@aiu000

私は大学生だ

高校を卒業して半年が経とうとしているが、田舎から東京という地までの電車の二時間弱は未だに慣れない

私の高校生活は今までの人生の中で最も笑顔が多く充実していたと言っても過言では無い。

いや、過去というフィルターがついているからそう思うのだろうか。

それに比べて大学生活は、過去というフィルターがついていても充実していたとはいえないだろう。これから充実させればいい話なのだが

しかし卒業してから体調が悪くなりやすくないり、なんでも心配性になってしまった私には充実させようとする気が起きない。

電車に揺られながら片耳で心境にあった音楽を聴きながら暇を過ごす。もう片方では、電車のアナウンスや電車が走る音などを楽しむ。そうすることによって自分はなにかの物語の主人公だと錯覚でき少しかっこをつけれるからだ。目では、電車の風景を楽しむ。五体満足で体が使えているだけで自分は幸せかもしれない。

そう考えると私は幸せ者なのかもしれない。自分のことを好きでいてくれる彼女がいて、地元にはたくさんの友達がいて、家族もいる。しかし心のどこかで何かが足りない。電車に揺られている暇でよく考えているが未だに答えが分からない。いくつか候補的なものはある、嘔吐恐怖症や腹痛が原因か、自分の彼女に対しての不満か、それともさらなる幸せを本能的に探しているのだろうか、自分には分からない。人間はいつどんなときも楽いわゆる幸せを研究し、創造してきた。スマホやSNSの普及がいい例だろう

話は変わるが高校を卒業して悩みが増えた気がする

高校の時の悩みを覚えてないからそう感じるだけかもしれないが。

なので悩みを考えて電車で暇を潰すことに使っている

例えば直近で言うと浮気の夢をよく見ることである。自分の心の中には他の女性とも遊んだりしたいなという気持ちが少なからずある。これはきっと自分だけではなく他の男にもあるものだと信じたい、でないと自分が最低なヤツと自分に評価されてしまうからだ。ここでいう他の女性とかきっと、いや間違いなく中学の時の後輩のH、Sや高校のT 先輩などを思い出してしまっているからだとおもう。そう思いたい

こう考えるといつかの部活の副部長が言っていた一途な人は損するというのはあながち間違っていないのかもしれない。

そういっている間に1つ目の乗り換えの駅に到着した

腹痛になりやすいのでここの駅でトイレを済ませようとしたが、2分後に電車が来るのでその電車のトイレでしよう(快楽を得る)と思う

話は戻して、他にもふたつほど悩みはある。それは容姿などについてだ。自分は比較的顔はブサイクと呼ばれるほどでは無いと思っている

しかしそれ以外が結構終わっていて、肌は毛穴やニキビ跡が多く、身長は盛って160でオマケには最近禿げて来ているという絶望的なスペックのキメラなのだ。

もうひとつの悩みは、高校三年の夏頃から嘔吐恐怖症になってまだ続いていることだ。この嘔吐恐怖症とは私の場合、外食に行ったり誰かと飯に行ったり、緊張したりすると強めの吐き気が催すという最悪な恐怖症である。

原因は、彼女と学校終わりのデートである。その日私は彼女とスタバに新作を飲みに行ったのだが、それまで何も食っていなかったせいかそれでお腹が満たされてしまった。その後にラーメンに行くことになったのだが目的地に着くまでにもお腹がいっぱいだったのに加えて、並盛のラーメンが意外と量が多かったのだ。しかしここで「ラーメンやっぱりいいや」と言ってしまうと彼女がめんどくさいため行くことにしたラーメンが来て絶望した私はとにかく食べていくうちに強い吐き気が来てしまいトイレに行こうとしていた。しかし彼女は店に一個しかないトイレを使っていてまだ使用中であった。吐きそうな私を周りのお客さんはゴミを見ているような目で見ている気がする。彼女がトイレから出てきた瞬間私はトイレに駆け込み出した。その瞬間健康状態を気にしなかった頃の元気で無邪気な私は死んだ。

このせいだ。私の人生における考えた方や思考が全て変わってしまったのは。高校のいつもの友達と行く飯も地獄の時間になってしまった。大学で楽しみにしていた飲み会や新しい友達との飯や遊びも体調が悪くなるのが怖くて誘われても適当な嘘を作って帰るようになってしまったのは。もちろん彼女だけのせいではないと思う。あの時私が正直に言ってラーメンに行ってなければこんなことにはならなかった。しかし心のどこかで彼女のせいにしてしまう。これに関してさすがに最低だと思う。もちろん彼女のことは恋人としても好きだし人としても好きだが、それを思ってしまう。この悩みの話はもうやめよう

他にも最近思うことがある。それは自分は田舎よりも東京という地のほうがあっているかもしれないということだ。

大学に入ってから1人でいる時間が増え、東京の夜景を見てふとおもった

この東京という地ではみな自分だけにしか興味がなく、他人のことなどいないと同然のように思っているように見え、それが自分にあっていると思ってしまった。いや、田舎ではなく東京に1人でいる自分によっているのかもしれない。私だけではなくみんな

そんなことも考えながら授業が終わりきのこ帝国を聴きながら電車に乗って寝床がある田舎をめざす。友達と帰る電車も好きだが、一人で電車に揺られるのもけっこう好きなのかもしれない。帰りの電車は行きとは違い、比較的明るい考え事をしている。きっと朝のような気だるさや緊張から解放されているからだろう。

しかしたまに過去のフィルターがついた高校時代の記憶を思い出すと寂しくて涙がでそうになる。また制服を着てあいつらとパンを買いに購買まで走りたい、まただるい、めんどくさいと考えながらみんなと同じジャージを着て一緒に走りたい。私の人生は走ってばかりな気がする

私の人生の明確な答えはなんだろうと考えながら電車の窓から夜の赤羽駅を見ている

ふと思い出したが電車に揺られながら街を歩いている人たちを見て、一人一人に何年もの人生という物語があると考えると自分の悩みなどちっぽけだと感じる時がある

そんなことより高校の時クラス一緒だったあいつらとか部活が一緒だったあいつらとかみんなにとても会いたいその時だけまた高校生に戻った気がするから

いつからだろう移動手段にチャリと電車以外の選択肢が増えたのは、いつからだろう箱根駅伝や陸上に関することに興味が薄れたのは、いつからだろう体調を気にするようになったのは、

どこかの電車の人が言っていた

正解はないけど不正解はある

人生もそうだと思う

そう信じる



追記

最近私は将来どんな人になりたいか分かった気がした

私は、みんなの走馬灯に出てくるような人になりたい




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