第8話 白い足

 嬢の待機所はマンションや雑居ビルの一室のことが多い。

 しかし、待機所がない店もある。


 そういう店では、ネットカフェで待機をさせる。

 店側からすると家賃などの固定費を抑えられ、嬢側からすると漫画やネットで暇を潰せ、飲み物や軽食も無料で案外居心地がいい。


 費用以外にも、店側にはメリットがある。

 それは嬢同士の交流を防げる点だ。

 この仕事は人気によって収入に明確な差がつく。

 同じ部屋にいると、誰がいつ指名されたか。あるいは誰が指名されずに売れ残っているのか一目瞭然なのだ。HPのランキングを見てもわかるのだが、実際に目の当たりにするのとではやはり心証が違う。


 嫉妬は諍いの燃料である。放って置くと、すぐにケンカやイジメが横行し始める。女たちの手綱を握る自信のない店長には、ネットカフェの活用をおすすめしたい。


 とある女の子から聞いた話だ。


 その子が働く店も、ネットカフェを待機所にしていた。

 お気に入りの漫画の新刊が出ていたので、それを取ってブースに向かう。そこはほとんど彼女の指定席となっていた。どんなに混雑していても、なぜかそのブースは空いているのだ。


 ブースは一畳ほどのマットタイプだ。奥にパソコンが置いてあるので少々の圧迫感がある。狭い三和土にブーツを脱いで、足裏で薄いマットを踏む。ドアの下が30センチほど空いていて、冷たい風がスースー通るのが若干気になるが、それでも一応周囲の視線は遮れる。


 髪型が崩れないよう気をつけながら、ごろりと横になる。

 ここまで視線が下がると、通路はもちろん向かいのブースの足下まで見えてしまう。向かいのブースは同じマットタイプで、白いタイツを履いた足が見えた。


 これもいつものことだ。たぶん他の店の嬢だろうと思っている。白のタイツなんて、ゴスロリファッションでもしてるのだろうか。きっとそういうコンセプトの店で働いているのだろう。


 とはいえ、それほど興味があるわけでもない。

 再び漫画に目を落とす。


 小一時間ほどで読み終え、うーんと伸びをする。

 呼び出し用に持たされたスマホはうんともすんとも言わない。

 彼女は人気の嬢だったが、まるで指名が入らない日というのもある。

 大型スポーツイベントの中継があるときなどは顕著だ。


 これが自分だけのことなのか、向かいの子はどうだろうと何の気なしに視線をやる。白タイツもまだそこにいた。不景気なのは自分だけじゃない、と安心する。


 よくよく見ると、足はかなり太めで、タイツにはぼこぼことした凹凸がある。脂肪が硬化したセルライトが浮いているのだ。こんな白ソーセージみたいな足では客もつかないだろう。そう思って、ふふふとわらう。




 見ないでよ




 頭上から声がして、思わず小さな悲鳴を洩らした。

 ドアの上から太った女の顔が覗いていた。

 青みがかったグレーの巻き髪。

 レースがふんだんにあしらわれたカチューシャ。

 マジックで描いたようなアイラインに縁取られた腫れぼったい両目。

 血のように赤いルージュの唇が独立した生き物みたいに蠢いて、脂肪のたっぷりついた顎がたぷたぷ揺れて、厚塗したファンデーションがひび割れ、ぽろぽろ剥がれて、




 見ないでよ




「ご、ごめんなさい。覗くつもりなんか……」


 咄嗟に謝っていた。

 太ったゴスロリ女の顔は、「ちっ」と舌打ちして引っ込んでいった。

 ちょうどスマホが鳴って、逃げるように仕事に向かった。


 普段はあまり送りとは話さないのだが、この件はたまらず愚痴る。

 自分のことを棚に上げ「嫌な女がいるものね」「絶対三十過ぎてたよ」「四十かも」「ゴスロリとかイタい」「お前なんかわざわざ見るやついないっつーの」……

 そんな愚痴をつらつらと繰り返していると、バックミラーに映る送りさんの顔が不思議そうにしているのに気がついた。


「何よ。私、おかしなこと言ってる?」


 苛ついてるので、口調が喧嘩腰になる。

 送りさんは慌てて謝って、


「いや、向かいのブースに足が見えてたんすよね。なのに、反対のブースを上から覗けるなんてすごいなーと思っただけっす」




 彼女は店長に談判し、待機するネットカフェを変えてもらったそうだ。

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