本当に素晴らしい。まず作品一つ一つのクオリティが半端じゃない。掌篇集ですら抜かりがなく、短い文章で驚きと陶酔を齎すその完成度は、まるで川端康成の『心中』のような巧みさである。
同人誌の形式で羅列される作品群の完成度もさる事乍ら、最後の藤尾瑛臣先生の書簡の完成度といったら。最後の最後迄読み通した後に最初から再読していくと、何か一つ一つのワードに示唆があるように思えてくる。メタフィクションの極北だと思った。
現実世界に今生きている読者の私、という視線を忘れ、本当に二人がいる世界線で同人誌を読んでいる気になった。確かにそこに存在しているのだ。読後の私と、読む前の私とでは明らかに乖離している。これは精緻な部分にまで気をつけた、完成された世界感がなせる技だ。何度読み返しても新鮮に心を動かされる。
泉鏡花、芥川龍之介、川端康成、内田百閒、須永朝彦など、私が愛している怪奇幻想作家の作品の精緻な空気感が玉紫にも広がっていて、感動などという言葉では収まりきらない熱量に心が震えた。
これだけのものを文体にわずかの綻びもなくぶれもなく書き上げてしまうという手腕だけでも感嘆に値する。
根気の有無ではなく、己の中に揺るぎない美学がないと、この文章は編むことが出来ない。
といっても明治の文豪など、この手の文体を当たり前にしていたのであって、「時代遅れ」を外せば、かつての「普通」、本人の嗜好のままに古い作家の作品に耽溺している方なら、眼にも慣れ親しんだ、大変に心地の良いものであろう。
きっとこの方は、自分の書き綴る一文字一文字に深い満足と快感を覚えている。文章のどこを切り取ってもこだわり抜いた美しい漢字がいぶし銀のように光ることを意識して書いている。以前、この方の作品のことを彫金のようなと評したことがあるが、その印象は今も変わらない。
細い金属の糸で、神経を尖らせながら、僅かなゆるみも許さぬとばかりに、かっきりと編みこまれた小説。
文学に生きようとした二人の男の殉死が、著者によって選び抜かれた文字列によって彼らの望みどおりに埋葬されているさまは、余人が迂闊に手を触れることをゆるさない、硝子の向こうの工芸品の域になっている。