第44話 大峰真尋

     44 大峰真尋


 篠塚ココ――いや、埋葬月人を見送る、天井恋矢。


 彼は埋葬月人の常人離れした運動能力を見て、頭を抱えるしかない。

 助走をつけて跳躍すれば、或いは自分も埋葬月人と同じ真似が出来るかも。


 だが埋葬月人は、ただ跳ぶだけで一軒家の屋根まで到達した。

 それも軽々と、それが当然であるかの様に。


 この差は大きいと感じて、恋矢はやはり埋葬月人は本物の怪物だと痛感する。

 今の自分では決して勝てないと、恋矢は予感してしまったのだ。


「……本当に、余裕だな、お前は。

 俺に一週間も、時間を与えたんだから」


 要するに埋葬月人は〝一週間以内に、自分を追い越してみせろ〟と言っているのだ。

〝その程度の余裕は、自分にはあるよ〟と嘯いている。


 舐められた物だと思う反面、恋矢も埋葬月人とのレベル差は自覚していた。

 現にあの夜自分は死力を尽くしながらも、結局、敗北するしかなかったではないか。


 これは気合や意地で、どうにかなる差ではない。

 恋矢はまだあの晩、自分は何で負けたのかと言う事さえ理解していないのだ。


 埋葬月人の能力を知るのは、彼女に勝つ為の大前提。

 だがそれさえ儘ならぬ天井恋矢には、やはり勝機など無い。


「けど、それでも――やるしかない」


 一週間に及ぶ、猶予。

 埋葬月人の立場とすれば、あれは最大限の譲歩だ。


 問答無用で港や恋矢を始末出来た彼女にしてみれば、実に無益な提案と言える。

 埋葬月人にこれ以上の譲歩を求めるのは、ただの自殺行為に等しい。


 恋矢はまず、自分達は埋葬月人の気まぐれによって生かされていると自覚した。


「だが、どうする? 

 どうすれば、埋葬月人に、勝てる?」


 能力は未知数で、フィジカルも向こうが上。

 なら、恋矢としては、フィジカルの差を埋める事から始めるべきだろう。

 

 そう決意して、彼はこの場を離れようとした。


 だが、その時――傘をさした二人組の男女が姿を見せる。


 全く見覚えが無い恋矢は、けれどその一方が誰だか直ぐに分かった。


「――おまえ、ココに蹴りを入れやがったやつだな?」


 何せその大男は右腕にギプスをはめ、首から包帯で釣るしている。

 体格と、彼が負っている傷を見て、恋矢はそう判断したのだ。


 現に彼は、肩を竦めながら鼻で笑う。


「あの時は世話になったな、小僧。

 お蔭でこの様だ。後三日も戦線から離脱しなければ、ならねえ。

 ま、最近は篠塚がご活躍だったから、俺の出番なんてないんだが」


「……やはり、ココの仲間、か。

 というか――」

 

 ――もう一人の二十代半ばと思われる女性を見て、恋矢は心証を改める。

 あの女性なら真琴港さえも狩れるだろうと予想して、彼は顔をしかめそうになった。


 灰色の長髪を背中に流すスーツ姿の彼女は、友好的な笑みを浮かべる。


「はじめまして、真琴恋矢君。

 私の名は、大峰真尋。

 篠塚ココが所属する部署の、室長です」


「俺はその体のいい部下である、田代屯」


「………」


「と、今は――天井恋矢と呼ぶべきね。

 失礼したわ」


「つーか、今のはわざとだろう? 

 殺し屋時代の名前を引き合いに出して、俺の反応を確かめやがったな? 

 現に、俺がつい顔をしかめそうになったら〝思った通りの人物だ〟みたいな顔になった」


 すると、真尋はもう一度楽しそうに笑う。


「ええ。

 きみが如何に殺人と言う物を嫌悪しているかは、よく分かった。

 どうやら本当に、部下の報告通りの子みたい。

 殺し屋としての才能を持ちながら、きみはそんな自分さえ嫌悪している。

 私としては、そんな善良すぎるきみが、とても眩しくみえるわ」


「どうだか、な。〝吐き気がする〟の間違えじゃねえ? 

