」
会釈するルフはどこにもカバンを置くこともなく、足音一つ立てずに私の前に立つ。
「ん!」
数秒経ってもその位置から変わらないルフを見かね、ビシッと隣を指さす私はさっさと座れと目を顰める。
そんな私に表情のひとつも変えないルフは小さく会釈をして、人1人分の間を開けて座った。
「それで?なんであそこまで謝ったの?」
「先ほども話した通り、わたくし――」
「わたくし……?」
「――僕が無礼を行ってしまいましたので」
私の忠告に一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐに一人称を言い直したルフはジッと私の目を見ながら紡ぐ。
でも、私が求めているのはそんな浅い理由ではなく、もっと思考の奥底にある言葉。ルフの考えていることにまつわる言葉。
もちろん今のが嘘だとは思わない。でも、こんなことであんなに謝るとは更に思えない。
確かにルフは執事としては申し分ないし、私のやりたいことを全て察してくれる最高の幼馴染。
けれどその分、ルフは今まで私に謝ったことがない。
完璧すぎるがゆえに謝ったこともなければ、本性を見せたこともない。
「……本当のことを言ってくれる?」
だから知りたい。
この機会に――この絶好のチャンスを逃したくない。
ルフとの間にあるベッドに左手を付き、そっと体を寄せる。
ルフが逃げられないようにするために。
「これが本当のことです」
けれど、まるで私の思考を読み取ったかのように飄々と言葉を口にするルフは体を反らすこともなく、感情を感じさせないほほ笑みを私に向けるだけ。
先ほどまで見えていた『怯え』すらもいつの間にかどこかに飛んでいってしまい、今ルフに残るのは『許せ』の2文字。
これ以上話すつもりはない。だから詮索はするな。
何一つとして変わらない表情。意思伝達だなんてもってのほか。
でもそう伝わってくるのは幼馴染だからだろうか。
「他になにかあるでしょ……?思惑というか目的というか……夢?」
「執事である僕に夢なんてございません。あるとすれば、それはお嬢様に従うことです」
「はぐらかさないで。私はルフのことを知りたい」
ついていた左手の隣に右手を置く。
下半身以外の全てをルフに向けて、とにかく逃げ出さない状況を作り出す。
どんなにルフが私を拒絶しようとも、私はルフを拒絶するつもりはない。
執事である以上――幼馴染として生まれてきた以上、ルフの隣に立つのは一種の定め。
クイッとルフの裾を摘み、ほほ笑みが取れない瞳を見つめ続ける。
「僕のことを知りたい、ですか」
「うん。知りたい」
「……そうですか」
私の辛抱強さが評価されたのだろうか?諦めたかのようにスッと小さく息を吐いたルフは、今日初めてほほ笑みをやめて目を伏せた。
ルフのほほ笑みは感情が灯っていないとはいえ、きっと誰が見ても愛想がいいと評価するだろう。
でも、ほほ笑みを浮かべていないルフを見た時、きっとみんなは言葉を詰まらせると思う。
だって、能面のように感情を失ったぶっきらぼうがそこにはあり、光を感じさせない瞳からは絶望が垣間見えるのだから。
いつこんな感情に陥ったのかは幼馴染の私でもわからない。
物心がついた頃からそうだったし、なんなら3歳よりも前からこんな目をしていた気もする。
「そうですね。お嬢様ですから、執事の秘密も打ち明けないとですね」
不意にニコッとほほ笑みに戻るルフの顔。
光が灯る
すっかりいつもの姿を取り戻したルフはチラッと摘まれている裾を見下ろし――
「あ、ごめん」
「大丈夫ですよ。隠していた僕が悪いので」
慌ててその手を離す私を責め立てることもなく、浮かべたほほ笑みは私の目を捉えた。
「僕の秘密……ということでもありまあせんが、正直僕は嬢様に解雇されることを怯えています」
「……え?」
淡々と紡がれた言葉はほんっとうに拍子抜けのものだった。
思わず不抜けた声とともに首を傾げてしまう私は丸くした目を紺藍の瞳に向けることしかできなかった。
「もし解雇されれば僕の居場所がなくなり、お先真っ暗になってしまいますから」
「……え?お先真っ暗……?」
「はい。先ほどの無礼が原因でお嬢様が怒り、『僕を解雇されるのでは』と思いまして」
更にルフの口から紡がれる真相。
でもその真相が嘘と思ってしまうのはあまりにも馬鹿げているからだろうか。
「……え?それがルフの思ってること……?」
「そうですね。これが僕の思ってることです。ですから先ほど、夢があるとすれば『お嬢様に従うことです』と述べたのです」
「そういうこと……ね……」
でも残念ながらこのルフの言葉からはなんの嘘も見えない。
もしかしたら私が戸惑って見抜けていないだけかもしれないけれど、少なくとも今はこのほほ笑みの裏に偽りはないと思った。
そう思った瞬間、フッと笑みが浮かび上がった。
これはきっとルフのことを知れたからだと思う。胸の辺りが暖かくて、それを隠そうとしても隠しきれない感覚。
きっと、私はルフに嘘は付けないのだろう。
どこかでこの気持ちも口にしてしまうのだろう。
そんなことを頭の片隅で考えながら、ルフとの間についていた手を背中の後ろに位置変える。
「そっかぁ。ルフは私から離れたくないんだねぇ〜」
「そうですね。そういう解釈になりますね」
「そっかそっかぁ〜」
どう足掻いても離れたくないとしか解釈できない言葉に、ただ心が満たされていく。
きっと、今の私の頬は人様に見せられないほどに緩んでいるはずだ。反射するものを見なくても、若干感じる痛みで推測できる。
本当ならルフにもこんな顔は見せたくないけれど、ルフが直接こんなことを言ってきたのだから仕方がない。
それよりも、今はルフを安心させること。
なぜか私がすっごい満たされてしまったけれど、本来の目的はルフをどうにかすることだ。
だからちゃんと言わないとね。
「――ルフ、明日だけ解雇します。女子寮に立ち入ることを禁じ、私に話しかけることも禁じます」
緩ませた口元から発せられた言葉は一瞬にしてルフの心をかき乱す。
願わくばほほ笑みも崩したかったのだけれど、さすがはルフ。感情を表に出さず、けれど言葉が喉を通っていないのを見るに相当焦っているのが目に見えて分かる。
「んーと、それじゃあ……出ていって?」
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