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 キャティーレがジュリモネアと踊って踏み荒らした跡を見ていた、とは言えない。きっとジュリモネアにそんな記憶はないだろうし、そんなことを言えば彼女を責めてるみたいじゃないか……ネルロがどう答えるか迷っているうちに、

「あら、なんでここ、こんなに荒れてるの?」

ジュリモネアが気付いてしまった。


「え、あぁ……なんでかは判らないんだ」

「そうなんだ? 何か獣にでも遣られちゃったのかしら?」

犯人は獣よりずっとたちが悪い、と思ったが言えるはずもないネルロだ。かと言って、屋敷に獣が出るとは思われたくない。


「きっと鳥だと思うよ。今朝がた騒いでたしね」

そんな事実はないが、きっとジュリモネアは『そうだったのね』と思ってくれる。


「カラスって、原っぱを荒らしちゃったりするのね」

案の定、カラスが騒いでいたことについては聞き流した。

「カラスって地面を食べるの?」


「えっ? あぁ――地面を食べたわけじゃないよ。花や種、草に潜んでる虫は食べたかもしれないね」

「へぇ。カラスって雑食なのね」

「虫を食べるのはいいけど、収穫前の果実とかも食い散らかしちゃうから厄介なんだよ。そこの木、オレンジなんだけど、果実が色づいてきたら袋を掛けたり全体を網で囲ったり……けっこう大変な作業になる」


「あら、これがオレンジ? 葉っぱしかないじゃない」

「よく見て。濃い緑色の小さな球が付いてる。あれが大きくなると黄色になってオレンジ色になっていく」

「そっか……って、これ、キャティーレさまがマーマレードにするオレンジ?」


 ちょっと言い淀んだが、

「うん。そうだね。敷地内にオレンジはこの二本以外に三本あるから、マーマレードになったのがこの木かどうかは判らないけどね」

とムカついたのを気付かれないように言ったネルロだ。でもつい、

「このままでも充分美味しいのに、なんでマーマレードになんか……」

と呟いてしまった。


「あら、ネルロはマーマレード、嫌い?」

「だってあれ、苦いじゃん」

「うん、少し苦いね。でもそれもまたいいものよ」


「僕は断然イチゴジャムのほうがいい」

「イチゴジャムも美味しいよね」

「イチゴ、好きかい? 温室でイチゴを育ててるんだ。今から食べごろのを摘み取りに行こうと思ってたんだ。イチゴを摘んだこと、ある?」

「ないけど? ひょっとして、実がなっているの?」

「うん。気温を調整して、いつでも収穫できるようにしてる」

当然ジュリモネア、食い気につられてネルロについていくことにした。摘み立てのイチゴをご馳走してくれるかもしれない。


 庭を奥へと進むと何棟かのガラス張りの平屋、かなりの規模だ。

「こっちの三棟はイチゴで、向こうの一番大きい温室は研究用だよ」

ネルロが手前の建屋に入っていく。


「あら、天井もガラス張りなのね」

「うん、太陽光が重要なんだ――思った以上に収穫できそうだな。ジュリモネア、こんなふうに摘んで。真っ赤なのを摘むんだよ」


 なによ、わたしに手伝いをさせるつもりで連れてきたのね、と思いながら、ネルロに教えられたようにジュリモネアがイチゴを摘んだ。と、力を入れ過ぎて、少し潰れてしまった。

「あ……ごめんなさい、潰しちゃった。これじゃあ出荷できないわね」

ネルロがクスリと笑う。


「潰れたのがイヤじゃなければ食べてみて。それともこっちのにする?」

「どうせ口の中ではグチャグチャなんだから、少しくらい潰れてたって気にしない。でも、本当にごめんね。食べたくて潰したわけじゃないのよ」

「そんなこと、思ってないって」


「じゃあ、遠慮なく……って、あっまーいっ! ネルロ、すごく美味しい!」

「でしょう? よかったらどんどん食べて。大きくて、真っ赤になってるのを選ぶんだよ」

「だって、出荷する分がなくなっちゃうわ」


「ここのイチゴは屋敷で食べるために作ってる。収穫したのはいつも厨房に持ってってるんだ。食べごろになったらどんどん採ってやらないと傷んでしまうからね」

「あら、それじゃあ、夕食のデザートもイチゴなのかな?」

次々にイチゴを摘まんでは口に入れるジュリモネア、夕食にも食べたさそうだ。


「それはどうかな……キャティーレはイチゴ、あんまり好きじゃないから。ツブツブがイヤなんだって。でも、明日の朝のデザートはイチゴだろうね。スレンデがゼリー寄せとかにするかもだけど」

「へぇ、キャティーレさまはイチゴが嫌いなのね。美味しいのに――ネルロもジャムを作るの?」

「あぁ、三棟のイチゴ温室のうち一棟はジャム用で、庭に出した大鍋で一年分を作るんだ。そっちの収穫はメイドたち。で、ジャムにするのは調理係」

「ネルロは作らないんだ?」

「だって、かなりの大量だよ? 一年分のジャムを作って瓶に詰めて……時間もかかるし、面倒じゃん」

「あら、面倒臭がりはキャティーレさまだけじゃないのね」

ウフフとジュリモネアが笑う。


「まぁ、普通は召使たちがやることね」

その一言でホッとしたネルロだ。面倒臭がりは嫌いだと言われないかとヒヤッとしていた。

「そうだよね。自分でやったら召使たちに気を使わせる。彼らに仕事を与えるのも主人の務めだよ」

心持ちキャティーレ非難の匂いがする。


「まぁ、マーマーレード作りは趣味なのかも――趣味と言えば、ネルロも絵を描くんですって?」

ネルロにムカついたが、キャティーレの描いた絵を見て対抗心を燃やして描き始めたネルロだ、ここは甘んじるしかない。いや、なにも『も』はキャティーレが対象じゃないかもしれない


「うん。ジュリモネアも描くの? 今度一緒に描こうか?」

「わたしは見るのが好きなだけ――侯爵夫人のお部屋をお借りしてるんだけど、そこの廊下にキャティーレさまとネルロの絵が描けてあったのを見たわ。二人ともお上手ね」

「あぁ、ペンタスを植えた花壇の前の部屋だよね」

「さっきね、ペンタスを見ていたの。そしたらネルロがさっきの場所に居るのが見えたから――あ、そろそろ戻らないとナミレチカが心配するわ」


「ナミレチカって侍女だったよね? なんで心配なんか? 屋敷の中はもちろん、敷地内は安全だよ」

「ナミレチカは心配性なのよ。でもね、それってわたしを大切に思ってくれてるってこと。文句は言えないわ――それじゃあまたね、ネルロ。イチゴ、美味しかったわ」

「うん、好きな時に来て、食べていいからね。いつでも食べごろの実があるよ」

別れを惜しむ様子が全くないことに寂しさを感じながら、ネルロは温室を出ていくジュリモネアを見送った。

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