 あんた、子供とか嫌いそうな顔しているし」


「………」


 相変わらず天井恋矢は、篠塚ココ以外の人間には容赦がない。

 いや、彼は確かに、大峰真尋に敵意を抱いていた。


 何故ならこの人物が、埋葬月人に殺人を強要している元凶かもしれないから。


「まさか。

 私は、そこまで大物ではない。

 私もこの国の、しがない歯車にすぎないわ。

 上官に言われた事を、コツコツ実行するのが私のお仕事」


「………」


 この時点で恋矢は、大峰真尋に善意を期待するのをやめた。

 これ以上この人物と良識について話し合っても無駄だと、恋矢は早くも気付いたのだ。


 ならば、彼としてはさっさと本題に入るしかない。


「で、俺に何の用だ? 

 ココの上司が、何でここに居る? 

 あんた達は、俺をどう利用する気なんだ?」


「――さすが、話が早くて助かるわ。

 私達の魂胆が、きみには見え見えという事ね」


「………」


 真尋は、悪びれもしない。

 やはりそういう大人かと、恋矢は全てを割り切る事にした。


「いや、ただ利用する気じゃないよな? 

 勿論、俺にも何らかの旨味がある筈だ。

 でなければ室長自ら、こうして取引にはこないだろう?」


「それも正解。

 やはり、元同業者は違うわね。

 余計な会話を省けて、私としては大いに助かる」


 そう前置きを入れてから、大峰真尋は本題に入る。


「率直に言えば、恋矢君でも篠塚ココには敵わない。

 いえ、彼女には師である私でさえ勝てないの」


「………」


 いや、そんな事は、言われるまでもない。

 埋葬月人の異常性は、彼女と戦った天井恋矢が一番分かっている。


 それで尚、真尋が何らかの話をもちかけてきたとすると、答えは一つだろう。


「成る程。

 要するにあんたは、ココに勝つ方法を伝授してくれるという訳か? 

 自分でそれをしないという事は、俺の能力に関係がある? 

 俺の能力にあんたの助言が加われば、ココにさえ勝つ事が出来ると言いたい訳だ?」


 だが、真尋は首を振る。


「いえ、違う」


「………」


「勝てる可能性が、僅かに増すというだけ。

 それ程までに、篠塚ココは厄介なの。

 実際、私のチームは誰もが人体改造されているけど、篠塚ココには敵わない。

 何の人体改造も受けていないノーマルなあの子に、私達は誰も勝てないの。

 言っておくけど、屯はその気になれば、トラックさえ十秒で解体できる使い手よ。

 それだけの実力者である彼でも、ココにとっては使い走りにすぎないわ」


「俺と篠塚を、同時に悪く言うな。

 篠塚はあれでも、俺には礼儀正しいんだぜ? 

 で、俺は篠塚に協力を求められただけ。

 いや、何時もは一人で動くアイツが、助力を求めるとかありえねえだろう? 

 面白そうだからつき合っただけで、つまらなければ断っていた。

 その位の権利は、俺にもある」


「どうだかね。

 その結果が、その様でしょう? 

 ココがそこまで織り込み済みだったなら、屯はやっぱりココにいい様に使われた事になる」


 真尋の容赦がない指摘を受け、田代屯は顔をしかめる。

 恋矢は、苛立ちが増した。


「悪いがそういう話は、余所でやってくれ。

 要するにあんたが力を貸せば、今よりはマシな状況になるんだろう? 

