第21話 勘四郎燃ゆる episode1

 暗い、ここはいったい何処どこなのだ。


 私はいつから、この暗闇の中を彷徨さまようて居るのであろうか。


 遠い昔から彷徨うて居る様な気がする。


 いくら考えても思い出せないのだ。


 そんなことよりも頭の中は、怨みなのか憎しみなのか苦しみなのか、なにか得体えたいのしれないドス黒いもので一杯なのだ。


 それが何なのか、いくら考えても思い出せないで居る。


 私が誰なのかでさえ、わからない。


 自分がわからないのだ。


 ただ、ドス黒い何かを頭の中に抱えて、独り暗闇を彷徨うて居るだけだ。


 それを何年も、もしかしたら何十年かもしれないが彷徨うて居る。


 まるで暗い海の底を歩いて居るようだ。




 ある日何かとすれ違った。


 人ではない何かだ。


「どこへゆく」


 その人ではない何かが、すれ違いざま私に話し掛けてきた。


 わからないと私は答えた。


「ほほう、おぬしまだ育ってないのじゃな」


「そだつ?」


「そうよ、おぬしはまだ何もわからず彷徨うているのじゃろう」


「わからない」


「そうじゃろう、そして頭の中は憎しみでいっぱいなんじゃろう」


「このドス黒いのは憎しみなのか?」


「心配せぬでもよい、わしなどは六十年ほど彷徨うたかのう」


 その人ではない何かの話しによると、世の中に怨みや憎しみを持って死んだ者は皆、こうして彷徨うのだと言う。


 彷徨いその怨み憎しみを無くせた者は、上に行けるのだと言う。


「上とはなんだ?」


「ん、上とはすなわち成仏すると言うことじゃ」


「じゃあここはあの世なのか?」


「ここは怨み憎しみを持って死んだ者が堕ちる地獄じゃよ」


「じ、地獄」


「そうじゃ、ここから出たければ頭の中のもんを無くすことじゃの、その方法が一番早い」


 そんなことを言われても、このドス黒いものが消せるのか、どうやって……


「おぬし今、頭の中のもんを無くすのは無理じゃと考えておろう」


 人ではない何かが私に近づいて来た、そして私の前にドカッと座った。


 ニヤついて居る。


「おぬしは運が良いのう、儂とこうして出逢でおうておるのだからのう」


 人ではない何かがそう言うと、腕を組んで私の顔をのぞき込んで来た。


「よいか、ここから出る方法じゃが頭の中のもんを無くすだけじゃあないぞえ」


 私の顔を覗き込んだまましばらくだまった。


 それから十を数える間沈黙あいだちんもくを続け、語り始めた。


「逆もあるんじゃ、逆も」


「……」


やすんじゃ、まぁ儂なんかここまでに成るまで六十年掛かっとるからの。 ここまで育てるのには苦労したわい。 でもまだまだじゃわい。 凄いのになると何百年もかけて育てた者も居ったからのう」


 何百年もここで怨み憎しみを育てるなんて、どんなふうに成るのだろうか。


 まさに化物だ。


「頭の中のもんが大きくなれば、記憶もよみがえってくるんじゃ。 怨み憎しみの中から染み出してくるんじゃろうのう」


 そもそも生きていた時に出来た怨み憎しみなのだから、怨み憎しみに記憶が引っ付いててもおかしくはない。


「おぬしのもかなり大きいから、そろそろ記憶を取り戻すんじゃなかろうか。 そしての、記憶を取り戻して怨み憎しみが大きくなったらどう成ると思う?」


 人ではない何かは、また少し間をあけた。


「鬼になるんじゃよ」


「お、鬼」


「そうじゃ、人の怨み憎しみが鬼に生まれ変わるんじゃ、今この儂の様にのう」


 人ではない何かは、鬼だったのだ。


 その瞬間、私の記憶が少しだけ甦えって来た。


 鬼? もののけ? 姫路城?


