第10話 軋轢の予兆~体力錬成室にて~

 「怪異」と融合した陸が、術師である花蜜はなみつ桜桃ゆすらの「使い魔」として登録されたことが「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」内に周知されてから、数日が過ぎた。

 人間ではあるが同時に「怪異」でもある存在――前例のない事態に対し、共に任務にあたる戦闘部隊の者たちも戸惑いを隠せない様子ではあったものの、これは上層部の決定ということで、不満を表に出す者は、現在のところ見られなかった。


 「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」施設内の廊下を、陸は戦闘員の来栖くるすと共に歩いている。

 トレーニングウェア姿の二人が向かっているのは「体力錬成室」だ。戦闘部隊の隊員たちが、訓練や事務処理の合間に、自主的に筋力トレーニングや格闘の練習を行う場である。

「来栖さん、非番なのに、付き合ってもらってすみません」

「なに、君から『戦う方法を知りたい』なんて相談されたら、こたえない訳にはいかないさ」

 陸が頭を下げると、来栖は爽やかに笑った。

「『怪異』と戦う時はヤクモが表に出てくれる訳ですけど、俺自身も戦いの知識があったほうがいいと思って……格闘技なんて体育の授業で少しだけ柔道を習った程度ですし」

 ヤクモの戦闘スタイルは、飛び道具とも言える破壊光線を除けば、ほぼ徒手による格闘である。肉体の持ち主である陸自身も、その為の知識と技術が必要と考えたのだ。

「そうだな。『戦うこと』自体の経験は、ある程度積んだほうがいいだろうな。そういえば、行動の制限も、かなり緩くなったそうじゃないか」

「はい。『怪戦』の施設内に限り、一人で歩き回っても構わないそうです。常に連絡がつく状態にしておけとは言われてますけど」

 来栖の言葉を受け、陸はトレーニングウェアのポケットから、支給されたばかりのスマートフォンを取り出してみせた。

「ネットの使用状況は監視されてるんだっけ? 色っぽいサイトを覗いたらバレるの必至だな」

 いたずらっぽい笑みを浮かべる来栖を見て、陸は顏を赤らめた。

「そ、そんなの見ませんよ! でも、通信販売の利用が許可されて、ヤクモが喜んでますね。クレジットカードも今まで通り使えるし」

「うむ、これで全国の『ぐるめ』が取り寄せられるからな。喜ばしいことである」

 不意に聞こえてきたヤクモの声に、陸は、くすりと笑った。

 やがて、二人は「体力錬成室」の前に着いた。

 扉を開けてみると、陸が想像していたよりも広い空間が広がっていた。設置されている様々なトレーニングマシンで筋力を鍛える者たち、そして防音マットの敷かれた区域では、格闘技の模擬戦を行っていたりなど、幾人もの戦闘員が鍛錬に励んでいる。

「皆さん、正規の訓練の他に、空き時間にも、こうして鍛えているんですね」

「俺たちの仕事は、身体が資本だからな」

 感嘆する陸に、来栖は事もなげに言った。

 その時、一人の道着姿の男が歩み寄ってきた。

「来栖一尉、お疲れ様です」

 背筋をまっすぐに伸ばして敬礼する、見るからに実直そうな男は、三十歳前後に見えた。身長175センチの陸より若干背丈は低いものの、道着越しでも分厚いと分かる胸板と体幹からは、その肉体が鍛え上げられているのが見て取れる。

「お疲れ、元宮もとみや曹長。そうだ、丁度よかった」

 来栖も敬礼を返すと、陸の方へ向き直った。

「彼は、戦闘部隊所属の元宮曹長だ。年齢は俺と同じだが、実戦のキャリアは俺よりも上で、新米の頃は面倒を見てもらっていたんだ」

風早かぜはやりくです。よろしくお願いします」

 陸も、二人にならって敬礼した。

「高卒からの叩き上げってだけなのに、そんな風に言われると、こそばゆいですよ」

 元宮は半ば困ったような微笑みを浮かべたが、陸の顔を見ると、はっとした様子で目を見開いた。

「……ということは、彼が『例の』?」

「そうだ。元宮は、実際に会うのは初めてだったな」

 来栖の言葉に、はいと答えながら、元宮は陸を頭の天辺てっぺんから爪先まで眺め回した。 

「……普通の……強いて言えば優男やさおとこだな」

 元宮は顎に手を当て、小さく息をついた。

「いや、記録映像も見たし、同一人物であることは分かるが……とても、あんな力があるとは思えんな」

 そう言われ、陸は最初に目覚めた際のことを思い出して苦笑いした。

「彼も、我々と共に任務に参加するにあたって、戦闘に慣れておきたいそうだ。よければ、相手をしてやってくれ」

 来栖が言うと、元宮は力強く頷いた。

「了解です。風早かぜはや、格闘技の経験は?」

「ほぼゼロです……」

 元宮に尋ねられた陸は、何とはなしに肩をすぼめた。

 子供の頃から、陸も「怪異戦略本部かいいせんりゃくほんぶ」が人々を守る為に「怪異」と戦ってくれていることは知っていた。しかし、心のどこかに、それらは何の力もない自分には関係のない世界、という意識があった。だが、これまで彼が『怪異』と関わらずに生きてこられたのは、幸運な偶然の産物に過ぎない。

 戦う力を持たない者たちの大半も、陸と然程さほど変わらない認識だろうが、それに気付いた彼は、少し恥ずかしくなったのだ。 

 ふと気付くと、陸たちの周囲には、いつの間にか集まった他の隊員たちにより人垣ができている。

 彼らも記録映像や各種のデータを見てはいると思われるものの、実物の陸に対して興味津々らしい。

 互いに肘でつつき合い、ひそひそと話していた隊員の中の一人が、意を決したように口を開いた。

「あんた、術師の花蜜はなみつさんの『使い魔』扱いなんだろ? ということは、彼女と一緒に暮らしたりしてるのか?」

 その言葉に、集まっていた隊員たちがざわめいた。

「ま、まさか! 今は研究施設の仮眠室に間借りしてますけど、近いうちに、戦闘部隊の人たちがいる宿舎へ引っ越してもらうと言われました」

 陸が慌てて答えると、一同は安堵したかのように、ため息を漏らした。

「何か安心した~……でも、しょっちゅう花蜜はなみつさんと一緒にいられるのは羨ましいよな」

「俺たちは、現場以外じゃ、なかなか会えないもんな」

 隊員たちの様子から見るに、桜桃ゆすらは彼らにとってアイドルのような存在なのだろう。

 ――余裕がなくて、そんなこと今まで考えてなかった……花蜜はなみつさんって、術師としても高レベルみたいだし人柄も良いけど、何より、その辺のアイドルより可愛いもんな……

 改めて桜桃ゆすらの姿を思い浮かべ、陸は隊員たちの反応に納得した。

「お前、ここに来る前は何をしてたんだ?」

「広告代理店に勤めてました。こういう事情だから退職することになっちゃいましたけど……事故で重傷を負ったという理由をつけて、手続きは『怪戦』のほうでやってくれると聞いてます」

 いつしか、「体力錬成室」は、陸への質問の場へと変わっていた。

 彼が普通の人間と変わりなく会話できるのに、隊員たちも安心したのか気を許し始めているようだ。

「……自分は、そいつを信用していません」

 突然響いた声に、和やかになりかけていた空気が一瞬凍った。

 陸は冷や水を浴びせられた如く、びくりと肩を震わせ、声の主を見やった。

 彼の視線の先に立っていたのは、まだ少年といっても通用しそうな、あどけなさの残る若い隊員だった。

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