 だったら、俺に断る理由はねえよ」


「そうよね。

 何せ元恋人と、妹さんの未来がかかっているんですものね?」


「………」


「と、失礼。

 冗談が、過ぎたわ。

 お詫びに、もう少しココについて教えてあげましょう。

 恋矢君も、ココに関しては大いに興味があるでしょう?」


「………」


 恋矢は、無言を返答とする。

 やはり主導権は向こうが握っているなと思いながらも、恋矢は視線だけでその先を促した。


「えっと、きみは、人は神の複製というお伽噺を知っている?」


「……それは、ココから聴いた。

 それが?」


 いや、恋矢の洞察力をもってすれば、この時点で嫌な予感を覚えるには十分すぎる。

 事実、大峰真尋は、こう語ったではないか。


「ええ。

 あれは私達の話を聴いたココが、アレンジを加えた自作のお伽噺よ。

 でも、現実はもっと過酷なの。

 何故って――篠塚ココこそがどうも本当に神の子らしいから」


「……ココが、神の、子――?」


「そう。

 人は神の粗悪な、クローン。

 知性を持ちながら、全知全能足り得ない。

 ある時そう語りながら、ココを私達に売り渡した女が居たわ。

 彼女は頂魔皇の配下で、頂魔皇の気まぐれにつき合う職種らしいの。

 彼女が言うには――その頂魔皇が〝神〟を生み出したのだとか」


「……はぁ? 

 一寸待て。

 さすがに、意味が分からない。

 この世に頂魔皇なんて、居る訳がない――」


 と、そう言い切った後で、恋矢は思い直す。

 一般人にとっては、埋葬月人とてオカルト的な存在なのだ。


 だが、こうして埋葬月人は実在している。


 ならば、自分が知らないだけで、頂魔皇もまた存在する――?


「ええ。

 私も初めは、半信半疑だった。

 何しろ彼女の話は、確かに目茶苦茶だったから。

 だって魔皇が〝神〟をつくり出したのよ? 

 どこぞの宗教では、立場がまるで逆だわ。

 でも今は話を進める為にも、全て事実だと仮定しましょう。

 要するに何が言いたいかと言うと――篠塚ココはその〝神〟のクローンなの」


「……な、にっ?」


 そう驚いてみせる恋矢だが、話の流れからそうではないかと思ってはいた。


 いや、それでもこれは、信じがたい話だ。


「篠塚ココが私達を圧倒できるのも、その為。

 篠塚ココは私達よりよほど〝神〟に近い存在なの。

 直接〝神〟から複製された存在であるが為に、彼女の能力は常軌を逸している。

 そうね。

 ぶっちゃけると――篠塚ココなら宇宙怪獣にも勝てるわ。

 いえ、私が愚かだったのはそう忠告を受けながらも、ココを自由にさせ過ぎた点ね。

 一応、首輪はつけたのだけど、それも逆効果だった」


「首輪、だと? 