「ん、どうした急に。 あっ、思い出したのか。 おぬし顔が鬼になって居る!」


 勘四郎は全てを思い出していた。




「良かったではないか、おぬしも鬼に成れたのだのう。 鬼になったのなら、もうこんな場所に居る必要はない。 何処へでも行けるでのう」


 勘四郎はしばらくの間、その鬼を見つめた。


 その鬼に出会わなければ、今の自分はない。


 それが無ければ、いつまでも彷徨って居たような気がする。


 勘四郎は心からその鬼に感謝した。


「ありがとうございます、あなたのおかげです」


「いやいや、おぬしの頭の中のもんがかなり大きかったでな、もしやと思うて声をかけたんじゃ、うんうん」


 その鬼は人が良いようだ、いや、鬼が良いようだ。


「お陰でこの地獄から脱出できます、あ、俺は生駒勘四郎と申します」


 名を名乗るとその鬼はビックリした。


「おいおい、我ら鬼が名を名乗るもんじゃないわ。 名を名乗れる鬼はよっぽど強いか、強い者に名付けてもらうしかないからのう。 そうでないと因果いんがまわるのよ」


「ええっ、そうなんですか?」


 今度は勘四郎がビックリした。


「そうじゃ、酒呑童子しゅてんどうじしかり小坂部姫しかり……」


「小坂部姫!」


 その懐かしい名を聞いた瞬間、勘四郎は思わず叫んでいた。


「なんじゃいきなり大きい声を出しおって、びっくりするじゃろう」


 その鬼に怒られてしまった。


「すみません、知ってる名前だからつい」


 勘四郎は素直に謝った。


「おぬし小坂部を知っておるのか? くわばらくわばら」


 そう小坂部姫、勘四郎が初めて一目惚れした女性である。


 しかし小坂部姫は武蔵と兵庫助に切り刻まれて死んでしまった。


「はい、でも死にましたよね」


 勘四郎は少し寂しい気持ちになった。


「おいおい、小坂部は不死身じゃ。 死んでなんかおらんよ」


 え? どう言うことだ。


「でも、宮本武蔵様と柳生兵庫助様が退治なさったのを、この目でたしかに」


 今でもあの残酷ざんこくな行為を勘四郎は覚えている。


 あの時は、武蔵と兵庫助を少し軽蔑する様な気持ちになったことも、今思い出した。


「もうとっくに復活しておるわ」


 その鬼は当たり前の様に言った。


「ほんとうですか?」


 勘四郎はそれを聴いて嬉しくなった、小坂部姫のあの美しい顔を思い浮かべただけで頬を赤くしてしまった。


 今では勘四郎も小坂部と同じ鬼である。


 同じ鬼になったのだ。


 これはもしかしたら運命かも知れないと勘四郎は思った。


 勘四郎は小坂部に恋をしていた。


 小坂部が好きで好きでたまらなかった。


「おぬし、これからどうする? もしよければ道中どうちゅうせぬか、久し振りの娑婆しゃばじゃからのう。 一匹より二匹の方が心強かろう」


 その鬼がこれからのことを聞いてきた。


 勘四郎はもう決めていた。


 小坂部姫に逢いに行くのだ。


 小坂部に逢って、家来にしてもらおう。


「俺は播磨はりまの方へ行こうと考えています。 方向が同じなら是非ぜひ


 播磨の国、姫路にあの城がある。


 小坂部が守る不落の城が。


「儂は特に行きたい場所はないので道中するのも良いじゃろう」


 その鬼は勘四郎について行きたいようだ、別に問題はない。

 それに、その鬼にはおんもある。


「じゃあ決まりですね。 こんな場所、早く出ましょう」


 こんな場所に長居ながい禁物きんもつだ、もしその鬼に会わなければ勘四郎はまだ彷徨うていたはずだ。


 そう思えばその鬼にはまた恩を感じるのだ。




「なんと! おぬし五年ほどしか彷徨うて居らぬのか? そんな短い期間で頭の中のもんはあんなに大きかったのか」


