31

 ネルロが向かったのはキャティーレの私室だった。

「んで? なんで邪魔したのかな?」

部屋に入ってソファーに腰を下ろすなりネルロが言った。リザイデンツがすっとぼけて答える。

「邪魔? はて、なんのことでしょう?」


 フン! と鼻で笑ったネルロが、

「僕がジュリモネアを口説いてるのが判ってて、あそこに来たんだろう?」

リザイデンツを睨みつける。

「建屋の影から見てたよね? 僕が気付いていなかったとでも?」


「まぁ、気付いてないはずありませんよね」

あっさり認めたリザイデンツ、

「しかしネルロさま、時間切れでしょう? この時刻では、ねぇ?」

意味深に微笑めば、ネルロの顔が真っ赤に染まった。


「な、何も僕は、あの場で愛し合おうとまでは思っちゃいない。とりあえず、なんだろう、そう、気持ちをね、ジュリモネアの気持ちを僕に繋ごうとしただけだ」

「気持ちを繋げばそれ以上を求めるものだと、知らないネルロさまではありませんよね?」

「そ、そんなの判るか! だって僕、吸血したことないし――リザイデンツだってそうじゃんか。それとも判るって言うのかよ?」

「はい、もちろんで存じておりますよ。ま、知識としては、ですがね」

リザイデンツが溜息を吐く。


「少しでも吸血したら、肉欲が沸き起こり止められなくなる。思春期に入る頃、そう父から教わりました。けれど相手は一人きり、だから慎重に選べとね――ジュリモネアさまに隙が見えたら首筋に喰らいつく気だったのでしょう?」

図星だったらしい。ネルロが気まずくソッポを向いた。


「だってさ、リザイデンツ。首を咬まれると咬んだ相手が好きで好きでたまらなくなるって話じゃん」

「えぇ、わたしもそう教わりました。でもね、ネルロさま、だからこそ慎重にならなくてはならないのですよ。自分自身もそうですが、相手の一生にも関わることですから――ネルロさまは、強制的にネルロさまを好きになったジュリモネアさまでいいのですか? 違うでしょう? ネルロさまをちゃんと見て知って、そのうえで好きになって欲しい。そう思っておいででしょう?」


「そりゃそうなんだけど。でもさ、うかうかしてるとキャティーレに持ってかれそうだから」

「少なくともキャティーレさまはジュリモネアさまの承諾もなくキスをして、愛の呪縛を仕掛けるようなことはなさいませんよ」

「あぁ、アイツは高慢ちきだからね。どんなに欲しくったって、プライドが邪魔して欲しいって言えないヤツだ」

「えぇ、ネルロさまのように、欲望で動くことはなさいません」

むっとネルロが黙る。そしてリザイデンツを盗み見た。なんとも情けない顔だ。少し突き放し過ぎたか? リザイデンツがギョッとする。このパターンは……


「リザイデンツは、僕が嫌い?」

「ネルロさま……」

しくしく泣きだしたネルロに、リザイデンツの胸がキュッと締め付けられる。


 まったく――ネルロは昔からこれだ。いっつも強気で来るくせに急に気弱になったと思えば、涙ぐんで『僕のこと嫌い?』と聞いてくる。


「ネルロさまを嫌えるわけがありません」

ネルロの頭を抱きよせ、子どもの頃と同じようにリザイデンツがその頭を優しく撫でる。そして思う。


 あの人にそっくりなその顔で、お願いです、泣かないでください――


 キャティーレが居間に出てきたのはすっかり日も暮れて、夜空に月が君臨したころだ。


 ネルロはリザイデンツの胸でしくしく泣いた後、気が済んだのか『少し寝るね』と寝室に入っていった。きっとベッドでも一頻ひとしきり泣いて、そのまま泣き寝入りしたに違いない。日没が過ぎてもすぐには出てこなかったキャティーレの、目が腫れぼったくなっていたことからも判る。


