第2指導室
ホチキスどめの作業は15分ほどで終わった。窓の外を見ると、夕焼けの空が薄っすらと紫色になりかかっている。
「矢野ってさ」
帰る支度をしていると、不意に名前を呼ばれた。
「裁縫できる?」
「何ですか、急に」
「できる?」
「人並みには」
「じゃぁさ、明後日手伝ってほしいことあるんだけどいい?」
それは、次に会う約束だった。
「いいですけど、何するんですか?」
また二人で会えることに安堵した気持ちは胸の奥に押し込め、素っ気ない口調を心がける。
「詳しいことは後で話す。今日はもう遅いから。また明日ね」
彼は椅子から立ち上がると、伸びをしながらドアの方へ向かった。私は鞄を持って、その後を追う。
「明日は現文も古典もないですよ」
「そうだっけ?」
「明日の6限、集会です」
「そっか、現文潰れるのか」
「自分の時間割くらい把握してください」
「はいはい、すみません」
と、参ったというように笑う彼。その横顔は夕日に照らされ、白い肌がオレンジ色に染まっている。とても美しくて、どこか儚い。
「高良先生」
私は彼の名前を呼んだ。何となく呼びたくなった。
「んー?」
間延びした声で返事しながら、高良先生は首を傾げた。少し伸びた髪が、さらりと頬にかかる。手を伸ばせば届く距離に、高良先生がいる。その頬に、髪に、触れてしまいたくなる。でも、そんなことをしたら、高良先生は私から離れてしまう。
「明後日はここに来ればいいですか?」
伸ばしそうになる手を、反対の手でぎゅっと押さえつける。
「うん、矢野はそれで平気?」
「はい」
「じゃ、また明後日」
高良先生が手を振る。先生相手に手を振るなんて、そんな友達にするみたいなことできないと思っていた。だけど、手を振り返さないと高良先生はいつまでも帰してくれないと、ここ最近学んだ。私は遠慮がちに手の平を高良先生に見せた。すると、高良先生は満足そうに微笑んで、また私に手を振る。いつまで手を振ればいいのか分からなくて、私は振っていた手でドアを開け、誤魔化した。
「気を付けて帰れよ」
そんなことを言われると、大切にされているような気がしてしまう。胸がきゅぅっと痛む。
バタン――
返事をしようと振り返ったときには、もうドアは閉まっていた。閉めたのは自分なのに、恨めしい気持ちになった。
また明後日。明日は会えないけど、明後日は会える。次が、ある。
「また、明後日」
私はドアに向かって呟いてから、静かな廊下を歩き出した。
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