 おい、まさか、それって――」


 ――もと殺し屋一家の一員である恋矢には、その意味さえ分かる。


 実際、真尋は頷いてみせたではないか。


「うん。

 彼女が五歳の時に〝妹役〟を用意したの。

 その時点で彼女は私さえも殺せる存在だったから、これは妥当な判断だと思う」


「………」


 やはり、真尋は悪びれない。

 片や恋矢は、幼いココ達になんて真似をしたんだと、嫌悪さえ覚えた。


 だが、今は、自重しよう。

 情報収集を先決にしないと、きっと後悔するから。


「ええ。

 ココの場合、冷酷な殺人鬼では駄目なの。

 それだと彼女は私達の存在に疑問を抱いた時点で、私達を皆殺しにしかねない。

 えっと、この場合私達と言うのは、政府のお偉いさんも含まれているわ。

 要するにこの国はたった一人の少女の手によって、全てが覆る可能性さえある。

 それを阻止する為に、私はココに情という物を知ってもらう事にした。

 自分より二つ年下の少女の面倒を見させる事で、人間らしさを身につけさせ様としたの」


「………」


「その効果は、確かにあったわ。

〝妹役〟と接する内に、ココは二面性を持つ様になった。

 自分と親しい人間には優しく、標的に対してはどこまでも冷酷になったの。

 そういう風に教育した私としては、確かな成果と言えた。

〝妹役〟のお蔭でココには人間性が育まれ、人としても生きる事が出来たのだから。

 でも――」


「――もういい。

 黙れ」


「………」


「てめえの話の方が、余程ヘドが出る。

 今すぐ俺にブチ殺されないだけでも、有り難く思え」


「いえ、ここからが重要な所だから、もう少し我慢してくれる?」


「………」


 恋矢は露骨な溜息と共に、大峰真尋を睨める。

 真尋は、話を続けた。


「でも――一週間前にその〝妹役〟が亡くなったの。

 死因は、若年性の白血病よ。

 お蔭で〝妹役〟を通して篠塚ココをコントロールしていた私達は、その術を失った。

 私達が〝妹役〟の身の安全を保障していたからこそ従順だったココには、もう枷は無い。

 前述通り、彼女がその気になれば、この国の常識さえ覆る。

 私達も宮仕えの身だから、命を懸けてもそれは阻止しなければならないの。

 そこで白羽の矢を立てたのが――天井恋矢君と言う訳」


「………」


 真尋の説明を聴き、恋矢は顔をしかめるしかない。


〝やっぱり最後まで聴かずに、殺しておくんだった〟と、彼は心底から後悔した。


「……要するに、今度は俺がココの首輪になれって事か。

 俺の命が惜しければ、今まで通り、従順になれとココに言いたい訳だ」


「うーん。

 ちょっと違うかな。

 私としては恋矢君にココを倒してもらって、もとの鞘に戻って欲しいだけだから」


「は、い?」


「ええ。

 今のココなら、それで十分すぎる。

 恋人関係さえ修復すれば、きみが嫌がる事をココもしないでしょう。

 現に恋矢君は、この国を征服したいとか思っていない筈。

 なら、ココもそれに倣うというのが、私の計算ね。

 つまり私は恋矢君に――ココをモノにして欲しいの」


「………」


「そう言う意味では、私達と恋矢君の利害は一致している。

 きみにとっては、十分、旨味がある話だわ。

 ――違って?」


 真尋が首を傾げると、恋矢は眉を顰めた。

 彼は、ここでも正直だ。


「だったら、先に言っておくわ。

 俺、ココを取り戻したら――真っ先におたくを殺すぜ」


「………」


「うん。

 人殺しは嫌だけど、あんた相手なら神様も許してくれるだろう。

 それとも、この条件では不服? 

 今までココに手を汚させてきたあんたが、自分の命は惜しい?」


 と、今度は大峰真尋が溜息をつく。

 彼女は、何やら右手を上げた。


「その時は私も自衛手段をとるけど、構わない?」


「当然だ。

 俺は、抵抗もしない人間を殺す気はない」


 それで、話は決まった。

 大峰真尋は恋矢にメモを渡してから、この場を去っていく。


 と、背後から気配を感じて、恋矢は振り返る。

 そこには、彼の義理の妹が居た。


「……全く、とんだ事になっているわね。

 本当に、兄さんはそれでいい訳?」


「悪い、港。

 この件だけは、俺一人で片づけたいんだ。

 もし邪魔をする様なら、例え港相手でも赦せそうにない」


 首を逸らしながら、恋矢は港さえも睨める。

 真琴港は、心底から辟易した。


「……それも私を護る為に兄さんが講じた、体のいい言い訳でしょう? 

 いえ、確かに兄さんは……あの人を取り戻したいとは思っているのね」


「さて、な。

 俺は俺の仕事をするだけさ。

 ……いや、本当に悪い、港。

 俺の一存で、オマエの命さえ懸ける事になって。

 もし俺が負けたら、母さん達を頼ってくれ」


「バカ言わないで。

 言っておくけど、負けたら私の方こそ赦さないわよ。

 その時は例え兄さんが死んでいても、私がもう一度貴方を殺す」


「……お、おう」


 義理の妹に凄み返されて、恋矢は思わずどもる。

 昔から港に頭が上がらなかった彼は、ここでも圧倒されていた。


 それから――瞬く間に一週間が経過する。


 この日、天井恋矢は埋葬月人からメールを受け取り――その場所へ急行したのだ。

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