第27話 武蔵対一刀斎 episode7

 突然とつぜん、後ろから声を掛けられた。


 何を言われたのかは聞き取れなかったが、武蔵は後ろを振り返った。


「やっと追い付いたようじゃのう」


 老人が話しかけて来た。


 いや、老人だと思ったがまだもう少し若いかも知れない。


 どちらにしても、としかさではある。


年寄としよりに沢山歩たくさんあるかせ居って、武蔵よ。 しんどかったではないか」


 年かさの男が言った。


 何故だか武蔵の名前を知って居るようだが、武蔵に覚えはない。


「初対面のはずですが……」


 武蔵が答えると、年かさの男はニヤリと笑った。


「そうじゃ。 お主とは初対面じゃ、武蔵よ」


 年かさの男がまた、武蔵の名前を呼んだ。


「では何用でしょう、拙者せっしゃは貴方を知りませぬ。 日暮までには宿へ着きたいのですが」


 武蔵は少し苛立いらだって応えた。


「そうあせるでない、日暮まではまだ時間が有る。 ちと儂と遊んで行かんか」


 年かさの男は言うとまたニヤリとした。


「用がないのなら、もう行きます」


 武蔵はそう言うときびすを返した。


「用ならある、実はのう、お主をりに来たのじゃ」


 年かさの男がそう応えた。


「ご冗談じょうだんでしょ」


 武蔵は冗談だと訊ねたが、どうやら本当の様だ。


 年かさの男の顔色が変って居る。


「先に抜くが良い。 二刀を使うのを見てみたい」


 年かさの男はそう言うと、刀の鍔辺つばあたりに手を軽くけた。


 抜き打ちの体制たいせいだ。


 年かさの男の剣技けんぎ居合いあいだろう。


 武蔵は遠慮えんりょなく二刀を抜いた。


 抜いた二本の刀を胸の前で十の字にした。


 円明流えんめいりゅうの形の一つである。


「ほう、本当に二刀を使うのじゃのう」


 年かさの男はそう言いながら、間合まあいを詰めて来た。


 武蔵はその間合いを嫌った、何か嫌な予感がする。


 十字を構えたまま間合いを切る。


 その刹那せつな、年かさの男が飛び込んで来た。


 武蔵はそれを何とかかわしたが、首の皮が一枚薄く斬られていた。


 かわせたのは偶然ぐうぜんだった。


 余りにもの速さに、全然観えて居なかったのだ。


 何とか動物的直観どうぶつてきちょっかんでかわしたのだ、次にまた跳び込んで来られたら無理だ。


「今のが、かわされるとは思わなんだ。 中々やり居るのう武蔵よ」


 年かさの男は笑いながらまた、先程さきほどと同じ体制に成り間合いをめて来る。


 武蔵はこの男は誰だろうと思った。


 今までに、これ程の手練てだれには遭遇そうぐうした事が無い。


 武蔵が知らなかっただけで、きっと名のある剣術家けんじゅつかに違いない。


 武蔵はおのれ未熟みじゅくを恥じた。


 また年かさが、跳び込んで来る気がした瞬間しゅんかんに、武蔵は渾身こんしん気迫きはくを飛ばした。


 年かさが一瞬、跳び込んで来るのを躊躇ちゅうちょしたのが解った。


「ほう、これは面白い。 儂の抜き打ちを封じ居ったわ」


 年かさの話しが終る前に、武蔵が飛び込み二刀のやいばを叩き込んだ。


 しかし年かさの方がはやかった。


 武蔵はどうかれて居た。


 浅く斬られたが、致命傷ちめいしょうではない。


 武蔵は身体をひねる様にして二刀の刃を振り、離れようとして居た年かさに刃を当てた。


 しかし、手応てごたえが無い。


 着物を斬っただけだった。


 刹那、また斬撃ざんげきが飛んで来た。


 一撃目は左の刀で受けかわしたが、二撃目の返す刀で右脇腹辺みぎわきばらあたりを斬られた様だ。


 斬られた部分が熱い。


 だが深手ではない。


「儂の攻撃を受け太刀でいなし居ったわ、お主流石ぬしさすがじゃのう」


 年かさは、楽しくて仕方しかたないと言う顔をして居る。


 まるで子供が遊んで居る様だ。


 そして今度は太刀を八相はっそうに構えて居る。


 武蔵は左を上段にかまえ、右を中段に置く。


 この構えなら、右はさそいにもなるし攻撃にもなる。


 左が上段に有るから出来る技で、武蔵が得意とくいとする変幻自在な構えだ。


「ほう、そう言う事か。 器用きようだのう」


 言うが早いか、お構いなしにふところに跳び込んで来た。


 そのまま八相の構えから下段へ斬り下げ、下から斬り上げて来る、速い。


 武蔵は右で下を処理しょりして、斬り上って来る刃を、身体を反らす事でやり過ごした。


 同時に上段の左を斬り下ろした。


 しかしそれを年かさは、返す刀ではらいながら跳び下がった。


 その剣筋けんすじはまさに一刀流である。


 一刀流は返す刀も攻撃こうげきだ。


伊東一刀斎いとういっとうさい……」


 武蔵は年かさの剣筋けんすじから、その男の正体が伊東一刀斎であると確信かくしんした。


殿どのを付けんか。 目上めうえの者には敬意けいいはらうものじゃ、のう武蔵よ」


 やはり伊東一刀斎なのか。


 まさか生きて居たのか。


 死んだと言う話はいた事が無い。


 しかしこれ程の剣豪けんごう活躍かつやくうわさにも上がって来ない事から、勝手に武蔵は死んだものと決め付けて居たのだ。


 相手が悪すぎる。


「どうした武蔵。 ほれ、次行くぞ」


 一刀斎がまた跳び込んで来た。


 一刀斎の斬撃ざんげきに何とか対応し、渾身こんしんの一撃をはなったのだが、太刀で弾き返されてしまった。


 いつの間にか肩を斬られて居たが、これも深手ふかでではない。


「久し振りに受け太刀をしたぞ。 お主はやはり本物じゃのう。 簡単かんたんには殺せそうもない」


 一刀斎は笑って居た。


 殺される。


 武蔵はこの時初めてまわりに眼をやった。


 日暮ひぐれまではまだ時間があるが、誰も居ない。


 誰にも見られてない。


 小野次郎衛門より、伊東一刀斎の方が腕は上だろうか。


 上だろう。


 師弟関係していかんけいは抜きにしても、一刀斎の方が上だろう。


 だとすれば、確実かくじつに自分は殺される。


 自分が今までみ上げて来たものが、ここでついえてしまう事に成るのだ。


「わぁあああああああああああ」


 武蔵は滅茶苦茶めちゃくちゃに二刀の刀を振り回した。


「おう、何じゃ。 どうした急に」


 一刀斎が一瞬怯いっしゅんひるんだすきを確認すると、武蔵はそのまま踵を返して走った。


「ま、待たんか」


 一刀斎が追いかけて来る。


 武蔵は走った、者狂ものぐるいで走った。


 一刀斎との差は、どんどん開いて行った。


 剣技けんぎではかなわないが、若さと体力では、武蔵の方が上である。


 逃げるが勝ちとはこの事だ。


 まだ死にたくはない、死ぬ訳にはゆかない。


天下無双てんかむそうは逃げ足が速いのう」


 遠くから一刀斎の声が聴こえた。


 それでも武蔵は足をゆるめるつもりはなかった、何処どこまでも走り続けた。

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