「何か冷やすものを用意いたしましょうか?」

リザイデンツが気を利かしたが、

「なんか、ネルロのヤツ、また泣いたみたいだな。ほっぺたがカピカピだし、目が怠い――昼間ずっと眠ってたことになってるんだろ? 少し腫れてたほうがそれっぽくっていい」

ぶっきら棒にそう答えたキャティーレ、機嫌が悪いということはなさそうだ。


 リザイデンツが紅茶を淹れる。濃い紅茶にマーマレードを溶かして飲むのがキャティーレのいつもの習慣だ。

「あんま、おなかいてないな」


「それでしたら、お食事は真夜中あたりで?」

「いや、ジュリモネアが待ってるんだろう?」

ふむ……まったく、キャティーレとネルロの意識はどんな具合に絡み合っているのだろうか?


「キャティーレさまにはネルロさまが丸見えなのですね」

違うだろうと思いながらニッコリ笑って見せたリザイデンツだ。すると

「多分、そんなことないと思う。だってほら、泣いたのだって、起きた時の状態で判ったんだし」

と、キャティーレがいつになく素直に答えた。


「どんな状態だと、意識が共有されるのですか?」

「そんなの判らない。それに共有って言うより、記憶に残ってるだけ」

「その記憶は鮮明なものですか?」

「たいてい、なんとなくって感じだ……リザイデンツ、今日はやけに知りたがるな。根掘り葉掘り聞いたりして、どうかしたのか?」

「あ、これは失礼いたしました」


 慌てて畏まるリザイデンツをキャティーレは少しの間、観察するような目で見ていたが

「まぁいいや……ジュリモネアはマーマレード、好きかな?」

と、紅茶に入れるためリザイデンツがテーブルに置いたマーマレードの小瓶を手に取って眺めた。


「どうでございましょう? お食事はご一緒なさるおつもりなのでしょう? 訊いてごらんになったらいかかですか?」

「そうだな。本人に訊くのが早い」

小瓶をテーブルに置いてキャティーレが立ち上がる。


「今から訊きに行こう。リザイデンツ、マーマレード、新しい瓶を持ってきて。まだあるよね?」

「はい、もちろんでございます――って、キャティーレさま! お待ちください、マーマレードは食糧庫でございます!」


 大急ぎで食糧庫に寄って、マーマレードの瓶を持ってジュリモネアの部屋に向かったリザイデンツ、キャティーレは部屋の前でドアのレリーフを眺めて立っていた。


 リザイデンツを見ると、

「なんだ、たった三つしか持ってこなかったんだ?」

面白くなさそうな顔をしたが、それでも瓶をリザイデンツから受け取った。

「ジュリモネアにケチだと思われたらどうする? まぁ、幾つとは言わなかったわたしも悪い――ノックしろ、リザイデンツ」


 なんだ、まだノックもしてないのか。それくらい自分でしたっていいだろうとは思うものの、言われたとおりリザイデンツがノックする。すぐにエングニスが対応に現れた。

「キャティーレさまがジュリモネアさまをお訪ねです」

頷いたエングニスがいったんドアを閉める。と、またもすぐにドアが開いた。今度は開けっ放しだ。そのまま奥に行くエングニスにリザイデンツ、キャティーレと続き、次のドアの前でナミレチカが待っていて、一礼してから主室のドアを開けた。


 リザイデンツが中に入り、ソファーに腰かけていたジュリモネアに一礼し、キャティーレに場所を譲る。続いて入ってきたキャティーレが、

「んー……」

と唸った。

「面倒だな」


 それを聞いてジュリモネアが立ち上がった。

「そんなことをわざわざ言いに? 随分酷いことを仰るのね」


「酷いこと?」

「わたしとお食事するのが、そんなに面倒ですか? だったらもう二度と、一緒に食事をなんて申しません」

じっとキャティーレがジュリモネアを見る。それから首を傾げて言った。

「誰が面倒だなんて言った?」

すっかり忘れているらしい。

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