第38話 精神が歪んだ佐藤:暴走の末の暴力

 佐藤悠斗は、神保株式会社での過酷な日々を乗り越え、ようやく別の職場に転職したものの、心の中の歪みは修復できずにいた。毎日、薄いカーテン越しに差し込む朝日を眺めながら、彼は次第に自分自身の壊れた精神を感じるようになった。彼の中に湧き上がるのは、無力感と怒り、そして虚無感だった。


 新しい職場は、以前のように厳しい環境ではなかったが、佐藤にはそれが余計に耐えられなかった。上司や同僚たちは普通で、優しく接してくれたが、彼の心はそれに適応できなかった。すべてが偽善に見え、良心を持たない世界にいるような感覚に陥っていた。


 そんな中で、佐藤はふとしたことで爆発することが多くなった。小さな不満が積もり積もり、次第にそれが膨れ上がっていった。彼は精神的なバランスを崩し、どこにでもある些細な出来事に苛立ちを感じるようになった。それが最初のきっかけとなった。


 ある日の午後、仕事の帰り道、佐藤は「夕凪駅」近くのファミリーマートに立ち寄った。普段は、少しでも疲れを癒やすためにイートインスペースで軽く食事をするのが日課だった。しかし、その日、店内に入ると、いつもあったイートインスペースがなくなっていた。代わりに、椅子が撤去され、代わりに商品棚が並べられているだけだった。


 その瞬間、佐藤の頭の中で何かが切れた。細かい事象の積み重ねが、ついに彼を暴走させた。彼は目の前の店員に向かって激しく言った。


「なんで、こんなことになってるんだ!?」


 店員は驚き、慌てて言葉を探している。しかし、佐藤の怒りは収まるどころか、ますます膨れ上がっていった。


「この店、あのスペースを無くしたことで、何もかもがダメになった!全部が壊れてるんだよ!」


 店員は恐る恐る言った。「す、すみません、お客様。こちらは本部からの指示で…」


 佐藤はその言葉を遮った。「ああ、言い訳か。お前ら、全部本部のせいにして、何も考えてないんだな!」


 そして、目の前にあったレジ台に手を伸ばし、何かを掴み取るようにして拳を握った。店員がその行動を見て、すぐに後退しようとする。その瞬間、佐藤は目の前にあったショーケースの上に置かれていた金属製の重い物体を手に取り、店員に向かって突きつけた。


「お前ら、いつだってこうだろ! 俺の気持ちを理解しようともせず、ひたすら無視して!」


 店員は恐怖に引きつった表情を浮かべ、叫び声を上げる間もなく、佐藤は引き金を引いた。


 その音が響いたとき、店内は一瞬静まり返り、次第に悲鳴が広がった。佐藤の目の前で、店員はその場に倒れ、床に広がる血を見て、ようやく佐藤は自分が何をしたのかを理解した。


 だが、後悔の感情は湧かなかった。ただ、虚無感だけが残り、ますます深い穴に飲み込まれていくような感覚が広がっていった。


 事件が起きたその後、警察がすぐに現場に到着した。しかし、佐藤はその場を逃げることもなく、手にした武器を下ろし、黙って立っていた。警察官が彼に向かって叫ぶ。


「お前、何をしたんだ!?」


 佐藤はただ静かに答えた。「すべてが壊れていたから。何もかもが無意味で、俺の中で最後の糸が切れた」


 警察官は佐藤を取り押さえ、その場で逮捕したが、彼は言葉を失っていた。


 その後の裁判で、佐藤は自らの行動について一切の弁解をしなかった。彼の精神状態は、専門家によって詳しく調査され、最終的に「精神的な障害が原因」として、裁判は減刑されることとなった。


 社会から隔絶された施設で過ごすことになった佐藤。しかし、彼の中にあった怒りと不安は、どんな治療を受けても消えることはなかった。


 佐藤は、自分がどれほど破壊的な存在になってしまったのか、もう理解することもなかった。ただただ、心の中で、無力感と怒りを抱え続け、日々を過ごしていくしかなかった。


 佐藤が犯した暴力行為は、決して小さな出来事ではなかった。それは、心の中で積もり積もった苛立ちと虚無感が爆発し、無関係な他者を巻き込んだ結果に過ぎなかった。そして、その先に待っていたのは、どこにも行き場のない深い闇だけだった。


 しかし、佐藤の暴走は彼一人の問題ではなかった。社会全体の無関心や、システムの冷徹さ、人々の無理解が生み出した怪物のようなものだった。彼の中で暴力が芽生えた瞬間、その背後には、無数の見過ごされた苦しみがあったのだ。


 誰もが気づくことなく、誰もが見過ごした痛み。それが暴力という形で表出した時、初めてその深刻さに気づくことになるのだろう。


 佐藤の物語は、ある意味で警鐘のようなものだった。しかし、その警鐘が鳴り響くことは、誰も望まなかったことだった。


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