第2話 二階の部屋

 デリヘルの仕事先はホテルばかりではない。個人宅に呼ばれることもある。


 その日は閑静な住宅街にある平屋の日本家屋だった。

 小さいが庭もあり、下世話だが結構なお金持ちだな、と思った。

 増築したのだろう。瓦屋根を突き破って、建売のような真新しい二階がちょこんと生えている。倒木に生えた色鮮やかなキノコみたいに唐突だった。


 呼び鈴を押すと、初老に差し掛かった女性が現れた。

 ショートカットの白髪を上品にまとめ、高価そうな着物を着ている。

 ああ、悪戯に引っかかったか、と内心ため息をついていると、


「ああ、お願いした恵美さん? すみませんねえ、わざわざお越しいただいて」


 と通されてしまった。

 上流階級らしい、どこかねっとりとした口調。

 世の中には引きこもりの息子のために出張風俗を呼ぶ親もいるらしい。

 私は初めてだったが、そういうことがあると店の人間や女の子から聞いたことがあった。


「片付いてなくてすみませんねえ」


 そんなことはない。

 広い玄関には脱ぎ散らかした靴などなく、二人が余裕をもってすれ違える廊下はぴかぴかに磨き込まれて、覗き込めば顔が映りそうだ。

 廊下を何度か曲がってから階段をのぼる。立派な日本家屋からどこにでもある建売の雰囲気に変わった。いかにもちぐはぐで、やはり無理やり増築したのだろう。


「突き当りの部屋です。手前のそこがお風呂場とお手洗い。それでは、よろしくお願いしますねえ」


 二階に上がると老婦人は引き返していった。

 やはり引きこもりなのだろうか。

 親と直接顔を合わせるのを嫌がっているのかもしれない。

 どんな男が待っているのか、不安に思いながらも覚悟を決める。

 こちらも掃除が行き届いていて異臭などはない。

 足を踏み入れるのもためらう汚部屋……ということはないだろう。


 ノックする。

 返事はない。

 入ってもいいか、声をかける。

 返事はない。

 入りますよ、と声をかけてそろそろとドアを開ける。




 何もなかった。




 八畳ほどのフローリング。

 カーテンのない大きな窓の向こうにベランダがある。

 左手に引き戸の押し入れ。

 天井にはシーリングライトが灯っている。


 それ以外、何もない。

 埃のひとつも、落ちていない。


 部屋の主はどこに行ったのだろう。

 風呂場、トイレ、ベランダまで探してみるがどこにもいない。

 私は部屋に戻って、フローリングの床に座ってどうしたものかと途方に暮れた。

 ふと、押し入れの引き戸が目に入る。

 そっと指をかけ、恐る恐る開けてみる。




 何もなかった。




 ぴぴぴぴ、とタイマーが鳴った。

 一時間半にセットした、終了時間を知らせるタイマーだ。

 二階に上がってから十分もたっていないはずなのに、スマホの時計を見ても確かに時間になっている。


 首を傾げながら階段を降りると、老婦人が待っていた。

 にこにこと穏やかな笑みを浮かべながら、


「今日はありがとうございました。またお願いしますねえ」


 と言った。

 その後、何度か指名で訪れたが、毎回この調子だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る