File 7 : ガイア 1

  街にクリスマスソングが流れる時期が来た。


 買い物を楽しむ人々が覗き込むショーウィンドウにはクリスマスツリーやサンタの置物があり、否が応でも購買意欲を掻き立てる。


 そんな師走の街にあるカフェで、久我山は山之上麻耶が来るのを待っていた。外は肌寒いがカフェの中は程よく暖房が効いていて、あれこれ考えるには丁度いい。珈琲の香りも久我山の脳に良い刺激を与えているようだ。


(真っ先に考えなくてはならないのは…)


 窓から外を眺めながら、久我山は考えを巡らせる。


(麻耶へのクリスマスプレゼントを何にするのか、だな…)


 女性にクリスマスプレゼントをした事がないわけではない。彼女がいた事もあるし、その中の何人かは結構真剣だった。


(でも…麻耶は俺の運命だ…。

 って…うわっ!思った自分が恥ずかしい)


 自分で勝手に考えたくせに恥ずかしくなり、ちょっと顔が熱った。でも、久我山は本当に運命だと思っている。だからクリスマスプレゼントを何にするのか、悩ましい。





「久我山さん、私の事、ぜんぜん覚えてなかったですよね?」


 麻耶からそう言われたのは麻耶が研究所に来てすぐ、まだ夏になる前だった。食事に行きませんかと誘われて、2人でパスタを食べに行った時の事だった。


 麻耶は、赤ワインが好きです、などと言って結構飲んでいた。


「いや、副総監の秘書官…として何度か会ったよね。忘れてないよ」


 麻耶はがっくりとした顔をした。


「…もっと前です」


「えぇっ?…もっと前に会ってたっけ?」


 麻耶は絵に描いたように肩を落とした。


「…久我山さん。私、ショックです…!

 私が入庁したての頃、皆で一緒に飲みに行ったんですけど…。私は印象が薄かったのでしょうか?」


(えっ?ええ〜っ?そうだっけ?)


 久我山は必死で頭の中の記憶をくるくると呼び起こした。


(…そう言えば、何年か前に、皆で飲んだ記憶があるような…)


「昔の私を覚えていらっしゃらなくても、別に、もう構いません!」


 ワインをこくんと飲んで麻耶は小さな声で言った。


「だって、これからしばらく一緒にいられるんですもの」

 

 (…ん?今、なんて…?)


 麻耶はまた赤ワインを一口飲んで、にっこりと笑った。

 

 その笑顔を見た瞬間、久我山は自分が落ちてしまった事を自覚した。


 何に?

 口にするのも憚られる。


 恋に…だ。


 それからしばらくして、久我山と麻耶は '恋人' と呼べる関係になった。




 'インネル' を使った捜査は心が痛む事件が多い。そんな中、側に麻耶がいると気持ちが和らぐと久我山は感じていた。2人で過ごす時間は久我山にとって心地よいものになっているのだった。


 いい年の大人同士、別に秘密にする事もないと久我山は思っているが、誰にも話す機会がないままにクリスマスシーズンになってしまった。





 暖房が程よく効いたカフェで珈琲を飲みながら、久我山は山之上麻耶が来るのを待っている。


 仕事上の事で考えなくてはならない事が山積みではある。アレもコレも、解決していない。気を抜くと思考はすぐそっちの方へと流れていく。


(いかん!いかん!

 今日は色々な事を忘れて2人の時間を楽しもう…。

 最も優先するべきは…。

 やはり…麻耶へのクリスマスプレゼントを何にするのか、だな…)


 カフェのドアを開けて麻耶が現れた。人目を引くほどに美しい麻耶は片手を挙げて、微笑みながら久我山の側へとやって来た。


「チーさん、お待たせしました」


「そんなに待ってないよ」


 今日はこれから映画を見て食事をして、それから…。


 久我山は踊る心を少し抑えて、麻耶の顔を見た。







 年明けには竹下警部が職場復帰し、麻耶は秘書官として副総監付きに戻ることに決まった。

 

 そして、もうすぐ仕事納めという日に竹下が『復帰前にちょっとお邪魔を』と研究所に顔を出した。


 やって来た竹下は大いに張り切っていて、今すぐにでも仕事をしそうな勢いだった。部下となる市川巡査長を鍛えるのだと妙にテンションが高い。


「奥山美波さんはどうしてる?」


 久我山が奥山美波の話を振ると、竹下のテンションは更に高くなった。


「あはっ!美波ちゃん。

 美波ちゃんはですねぇ、模試の成績もいいんですよ。第一希望に合格間違いなしです!

 美波ちゃんは可愛いですし、いやぁ、料理も上手で…。美波ちゃん!

 あは、あははっ〜!」


「ねぇ、竹下くん…。様子が変だよ?

