第29話 見知らぬ女

風早かぜはやさん、そろそろ起きてください」

 観月みづきの声で、陸は目覚めた。

 目を開けた彼は、ずいぶん天井が高いなと違和感を覚えたが、自分が任務の為に田舎の集落を訪れていることを思い出した。

「よく寝てましたね」

「そうだね、さっき布団に入ったと思ったんだけど」

 陸と観月みづきが笑い合っていると、傍らで身支度していた来栖くるすが口を開いた。

観月みづきも、対怪異用拳銃ハンドガンを携行しておけ」

 見ると、来栖くるすはシャツにスラックスという一般人と変わらない格好だが、装着したショルダーホルスターに、対怪異用拳銃ハンドガンを収納している。

 上着を着れば、かなり近付かない限り銃を持っているようには見えないだろう。

「戦闘服姿でウロウロしていると、住民たちが不安になるだろう。とはいえ、万一『怪異』に出くわした時、丸腰では何もできないからな」

「分かりました」

 観月みづきも、素直にショルダーホルスターを身に着け始める。

「まぁ、『怪異』が現れたら、私と桜桃ゆすらくんで対応しますよ」

 身支度を整えた伊織いおりが、気取った口調で言った。

「そうだな、其方そなたの背中も、ついでに守ってやろうぞ」

 ヤクモの声が響くと、伊織は陸を、じろりと睨んだ。

 以前、背後から怪異に襲われた際、ヤクモに救われたことが、伊織のプライドを傷つけたのかもしれない――陸は、曖昧に笑って受け流した。

 昨夜、偵察に出した伊織の使い魔であるふくろうの「シロ」も戻っていたが、特に異常はなかったらしい。

 別の部屋に泊まっていた桜桃ゆすらと合流し、朝食を済ませた陸たちは、集落の住民たちに、事件についての聞き込みを始めた。

 陸は桜桃ゆすらと共に、滞在先の住民である老夫婦から話を聞くことになった。

「こんな何もない田舎で、続けて事件が起きるなんて……このままじゃ、安心して暮らせません」

「我々が、全力で事件解決にあたります」

 肩を落とす老夫婦に、桜桃ゆすらが優しく言った。

「ところで、この集落に住んでいる野楠のくすさんという方について、何か御存知のことは、ありませんか?」

 彼女の問いかけに、老夫婦は彼らの知っていることを惜しみなく話してくれた。

 野楠のくすは三十代の男で、若い頃に集落を出て都会で暮らしていたものの、親の介護の為、最近になって戻ってきたという。

 やがて両親が亡くなってからも、野楠のくすは集落に留まっているが、周囲との折り合いは良くなかったらしい。被害者たちと言い争っている姿が何度か見られたということで、事件が起きた際、警察からも事情を知る者と見なされたという。

「子供の頃は普通の明るい子だったと思うんだがね。都会の生活で、私らとは、感覚が変わってしまったのかもしれんなぁ……」

「そこにきて、あの事件が起きた時、警察にしつこく調べられたらしくて……それがこたえたのか、以前は時々アルバイトに出ていたみたいだけど、最近は家に閉じこもっていることが多いみたいだね」

 老夫婦から話を聞き終え、陸と桜桃ゆすらは、他の住民たちへの聞き込みを開始した。

 住民たちは、事件の話になると一様に不安を露わにした。

 被害者たちが襲われた理由が判明していない以上、再び誰かが標的にされる可能性はある。それが自分かもしれないとなれば、住民たちの気持ちも、察するに余りあるものだ。

 そんな中、陸たちは気になる情報を得た。

「そういえば、前に野楠のくすさんの家の傍を通った時、窓から若い女の人の姿が見えたの。あの人、親が亡くなってから独り暮らしの筈なのに、変だなって思ったわね」

 住民の一人である中年女性は、眉をひそめながら語った。

「あなたが見た女性は、この集落の方ではなかったんですか?」

 陸が尋ねると、中年女性は首を振った。

「知らない人よ。こんな小さい集落だし、余所から誰か来たら、すぐに分かりそうだけど、いつの間にかいた、って感じで。でも、その後、野楠のくすさん本人に『あの女の人は誰』って聞いても『何のことだ』って、知らんふりされてね」