 娑婆に出て自分がどれ程地獄を彷徨うていたのか期間がわかったのだ。


 勘四郎の感覚では何十年も彷徨っていたのだが、期間がわかり「なんだそんなものか」と思った。


「短い期間でしたが、その分怨みが大きかったのでしょう」


 思い出せばまた怨みがふくらんでくる。


 江戸の街で受けたあの者たちの勘四郎への扱いなどはひどいものであった。


 白い目で見られ、酷い時は石を投げつけられたりもした。


 小野派一刀流の者たちには簀巻すまきにされた。


 簀巻にされて殺されたのだ。


「天才じゃ、おぬしは鬼の天才じゃ。 そうでなければ5年やそこらで鬼になんか成れるものかよう」


 その鬼がしきりと勘四郎を褒めちぎった。


 そこまで褒められると、勘四郎もそうなのかなと感じてしまう。


 剣では天下の両川りょうせんから直々に稽古けいこを付けて貰った様なものだし、自分にはおそらく天稟てんぴんがある。


 鬼の世界でも天才だと言う。


「よし、鬼になった俺もこれからは名を名乗ることにします」


 その鬼が言うには、名を名乗ると因果が廻ると言うが、俺なら大丈夫だろう。


 俺はきっと天才なのだ。


「なんと図々しい」


 その鬼が自分を見つめていた。


「おいおい、お前ら新しい鬼だろう。 ここら辺では見ない顔だが」


 いきなり森の奥から三匹の鬼たちが飛び出して来た。


「我らの中には縄張なわばりと言うものがあるのだ。 挨拶あいさつなしに通ることは許さんぞ」


 この森に入ってから空気が変わったことに勘四郎は気付いていた。


「だからなんだ」


 勘四郎はそういうとゆっくり刀の塚に手をかけた。


「なんだコイツ、抜く気か」


 三匹の鬼たちの一匹が言った。


 隣にいるその鬼が「お、おい」と言って勘四郎を制して来た。


「挨拶のしかたを教えてやろう」


 一匹が言った。


「ふふふ、嫌だと言ったら」


 その瞬間、勘四郎は三匹の鬼たちの首を天に飛ばしていた。


 一瞬のことだったので、その鬼などは何が起こったのか分かっていない。


 勘四郎の足下に三匹の死体が転がっている。


「お、おぬし強いんだのう」


 その鬼が小さく呟いた。




 鬼になった俺たちが行動するのは夜だ。


 その鬼との二匹旅である。


「おぬし小坂部に逢うてどうするつもりじゃ」


 道中その鬼が聞いてきた。


「ふふふ、家来にしてもらうのよ」


 勘四郎の話し方は少し生意気になっている。


「家来かぁ。 小坂部程の鬼の家来衆となれば大きな顔ができるのう」


 その鬼も家来になりたそうにしているが、はたして務まるのかどうか。


 勘四郎は自分が家来になったら、きっと小坂部の株は上がるだろうと考えている。


 自信があるのだ。


 俺ほどの者が家来になるのだ、小坂部は必ず喜ぶに違いない。


「おい、少し急ぐぞ」


 勘四郎は小坂部のことを考えると、居ても立っても居られない気持ちになって居た。


 気持ちが逸るのだ。


 三匹の鬼たちの件から、何匹もの鬼の首を天に飛ばして来た。


 自信が付いたのだ。


 早く今の自分を見てもらいたい。


 気持ちが逸るのだ。


 早く小坂部の顔が見たい。


 気持ちが逸るのだ。


「おい、向こうから何か来るぞ」


 その鬼の声に我を取り戻した。


「ん、なんだ、嫁入よめいりか?」


 勘四郎は思わず声を上げた。


 嫁入りの行列に出会でくわしたのだ。


 真夜中である。


「こんな遅い時刻に嫁入りの行列に出くわすとはな」


 幾つもの提灯ちょうちんの群れが此方こちらに近付いてくる。


 その群れはとても長いものであった。


