坂の道の途中で

少しだけ風が強く、肌にぶつかる風が見えないのに、物体のように僕の頬を打ちつけてくる。


この前までは、夏だと思っていた事を忘れさせるくらいに冬の到来を感じさせた。


秋は、何処に行ったのか。


家が立ち並ぶ中で坂道が程よくいいアクセントにある。


何度か訪れてきたこの道も始めの頃は、「こんなにも急なの?」と感じたのも懐かしいくらいに慣れというのは、怖い。


その坂道を歩くと、小さな男のが2人。


はしゃぎながら、坂道を一生懸命に登っていた。あんな小さな子にとっては、大変だろうに。


少しだけ男の子様子を見ていると、僕が考えているような心配は関係ない様子だ。


あははっ。あははっ。


お母さんは、はしゃぎ回っている男の子の靴紐を解けているの見て、注意した。


「ほら!そんなブカブカな靴で歩いてたら、危ないでしょ!」


「なんで?ブカブカがダメなの?」と男の子は聞いた。


もう1人の子は、「ブカブカ、ブカブカ」と言いながら笑っている。


「ブカブカのままだと、靴が脱げて転けるでしょ」


と母親が言う。


「靴が脱げてもいいよ」


男の子は、応戦するように答える。


「ブカブカブカブカ」となんだかよく分からないという様子でまだ、笑っている。


僕は、なんだかその様子を微笑ましいと思いながらその家族の脇を抜けて坂道を上っていく、


目的地までもうすぐだと足を運んでいると。


さっき、すれ違った男の子が「なんで、ブカブカじゃだめなの?」という言葉が頭の中で反芻していた。


きっと、その子自身は、特に深い意味もなく発した言葉だろうけど……。


なんだかそれは、大人になった僕に向けられているような感じがしたからだ。


ちゃんと、靴紐を締めないとブカブカで靴が脱げてコケちゃうよ。


ふとっ自分が登ってきた坂道を振り返ってみた。小さな頃だったこれほどの傾斜のある坂に登るのも一苦労で、もしかしたらあきらめているんじゃないのか?と子どもの自分に聞いてみた。


なんの返答もない。


足元の白のスニーカーに目を落とす。


使い古された白には、いくらかの歴史を感じさせた。といっても自分がなにかつまいずいた時に出来た傷とかお気に入りで何度も履くから白が少し黒ずんだようなそんな感じのもである。


靴紐は……しっかりと……?縛られてないね。


なんだろう、もう少しだけキュッきつく締めておけば、もっと楽に歩けるんじゃないか?自分に聞いてみても「今がちょうどいいからいいよ」と問いかける前にその答えを用意していた。


この靴を手にした時は、なんだか心が踊っていたような気もする。しばらくすると、毎回出かける時にはその靴を選んでいるから、段々と慣れてそんな事もあったけ?とほとんど覚えていないのだが。


あの頃は、もっとこうしなたさい。って注意してくれる人がいたから、靴も脱げずになんとかコケることなく歩いてこれたんだよな。


大人になってくると、そんな事を言ってくれる人もいなくなって、いつしか自分が周りに「もっと、ちゃんとしなさい!」と注意するような立場になってしまった。


そんなのは、誰もが平等にアタリマエのことで、「なに、甘えたことを言ってるんだ!」と一喝されるだろう。でも、自分が注意していることが本当に正しいと言い切れるのだろうか?


僕自身は、言葉に出している最中にもそんな疑問を持ったりしていることがあったりする。


そんな自信がない奴の言葉を、誰が真っ直ぐに受け取るのか?客観的に自分をみても、俺なら別の人のほうがいいからと言ってるな。


だったら、誰の言葉ならいいんだと聞きたくなる。それは、もちろんなんだか偉い人?みんなが信用している人?自信がありそうな人?


結局の所、声がデカい人の所に人が集まるという事なんだろうな。


でも、本当にその人の言葉は信用出来るの?


昔に自分は、他人が何か言っても僕自身の意見が正しいとばかりに自分の言葉の中でしか生きていなかったと思う。


誰の言葉も受け入れないから、自分がブカブカに履いていた靴の紐がゆるくても締めようとは考えなかった。そんな事をすれば自分らしくないとばかりによく分からない自分像を確立して、思いっきりにコケている事にすら気づけていなかった。


こっちに道に行ったら危ないからね。このやり方でやっておけば大丈夫だから。ここは、間違えやすいからそうじゃなくて……


「ちょっと、ここの問題を教えてほしいんだけど。」


「いやだよ。だって、お前は人のアドバイスとか全然聞かないじゃん。自分のやりたいようにやれば。」


それから、自分の中にあった自分像ってなんだろう?と考えるようになったのかもしれない。


誰かにこれでいいよね?と聞く事もできない。


もっと早くに気がついて立ち止まっていれば、よかったな。


そんな事に気がつくのは、決まってもう戻れなくなってからだ。


だからこそ、少しずつでも変わろうと行動することをやめなかった。


そんな昔に比べると、今の自分は、幾らか人の意見を聞くようになった方なのかもしれない。


それでも今の自分は、大丈夫なの?という不安な気持ちが拭えなくなっている。むしろ、今の方が増えたのかもしれない。


小さくてもいい。合っているのか分からなくてもいい。誰かに答えを聞けなくてもいい。


誰かが言っていた、不安な気持ちは誰にでもあるもの。不安がなくて生きている人の方が少ない。それは、自分が新しい自分になろうと向かったいる道の途中だから。今、感じている不安はやさしく抱きしめて受け入れてあげればいい。


きっと前よりも違った景色が待ってるから。


振り返ってみても、後ろの方にいたブカブカの靴を履いた子どもは、いつしかいなくなっていた。


前を見ると、細く長くまだまだ坂道が続いている。





目的地まではまだまだ、辿り着けそうにないな。


坂を登る道の途中で、僕はいる。


あの頃に見えなかった景色がまだそこに待っているから。

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