第24話 融雪

「思えば、ある時点から風早かぜはやりくの扱いが緩くなったのは、八尋やひろ司令の意向が反映されていた為かもしれませんね。――今日予定されていたデータ収集は、後日行いましょう」

 陸との面会を終えた「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」総司令、八尋やひろが研究施設から退出するのを見送って、真理奈が言った。

「ふむ、われ子細しさいないが、陸は色々と話を聞いて動揺しているゆえ、それがよいであろう。真理奈も、存外、気遣いのできる奴であったか」

「そんなこと、分かるの?」

 ヤクモの言葉に、陸は赤面した。

「目覚めた時より其方そなたの中にいるからのぅ。心の臓の動きや血の流れ具合で察するくらいは容易たやすいものぞ」

「君には敵わないな……それじゃ、冷泉れいぜいさんの言葉に甘えさせてもらおうか」

 言って、陸は小さく息をついた。両親についての情報を聞けた喜びはあったものの、ヤクモの言う通り、心が波立っている状態であるのも事実だ。

「では、私は、お先に失礼します。ちょっと用事があったので」

 桜桃ゆすらは、陸たちに一礼して、研究施設の出入り口へと歩いていった。

「じゃあ、俺たちも……」

「……待ってください」

 失礼しますと言いかけた陸の言葉を、真理奈が遮った。

「少し、話すことがあります。一緒に来てもらえますか」

 無表情ではあるが、有無を言わさぬ彼女の雰囲気に、陸は半ば脊髄反射で頷いた。

 先刻まで八尋やひろと話していた応接室へ入る真理奈の後に、陸も慌てて付いていく。

 二人は、ローテーブルを挟んで向き合った。

 ソファに浅く腰掛けた真理奈の視線は、陸の顏とテーブルの天板を行き来している。

 話の糸口を探している様子の彼女を前に、陸は緊張しつつ、その言葉を待った。

「――なぜ、あなたは、そう平然としていられるのです」

 ぽつりと、真理奈が言った。

「自分が、そのような境遇に陥っているというのに、なぜ不平の一つも漏らさず、あまつさえ他人のことまで気遣えるのですか。あなたを有無を言わさず『処理』しようとした私が、憎くはないのですか」

 彼女の予想外な言葉に、陸の思考は一瞬停止した。

「……平然としてるつもりもありませんよ」

 真理奈の意図は今一つ分からないものの、少し考えて、陸は口を開いた。

「てっきり死ぬかと思ったのに目覚めてみたら突然殺されそうになっていたり、『怪異』と判定されたりして、その度に動揺してますよ。冷泉れいぜいさんのことは……正直言えば怖かったけど、あなたにも人々を『怪異』から守るという使命がある訳で、憎いとか思うのは違うんじゃないかって」

 自分では精一杯考えて口に出した言葉ではあったが、真意を伝えられているのかは定かではなく、陸は、少しもどかしい思いを抱いた。

「でも、何の力も持たなかった俺が、『ヤクモ』と融合して、その力を得たことで、誰かを守ることができるようになったし、悪いことばかりでもありませんよ」

 やっと、そこまで言うと、陸は改めて真理奈の顔を見た。

 銀縁眼鏡の奥で、彼女の灰青色の瞳が、陸を見返す。一見静かだが、その瞳の奥には深い闇が宿っているかのように感じられた。

「あなたを見ていると、苛立つんです」

 少しの沈黙の後、真理奈が暗い声で呟いた。

「私の両親と弟は『怪異』に殺されました。それから私は、『怪異』を憎んで、彼らを根絶やしにする方法だけを考えて生きてきました。『怪異』への怒りと憎しみが消えたら、きっと私は立っていられなくなるから……それなのに、あなたは普通では考えられないような目に遭っても、まともな人間として生きている……せめて、私を憎んでくれていれば……」

 彼女は、僅かに唇を震わせた。

「これでは、まるで私が駄目な人間であるような気がして……惨めになるんです。自分を支える為に、憎むべきでないものすら憎んで……」

 真理奈の言葉に、陸は、桜桃ゆすらの使い魔「コンちゃん」を思い出した。

 子供の頃、真理奈も「コンちゃん」を可愛がっていたという。彼女の態度を見るに、その気持ちは、きっと今でも変わらないのだろう。

「自分の気持ちに逆らったことをするのが辛いのは当然だと思います」

 陸は、正面から真理奈の顔を見つめた。

冷泉れいぜいさんが、『コンちゃん』を可愛いと思っているの、俺にだって分かりました。可愛いとか愛しいって思う気持ち、我慢する必要はないんじゃないですか」

「……そんなことをしたら、私にとっての『支え』がなくなってしまいます」

 少し苦しげに見える表情で、真理奈は小さくかぶりを振った。

「だったら、誰かに寄りかかってもいいじゃないですか。花蜜はなみつさんも、冷泉れいぜいさんのことを心配してるし、他にも、冷泉れいぜいさんに頼られたら嬉しいと思う人は、必ず、いると思いますよ」

