39
温室から出ると、すぐそこにナミレチカが立っていた。少し離れてエングニスもいる。
「よかった、ご無事で……」
ジュリモネアを見るとナミレチカがポツンと呟いた。
「無事に決まってるじゃないの。このお屋敷の敷地内は安全だって、自信満々でネルロが言ってたわよ」
「なに言ってるんですか。お部屋の前から見ていたら、なんだか奥の方に連れて行かれたから……ジュリモネアさま、お一人でお部屋に辿り着けますか?」
そのネルロが信用できないんです、と言おうとしたナミレチカ、言っても無駄な気がして話を変えた。
「そう言えば、ここ、どこかしら? 迎えに来てくれたの?」
案の定、ネルロについて行っただけのジュリモネア、庭をずんずん来たのは覚えているが、建屋がどっちなのかまでは覚えていない――方向音痴なのだ。屋敷から道を真直ぐに行くだけのベッチン村にすら、ひとりでは行けなかったことでも判る。
「そうでございますよ――ジュリモネアさまが行方不明になったら、またリザイデンツさまに『面倒な』って言われてしまいます」
「面倒がるのはキャティーレさまとネルロ、リザイデンツはブツブツ言いながら、ちゃんと働く人だわ。で、どっちに行けばいいの?」
言い足りなかったが、くどくど言ったところでジュリモネアがちゃんと聞いてくれるはずもない。諦めたナミレチカ、建屋に向かって歩き出す。ニコニコ顔で着いていくジュリモネアの後ろはエングニスだが、建屋の方を向く前にチラリと温室の出入り口を見た。ちょうどネルロが出てきたところだ。大きな
向こうもこちらを見ていて、二人の視線が交錯する。キッと睨むネルロ、それをエングニスがじろりと睨み返す。
先に視線を外したのはネルロだ。フン! と横を向くと、温室の中に戻ってしまった。
「エングニス、戻るわよ」
それを見ていたナミレチカがさりげなく、エングニスを呼んだ――
夕食の時、ジュリモネアがリザイデンツに訊ねた。
「このお屋敷の召使の食事はどうしているの?」
今夜も夕焼けの小部屋でキャティーレと二人での食事だ。リザイデンツは給仕係を兼ねて、傍らに立ちっぱなしだ。
「厨房の隣に食堂がございます。そこで全員でいただいております――仕事の都合などで決まった時刻に来られない者の分は、調理長が別にしておいてくれます」
「へぇ……リザイデンツもそこで?」
「わたしは決められた時刻にはたいてい何かしらの仕事がございます。ですので、用意されたものを自室でいただくようにしております」
「リザイデンツって忙しいのね――ねぇ、お料理は同じものを?」
「召使に出される食事は同じ物でございます。誰でも好きな量を食べられるよう、食堂では大皿で並べ、それぞれが自分で取り分ける形にしております」
「そのお料理って、ここに出されているものとは違うんだ?」
「いいえ、特別なことがない限り同じでございますよ」
「特別なことって?」
「大切なお客さまを迎えての晩餐などは贅沢な料理も作ります。そのすべてを召使にまで出せません。特に、費用よりも手間暇がかかる手の込んだ料理などは全員分を作るのは難しいのです」
「ってことは、それほど手のかからないお料理は召使たちにも?」
「はい、ご相伴にあずかれます」
「ねぇ、このお屋敷、召使いって何人くらいいるの?」
「メイドは住み込みが十一人、通いが五人、厨房は全員住み込みで調理長と助手が三人、厩舎係は住み込みが三人ばかり、通いと言うか、人手が欲しい時に呼ぶ者が二人いまして、そのほかに雑用係として三人ほど住み込んでおります。仕事は決まっておりませんがあと四人ほど、呼べば来てくれます」
「そうなのね。大勢いるのは判ったわ」
ジュリモネア、例によって途中から聞いてなんかいない。
「住み込みってことは、このお屋敷で暮らしてるってことね」
「はい、お屋敷に部屋を与えております――通いの者と言いましたが、お屋敷の敷地内の別棟……小さい離れが何棟かございまして、そこからの通いでございます」
「じゃあ、家族でそこに住んでる?」
「もちろんです。通いの者も別棟に住む者も、みな家族で暮らしております――と言うか、子どもを除けば家族も召使いでございます」
「あら、子どもがいる人も?」
「もちろんでございます。夫が厨房や厩舎・雑用などで働き、妻はメイド、そんな感じでございますね。両親が働いている間は、子どもたちは一緒に過ごしているようですよ。年齢に応じた仕事を与えることもございます」
「まぁ! 子どもを働かせるの?」
「遊びの延長でございます。イチゴやブルーベリーの摘み取り作業などです。楽しんでいるようにしか、わたしには見えません」
「そんな仕事なら楽しいかも。つまみ食いもできそうだし」
「はい、よく叱られていますね。もっとも本気で叱る者もおりませんが」
「でも、このお屋敷で子どもの声を聞いたことがないわ」
他意のないジュリモネアの疑問、しかしリザイデンツはギョッとする。
「以前にも申し上げましたが、侯爵さまやキャティーレさまのお仕事の邪魔にならないよう、屋敷の中では静かにするよう申し付けてありますから」
「そう言えば、躾に厳しいって言ってたわね――でもねリザイデンツ、子どもたちには伸び伸び過ごさせてあげないと」
「それはもう……お屋敷は広うございます。ジュリモネアさまのお耳に届く範囲にはいないのですよ」
「そっか、なるほどね。建物も複雑な形だものね。このお部屋は東の
「よくお判りになりましたね――お屋敷のどこよりも夕焼けが美しく見えるということで『夕焼けの小部屋』と呼ばれています」
「侯爵夫人のお部屋にも何か呼び名があるの?」
「あのお部屋はドアのレリーフから『女神の部屋』と呼ばれています」
「そう言えばキャティーレさまのお部屋はどこにあるの? お部屋にお招きいただけない?」
「え、いや、それは……」
キャティーレの部屋を教えたら、このご令嬢はこちらの都合も考えず、のこのこやってきそうだ。だからと言って、納得させられる『教えない理由』が思いつけない。口籠るリザイデンツ、ところがあろうことかキャティーレが、
「だったら、食事が終わったら一緒に行けばいい」
とサラリと言った。
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