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 何時なんじになってもいいからキャティーレと一緒に食べるとジュリモネアが言った。

「キャティーレさまのペースに合わせる練習も必要かもしれないし。それにもし、わたしには務まらないようならお断りするのは早いほうがいいもの」


「では、もし無理だと判断なさったら婚約破棄をお申し出になるのですか?」

「それはないわ。キャティーレさまのほうから仰っていただくの」

ネルロの言っていた展開になってきたと、リザイデンツがゾッとする。


 侯爵が存命のうちに何しろキャティーレには結婚して貰わなくてはならない。婚約破棄などとんでもない。もっとも婚約破棄なんてキャティーレが承知しないだろうから心配ないか。だってジュリモネアは恋焦がれたあの人だ。


「しかし、キャティーレさまはジュリモネアさまを妻にと考えておいでです。婚約破棄を申し出るなど、ジュリモネアさまがお願いしたところで検討する事すらなさらないと思います」

「あら、決めつけないで。訊いてみなくちゃ判らないわ。もちろん、リザイデンツが訊いてくれるんでしょう?」


 一瞬言葉を失くしたリザイデンツ、婚約破棄すればもうキャティーレの婚約者ではなくなる。だからジュリモネアの願いを聞き届ける筋合いはない、そう言おうとして思いとどまった。まだ婚約は破棄されていない。


「その前に、キャティーレさまと充分お話しなさってください」

「それもそうね。キャティーレさま、わたしに合わせるって言ってくれるかしら?」

なんだか一方的なことを考えているような気もするが、ま、ジュリモネアの生活ペースのほうが一般的ではあるかと思ったリザイデンツ、

「巧く行くとようございますね」

と愛想笑いを浮かべた。


「じゃあ、今夜の夕食は第一回結婚後の生活プラン会議ね。待ってるから、なるべく早くして。でも、あんまり遅くなるなら、少し何か食べておいたほうがいいかな?」

会議なんだな、と笑いそうになったが

「いえ、ちょっとお待ちください」

リザイデンツが慌てる。

「ご一緒に召しあがるかどうか、キャティーレさまに伺わなくては決められません」


「勝手なこと言わないでよ。待ってろって言うから待ってるって言ってるのに、待ってても無駄になるって言うの? まぁ、いいわ。それなら早く訊いてきて……って、キャティーレさまは眠ってらっしゃるんだった。起こしたら可哀想ね」

ジュリモネア、我儘一辺倒ってわけでもないらしい。


「ま、いいわ。何か美味しいもの、持ってきて。お茶でも飲んで待ってるわ。あ、それから、献立はキャティーレさまのお好きなものだけにしてね。もし一緒は無理ってことになっても、わたしにも同じものを出してくださいな」

「畏まりました――では、厨房に伝えてまいります」


 スレンデにジュリモネアの意向を伝えると『いつでもキャティーレさまの好きなものばっか出してるがな』と苦笑いした。

「でもさ、近いうちに旦那になる男の好みが知りたいってことだろうね。健気なお嬢さまだ」

ジュリモネアに好感を持ったようだ。

「そんじゃあ、下準備しておくから。キャティーレさまが起きたら報せてくれよ」

あとは、いつキャティーレがするかだ。


 ネルロはどうしているのだろう……まさか、あのままカウチで寝入ってしまった? 心配になったリザイデンツ、ネルロがサンドイッチを食べた部屋に行ってみる。が、そこには居なかった。では自室のほうか?


 寝室は共有しているが対外的に取り繕うため、ネルロには別に研究室と称して部屋を与えていた。ネルロは魔法と動植物の研究者と言うことになっている。様々な分野の書籍で書架は満杯、机には本も山積みされているが顕微鏡もある。いかにも研究者に相応ふさわしい趣の部屋の、片隅にはめったに使われることのないベッドもあった。他人が入ることをネルロが嫌がるので掃除するのはもっぱらリザイデンツ、もちろんネルロが自分ですることはない。で、そこにも居なかった。


 それならキャティーレの部屋? ひょっとしたらそっちの寝室で寝たのか? それならキャティーレと入れ替わったところで起こせば手間がかからなくていい。そう思って行ってみたが、やはりいない。


 もう日は西に傾いている。太陽は地平線に近い位置にある。こんな時間にどこに行ったというのだ? 焦ったリザイデンツが屋敷中を探し回る。


「ネルロ? 頼まれてた花苗が来たって教えたら取りに来て、暫く馬を見てたけど、苗を持って出てったから庭じゃないかね」

馬の世話係が教えてくれた。


 庭と言ってもどこだろう? なんだか嫌な予感がする――リザイデンツは厩舎を出ると、建物の外を回ってジュリモネアの部屋から出られる庭へと向かった。


 かどを曲がれば目指す庭、だがリザイデンツは建物の影に隠れるように足を止めた。話し声が聞こえたからだ。若い女性が可愛い声で笑っている。あれはジュリモネアの声だ。


「ふぅん、ネルロって花が好きなんだ?」

答える声は小さすぎて聞こえない。だがネルロで間違いないだろう。


「わたし? 花は好きだけど自分で植えたり、たねいて育てたりなんてしたことないわ。種にも葉っぱにも興味ないし――切り花で充分。せいぜい鉢植え。鉢植えならナミレチカが手入れしてくれるから」

また何か、ネルロがぼそぼそ言った。


 リザイデンツがチラッと建物の影から覗くと、部屋の前に立っているのはジュリモネア一人、すぐそこにある花壇のほうを見ている。どうやらネルロはしゃがみ込んでいるらしく、花壇に隠れて姿が見えない。


「えっ、そうなの? わたし、ペンタスが好きだなんてネルロに言ったっけ?――なんだ、なんとなくそう思ったのね。ネルロって勘がいいのね」

クスクスとジュリモネアが笑う。

「わたしのためにネルロがペンタスを植えてくれた……嬉しいわ。咲くのが楽しみ」


「さてっと、これでいい」

作業を終えたネルロが立ち上がり、やっと声が聞こえた。

「一週間もすれば蕾が付き始める。十日もすれば花が開く――そしたらさ……」

ネルロがジュリモネアを見る。


「そしたら?」

続きをなかなか言わないネルロに、ジュリモネアが微笑んだ。その様子にリザイデンツが震える。遠目でも、恋する二人にしか見えない。


 急いで数歩、後ろに下がり、リザイデンツが大声を出す。

「ネルロさまぁ~? どこに居らっしゃるんですか?」

そして建物の角から出て、

「あ、こんなところにいらっしゃいましたか――ジュリモネアさま、先ほどは失礼いたしました」

今、ここに来たかのように装った。


「リザイデンツ、僕になんの用?」

穏やかに見せかけて、ネルロが怒りを抑えているのがリザイデンツには判っていた。


「はい、キャティーレさまがお呼びです」

そろそろ入れ替わりの時刻が来ると、匂わせたリザイデンツだ。が、これは藪蛇だ。


「まぁ、キャティーレさま、お起きになったのね?」

ジュリモネアがネルロより先に反応を示す。

「それで、夕飯をご一緒していただけるのかしら?」


「キャティーレと一緒に食事?」

今度はネルロの過剰反応、

「アイツが誰かと一緒に食事するはずない――呼んでるらしいから僕は行くね。まただ、ジュリモネア」

ジュリモネアにニッコリ笑んでからリザイデンツに向かってくる。


「まだ伺ってないんです。なるべく早くお返事差し上げますのでお待ちください」

ジュリモネアにそう言うとリザイデンツは、自分を通り過ぎて屋敷の入り口に向かったネルロを追った。

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