 陸が言うと、真理奈は虚を突かれた如く驚きの表情を見せた。

「誰かに……考えたこと、ありませんでした。子供の頃から、何でも自分でできる子と言われていて、そうしなければいけないのだと思っていましたが……」

「度を越えた我儘わがままは良くないと思うけど、困った時は誰かに頼っていいんですよ」

 陸は、そう言って微笑んだ。

「……こんなこと、話すつもりではありませんでしたが……いえ、もう何を言おうとしたのか分からなくなってしまいました」

 真理奈が、ため息をついた。

「でも、あなただって、本当は、いつも何か我慢しているのではありませんか。こうして他人のことは気遣うのに、自分のことについては、いつも『大丈夫』と言って済ませているでしょう。あなたこそ、他人を頼ろうとしていないのでは?」

「そ、そうですかね?」

 思わぬ方向からの逆襲に、陸は焦った。

「自分が我慢して丸く収まるならって思っているところは多少あるかも……でも、それは、俺が何か言ってイザコザが起きたりギスギスしたりするほうがイヤだからっていう、我儘わがままなんだと思います」

「おかしな理屈ですね」

 陸が考えながら答えると、真理奈は、くすりと笑った。

冷泉れいぜいさんが笑ったところを見たの、初めてかも」

「私……笑っていましたか?」

 真理奈が、陸の言葉に首を傾げた。

「はい……綺麗な人は怒っていても綺麗だけど、やっぱり、笑ったほうが綺麗ですね」

 少し気が緩んだ陸は、正直に思ったままのことを口に出した。

「あ……あなたって、そういう心にもないことを軽々しく……不潔です! ……幻滅しました!」

 彼の答えを聞いて、真理奈は頬を赤らめながらも柳眉を逆立てている。

「こ、心にあるから言ったんですよ?! というか、幻滅したって、俺を、どういう人間だと思っていたんですか?」

 真理奈の反応に、陸は狼狽うろたえた。

 ――ふ、不潔って……冷泉れいぜいさんに罵られたいとか踏まれたいとか言ってる人がいるなんて言ったら、卒倒しそうだな……

「どういう……って……その……」

 言葉が見つからないのか、真理奈は酸欠の金魚の如く、口をぱくぱくさせている。

「……と、とにかく、異性の容姿に言及するのはセクシャル・ハラスメントに該当しますッ」

 胸の前で二つの拳を握りしめ、真っ赤な顔で言い放った彼女の姿を見て、陸はこらえきれずに笑い出した。

「な、何がおかしいんです?!」

「あははは……ご、ごめん、まさか冷泉れいぜいさんが、こんな風になるなんて想像もしてなくて……なんか可愛いなって思って……」

 恥ずかしさの為か涙ぐんでいる真理奈の顔を見て、陸は我に返った。

 深呼吸して息を整えてから、陸は口を開いた。

冷泉れいぜいさんを馬鹿にするとか、そんなつもりは無かったんですが、イヤな気持ちにさせてしまったなら、ごめんなさい。ただ、さっき言ったことは文字通りの意味しかないので、それは信じてもらえると、ありがたいです」

 真剣な顔の陸を見て、真理奈も徐々に落ち着いてきた様子だった。

「……これくらいにしておきましょう。くだらない話に付き合わせて、すみません」

 ため息をつきながら、真理奈が言った。

「くだらないなんて思ってませんよ」

 陸は、そう言って微笑んだ。

冷泉れいぜいさんの気持ちを聞けて、俺は嬉しかったです」

「……あなたの、そういうところ、苛々します」

「ええ……」

 ぼそりと真理奈が呟いた言葉に、陸は眉尻を下げた。

 ――一体、どうすればいいんだ……

「なに、照れ隠しであろう。われには分かったのである。此奴こやつは素直ではないのである」 

 陸の脳内に、ヤクモの声が響いた。

「聞いていたの? 寝てるのかと思ってたよ」

「『空気を読む』というものをやってみたのである。口を出して真理奈に怒られるのも、つまらんからの」

 ヤクモの言葉に、陸は思わず、ふふと笑った。

「また、ヤクモと内緒話をしていますね」

「えっ、声に出してないのに、分かるんですか?」

 真理奈に睨まれ、陸は動揺した。

「見ていれば分かります。大方、私の悪口でも言っていたのでしょうけど」

其方そなたが赤くなったり青くなったり狼狽うろたえたりしているところが可愛いと、この男が言っておったのだ」

「ちょっとヤクモ、声に出して変なこと言わないで!」

 陸は頭を抱えた。  

「も、もう用は済んだから、出て行ってください!」

 顔を赤くした真理奈に押し出され、陸は応接間を後にした。

「空気読むなら、最後まで読んでくれよな」

 ぼやきながらも、陸は、胸の中が何か暖かいもので満たされるような気持ちになっていた。

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