 美波さんと何があったの?」


 話を一緒に聞いていた田代純子に突っ込まれて、竹下は急に狼狽えた。


「な、何かあるわけ?そんなもん、あるわけないじゃあないですか。美波ちゃんはね、いい子なんですよ。

 可愛いですし、料理も上手です!

 可愛いんですよぉ〜!」


 田代は目を細くして竹下をじぃ〜と見た。


「竹下!言ってみろ!言って、楽になれ!」


 その言葉にしばらく俯いていた竹下は、上目遣いに田代や久我山を見た。


「…田代さん!久我山警視正…!みなさん!

 俺、悩んでます。困ってます!だから、ここに来たんですぅ!

 実は…美波ちゃん、今…おれんちで暮らしてるんです」


 皆が目をまん丸にする中、石川が不思議そうな声を出した。


「ええっ!そんな羨ましい状況で、なんで先輩はそんな顔してんすか?」


 石川は心底羨ましそうだ。


「いしかわぁ!お前さ、本当に羨ましいか?

 地獄の拷問のようだぞ」


 美波はまだ自宅にいるとパニック発作が起きて泣き続ける事が多い。でも、竹下といると落ち着くという毎日が続いているのだ、と竹下はいう。


「美波ちゃんの親父さんが、だったらもう竹下さんの所に行っちゃいなさい、みたいな事言い出して。

 でもやっぱり、それはまずいだろと思って、俺は正直に言ったんですよ。

『俺は刑事ですけど男なんで、我慢できるかわからない』って!美波ちゃんの親父さんにものすごく正直にそう言ったんです!!

 そしたら親父さんが、『今時そんなこと言う男も珍しい』とか言って泣いちゃって…。『そんな竹下さんになら、娘を預けられる』って。それで、結局、美波ちゃんは俺んちに来たんです。

 でも、でもです!俺、何だか美波ちゃんに手を出せなくなっちゃって…。親父さんを裏切るみたいで…。

 俺たち、まだキスぐらいしかしてないです。同じ部屋で寝てるのに…です!

 俺、切ないです!」


 竹下は涙目になった。


「…昨日の夜、美波ちゃんが俺の布団に潜り込んできたんですよぉ。『明日は研究所に行くんでしょ?頑張ってね』って。それで、俺の耳元でいうんです。『もう少し我慢しようね』って。

 俺、必死で堪えましたよ。限界超えて、耐えました!!

 俺、どうすりゃいいんでしょう!

 久我山警視正、笑い事じゃないです」


 田代純子はニヤニヤと嬉しそうな顔をした。

 横でちんまりと控えている鈴木は口をちいさく 'お' の字に開けて、目をぱちぱちとさせた。

 石川は、それでもやはり羨ましいという顔で竹下を見た。

 山之上麻耶は両手を口に当てて、まあぁ、と言った。

 久我山は竹下の肩をポンと叩いて、笑いを堪えた。



 年が明けると、怒涛の日々が始まる。

 嵐の前の静けさ。そんな特殊捜査研究所の長閑な師走の1日が終わろうとしていた。





 静かに年が明け、竹下警部が研究所に復帰し、麻耶が書記官に戻って行った。


 復帰初日、竹下は大きな菓子折りを持って来て、久我山に捧げる様に手渡した。


「長い間療養させていただき、ありがとうございました。竹下翔太、完全復活いたしました。これからは全力で頑張ります!

 あの…それでこれは…皆さんに感謝の気持ちを伝える様にと…美波ちゃんから渡されまして」


「ふむ。ありがとう。遠慮なくいただこう。開けてもいいかな?」


 そう言って包み紙を剥がし丁寧に畳んでいると、石川達が集まって来た。久我山がそっと箱を開けると小さな箱がいくつも並び、その中には鯛の形の紅白饅頭が可愛らしく入っていた。


「おお〜っ!こ、これは!」


 石川が眼を輝かせる。


「これは、今SNSで話題の紅白鯛饅頭ですよっ!幸せ饅頭っていうんです。

 あぁっ!しかも、眼の所に黒ゴマが入ってるじゃないですか!これっ、プレミアムです!」


 石川の言葉を聞いた竹下は嬉しそうに笑った。


「うん、そうなんだ。翔ちゃんの復帰を皆さんにも喜んで欲しいって、随分前から美波ちゃんが準備していてくれて」


 久我山は至極真面目な顔で竹下を見て言った。


「竹下翔ちゃん…お前、幸せ者だな」


(あっ、しまった!)


 竹下はそんな顔をした。


「美波さんを大事にせねばならんぞ」


「はい!」


 '地獄の拷問の様だ' と言っていた奥山美波との暮らしに何か変化があったのか、なくても折り合いをつけられる様になったのか、竹下の言葉の端々にゆとりが感じられた。


 竹下は、他の部署にも配ってきますと箱をいくつも抱えて小走りに部屋を出て行った。


「幸多かれと祈る!」


 久我山は思わずつぶやき、じじくさいな…と反省した。

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