第30話 汚泥
陸は
事件の後、
まだ日は高いが、窓のカーテンは閉め切られており、外から見ただけでは、室内の様子が分からない。
玄関にはインターフォンが設置されていなかった為、
ややあって、もしかしたら不在なのだろうかと陸が思い始めた頃、不意に玄関の引き戸が
「警察か? 何だか集落に余所者が来ていると思ったが」
そう言いながら姿を現したのは、着古したスウェットの上下をまとった、三十代と思われる一人の男――
ぼさぼさの髪に無精髭、資料で見た写真よりも少しやつれて見える顔からは生気が感じられない、不健康そうな印象の人物だ。
「私たちは『
穏やかに微笑む
「怪異……って、そんな奴らが何の用だよ」
「最近この集落で起きた連続殺人事件、御存知ですよね? 『怪異』絡みの可能性もあるということで、我々が改めて調査しています。もちろん、あなただけではなく、集落の皆さんにも、お話を聞いていますので」
「誰が来ても同じだ。俺は事件とは無関係ってことになったんだ。もう話すことなんてない」
「しつこいんだよ! 帰れ!」
罵声を浴びせられても
「あなたにお聞きしたいのは、被害者の皆さんについてです。亡くなった三名の方たちは、あなたから見て、どんな方たちでしたか?」
「どんなって……いい年なんだから定職に就けとか、集落の会合にも顔を出さなきゃ駄目だとか、
「そうですか、あなたも辛かったのですね」
受容するような
陸は、自分より若い
「焼け死んだとかいう同級生の女は、自分が都会で成功して高給取りになったからって、俺のことは『頑張りが足りない』だの、『もっとできることがあるのに』だの、上から目線で馬鹿にしてた……何が『安月給でよければウチの会社で雇ってもいい』だ。いい気味だぜ」
「陸よ、この家の中から不快な気配がするのである」
陸の脳内に、ヤクモの声が響いた。
と、
精巧な人形の
しかし、長い睫毛に縁どられた大きな目には光が感じられず、一見白く美しい肌は、どこか、日光の存在しない洞窟に生息する生き物を思わせた。
彼女が、住民たちの目撃情報にあった「集落の者ではない女」であるのは間違いない――陸は、一瞬
「タカシ、大丈夫?」
黒髪の女が言った。柔らかく儚げな、その声は、いわゆるウィスパーボイスというものだろう。
「マキ、家の中にいろ。俺は平気だから」
女に気付いた
「分かるわ、その人たち、タカシを
マキと呼ばれた黒髪の女は
その時、陸の意識が体内の深いところに落ち込んだ。
次の瞬間、身体の主導権を握ったヤクモが、
「
「は、はい。でも、近くに来るまで気付きませんでした」
ヤクモの言葉に、地面に下ろされた
「不意打ちで殺してやろうと思ったのに、勘のいい奴ね。タカシが『ケーサツの奴は殺すな』って言ったけど、こいつらは『ケーサツ』じゃないから構わないわよね」
マキが勝ち誇ったように、にやりと笑った時、陸は背後から複数の足音が駆け寄ってくるのを感じた。
待機していた
「増えたところで同じよ!」
その言葉と共に、マキの身体が、どろりと崩れ、不定形の「怪異」へと変貌した。
ヘドロを思わせる濁った色を持つ、曖昧な人型に姿を変えた「怪異」は、全身に禍々しく揺らめく黒い炎をまとった。
「この集落で、住民を殺していたのは貴様か?」
「そうよ。タカシが望んだから。自分の生気と引き換えにね」
先刻までの柔らかく儚げな声とは打って変わって、泥の底から湧き出た泡の潰れるような声が、伊織の問いに答えた。
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