「その女性を見たのは、事件の前ですか? それとも後ですか?」

 言って、桜桃ゆすらが中年女性の顔を見た。

「そうね、事件の前だったと思うけど……思い出したら、何だか気味が悪くなってきたわ」

 そそくさと家に入っていく女性の背中を見送ってから、陸たちは、集合場所にしている滞在先の農家へ戻った。

 客間に捜査メンバーが揃ったところで、伊織が口を開いた。

「それでは、皆さんが集めた情報を整理しましょう」

「じゃあ、観月みづき、俺たちの分を頼む」

 来栖くるすに促された観月みづきが、手元のメモを見ながら緊張した顔つきで話し始める。

「被害者たちとトラブルを起こしていたという野楠のくすについてです。彼が都会から集落へ戻ってきたのは、親の介護の他に、都会での生活がうまくいかなかったという理由が大きいようです。彼は俳優志望でしたが、なかなか芽が出ず、生活の為にアルバイトを掛け持ちするうち、俳優としての勉強どころではなくなって……という悪循環だったそうですね」

 報告を終えた観月みづきは、来栖くるすの顔を見た。

 来栖くるすが無言で頷くと、観月みづきは安堵したかのように小さく息をついた。

「私と伊織さんは、被害者たちについての話を聞いてきました」

 案内役の山吹やまぶきが、続けて報告を始めた。

「被害者たちに対する近隣の者たちからの評判は、いずれも悪いものではなく、むしろ世話好きだったという話です。両親を亡くしてから生活が乱れがちに見えた野楠のくすに対し、何かと声をかけていたという点も共通しています。三十代の女性は野楠のくすの中学校時代の同級生で、たまたま実家に用があって帰郷していたところ、被害に遭ってしまったそうですね」

「ほう、野楠のくすとやらが、集落の者たちに村八分にでもされていたのかと思うておったが、そうではないようであるな」

 ヤクモが、不思議そうに呟いた。

「人間は、気の持ちようで、相手に言われたことの受け取り方も変わってしまうからね。都会でうまくいかなかった野楠のくすという人は、心に余裕がなかったのかもしれない」

 陸は、ヤクモの言葉に頷きながら言った。

野楠のくすさんの家には、集落の人たちが把握していない人物が潜んでいる可能性があります」

 桜桃ゆすらが、住民の女性から得た情報を一同に報告した。

「俺たちが話を聞いた人たちの中にも、野楠のくすの家の中に、彼以外の人物の影があるのを見た者がいる」

 来栖くるすも、そう言って桜桃ゆすらと顔を見合わせた。

野楠のくすを疑った警察が、彼の家を捜索した際は、他の人間が存在している様子はなかったそうですよ。どんな人間でも、生活していれば何らかの痕跡は残りますし、それらを全て消すのは難しいでしょう」

 山吹が口を挟んだが、彼も、どこか釈然としないところがある様子だ。

「目撃された女性が『怪異』であれば、説明がつくのでは……『普通の人間の目には見えない怪異』もいますし」

 おずおずと陸が言うと、一同は頷いた。

「直接、野楠のくすさんにお会いして、お話を聞いたほうがよさそうですね。違っていても、可能性が一つ消えるだけですから」

 桜桃ゆすらが、そう言って立ち上がるのを見て、陸たちも、それに続いた。

「あのですね、捜査責任者は私ですから……」

 言いかけた伊織は、桜桃ゆすらに穏やかな眼差しを向けられ、一瞬、口をつぐんだ。

「では、作戦の具申をお許しください。私と風早かぜはやさんで、野楠のくすさんのお宅に向かいます。この中で、たぶん、最も警戒されにくい組み合わせと思われます。他の方たちは、『怪異』が出現した時に備え、周囲で待機をお願いします」

「さすがは桜桃ゆすらくん、では、それで行きましょう。皆さんも、いいですね?」

 結局、伊織は桜桃ゆすらの申し出を、そのまま了承した。

風早かぜはやくん、そしてヤクモ、花蜜はなみつさんを頼む」

「はい、頑張ります」

「任せるがよい」

 来栖くるすに囁かれ、陸とヤクモは力強く答えた。

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