 それがゆっくりであるが此方に近付いてくるのだ。


「まて、これは狐の嫁入りじゃ」


 その鬼が言った。


 やばいぞやばいぞと言いながら、あたふたしているその鬼を見て勘四郎は笑いそうになった。


「おいおい、狐の嫁入りといえば妖怪であろう。 我らは鬼だぞ。 怖がってどうする」


 その鬼が勘四郎を見てくる。


「じゃあおぬしはどうするのじゃ」


「狐なんかより鬼の方が偉かろう、堂々と真ん中を通ることにしよう」


「やめた方が良かろう、数が多いすぎる」


 その鬼は弱々しい声を出した。


「ではお前は見ておれ、俺が真ん中を通る処を」


 そう言うと勘四郎は道の真ん中を堂々と歩き出した。


 先頭の提灯を持つ狐と目が合った。


 勘四郎にその目が退けと言っている。


 構わず勘四郎は刀の塚に手をかける、道はあけない。


 もう手が届きそうな所まで先頭の狐が近付いてくる。


 一刀の元に斬り殺してやった。


「ああああ」


 その鬼が叫び声を上げた。


 行列が止まった。


 辺りはしーんとしている。


 勘四郎は次の狐と目が合った。


 目は空洞くうどうだった、何も見ていない。


 次の狐も一刀の元、斬り捨てた。


 またその次の狐も斬り捨てた。


 その次の狐は向かって来た、目は空洞だった。


 斬り捨てた。


 次がまた来る。


 また斬り捨てた。


 次もまたその次も向かってくる。


 コイツらはどこも見ていない空洞の目で、次もまた次も向かってくる。


 その鬼の言う通りだ、数が多すぎる。


 斬っても斬ってもキリがない。


 思わず勘四郎は横に飛んだ。


 しかし狐は向かって来た。


 「ぎゃっ」


 その鬼が声を上げた。


 その鬼の所へも狐が飛びかかって行ったのだ。


「大丈夫か」


 勘四郎は声をかけたがそれどころではなかった。


 次を斬れば、すぐその次が飛んで来るのだ。


 肩で息をしながら戦った。


 終わらない、いつまでも終わらない。


 意識が朦朧もうろうとしてくる。


 しかし斬ると言う行為こういは辞めない。


 勘四郎の刀も使い物にならなくなって来た。


 斬れないのだ、最早叩もはやたたくだけだ。


 叩き殺すのだ。


 その行為が終わったのは、もう夜明けだった。


 そこに残ったのは、数百匹の狐の死骸しがいと一匹の鬼の死骸が残っただけだ。


 勘四郎独りがその中で立っていた。


 朝日が勘四郎の顔を照らす。


 その鬼の言う通りだったし、その鬼はもう居ない。


 そこに死骸があるのみだ。


「おい、おい、おい」


 返事はもうない。


 俺が殺してしまったようなものだ。


 勘四郎は泣いた。


「おい、おい」


 勘四郎は泣きながら叫んだが、返事はない。


 済まないことをした。


 六十年も彷徨い、憧れ出たこの世界だったのに。


 本当に済まないことをした。


 良い奴だった、いや、良い鬼だった。


「おい、おい、おい」


 いつまでも勘四郎は呼びかけた。


 しかし、勘四郎はその鬼の名前を知らないのだ。


 勘四郎はその鬼の死骸を丘の上に埋めた。


 そしてその上に石を置いた、はかである。


 しばらくその前に座り泣き続けていた。


 いつまでもこんな所にいるわけにはいかない。


 俺にはしなくてはならない事があるのだ。


 ようやく勘四郎は立ち上がった。


 早く小坂部姫の所に行かなくては……そして強くなった自分を見てもらわねば。


 もう勘四郎は後ろを向かない。


 そして行くのだ、あの不落城へ。

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