第9話 パッと見は散歩中のイッヌ


 きゃいきゃい言いながら川で手を洗うお嬢たち。ちゃんと言いつけを守って大変微笑ましい。

 彼女らの後ろ姿を見つめ、俺は考える。


 お嬢たちの願いを叶えるために広い世界へカチコミかけるにしても、先立つブツが必要なはずだ。

 できれば有能な案内役も欲しい。

 いくらこの身体が神獣で最強だからといっても、それだけでお嬢たちの腹を満たせるわけではないのだ。まさか俺を喰えとは言えねえし。いや、いざとなったこの身をこんがりお肉にする覚悟を決めるのも極みの道――。


「ヒスキさん? 難しい顔して、何を考え込んでるの?」

「……ケルア、あんたよく兄貴様の表情がわかるわね」


 思い悩んでいるうちにお嬢たちが戻ってきていた。

 俺はため息をつきながら言う。


「今のままじゃ、いろいろ足りねえと思いましてね。広い世界へ旅立つのなら、それなりの準備ってもんが必要です」

「なるほど」

「それじゃあさ、一度、皆で一緒に村に帰ろうよ」


 イティスがそう提案してきた。俺は耳をぴくりと立てる。


「村、だと? お嬢を追い出したところじゃねえのか。あ?」

「いや、それは……」

「お嬢をあそこまで追い詰めた連中なんぞ、天誅以外にない」


 犬歯を剥き出しにして唸る。イティスが困った顔で両手を挙げた。

 そのとき、意を決したようにお嬢が言う。


「戻ろう、ヒスキさん。イティス」

「お嬢!? いいんですかい、あんなに辛そうにしていらっしゃったのに」

「確かに今でも考えると辛いよ。でもこのままじゃいけないとも思うし。それにね、私はもうひとりじゃないってわかったから。ヒスキさんがいるし、イティスも来てくれたし」

「この舎弟見習いはお嬢にカチコミしかけてきやしたがね」

「兄貴様、そこは蒸し返さないでってば」


 騎士どころか舎弟として見ても情けない顔をするイティス。一方のお嬢の決意は固いようで、ぎゅっと唇を噛みしめていた。

 主がそこまで腹をくくっているなら、忠犬としていなはない。


「わかりやした。行きましょう。ご安心下さい。お嬢にナマ吐く輩は、この神獣ヒスキが噛み砕いてご覧に入れます」

「ありがとう、ヒスキさん。でも、できるだけ穏便にね」


 お嬢の言葉に、俺は一瞬の間を開けて頷く。イティスの奴が疑わしそうに俺の横顔を見てきたが、睨み返したらそっぽを向いた。


 それから俺たちは、お嬢たちの生まれ故郷である村へ出発した。

 先頭を行くのはイティス。


「正直、ケルアが案内役だと迷っちゃいそうだし」


 こっそりと俺に耳打ちする舎弟。お嬢をバカにすんなと叱ったが、内心では俺も同感である。


 お嬢たちが認識する世界はとても狭い範囲だったらしく、故郷の村に固有の名前はない。別の村や集落との交流が皆無だからだ。周囲から隔絶された、完全な自給自足社会である。イティスが世界に興味を持つのもわかる。

 だとしたら、文化レベルはかなり低いだろうと思われた。未知の世界へ旅立つ準備をするにしても、相応のブツが揃えられるか不安がある。


 ASMR異世界。どうやら俺の作り込みが甘かったらしい。確かに牧歌的な風景ばっかり語って聞かせていたのは俺だ。華やかで便利な街の様子をもっと考えていればと後悔はしている。

 ……にしたって、もうちょい何とかならんかったか?

 作者に当たりがキツいぞこの転生先。反抗期かコノヤロウ。

 まあ、この世界を本当に俺が創ったのなら――という話だが。


(こりゃあ、何か別の方法で物資を調達しなけりゃいかんな。最悪、その場その場で現地調達か)


 俺は小刻みに足を動かしながら――何せイッヌ状態なので一歩がちっせえのだ――思案する。

 と、その足がぴたりと止まる。

 に目が釘付けになったからだ。


「おおっ! こいつはスゲぇ!」

「なに? どしたの、兄貴様」

「馬鹿者。お前は感動しないのか、この目の前に広がる光景を」


 前脚をひょこっと掲げ、俺は興奮して言う。


「ここの植物どもはキッラキラに気合い入ってやがる! たぎるじゃねえか!!」


 目を輝かせる俺の横で、お嬢とイティスが顔を見合わせる。よく意味が分からないらしい。

 ……まあ、元々この世界に生きてる2人にとっちゃあ、何の変哲もないただの景色なんだろうがな。


 俺が惹き付けられたのは――多種多様なだ。


 実を言うと俺は生前、ヤクザの傍ら、庭師の真似事みたいなことをやっていた。

 毎日毎日、切った張ったの生活をしていると、どうしても癒やしが欲しくなる。俺にとってお嬢との会話は大いなる癒やしではあったが、それは命をかけて遂行すべき義務でもあった。俺がリラックスしていい時間じゃねえのだ。

 お嬢へASMR物語を語り聞かせる以外の時間、純粋な趣味としてやっていたのが庭仕事なのである。


 そんな俺から見て、目の前に広がる植物は非常に興味をそそられた。

 とにかく『美しい』のである。

 人の手が入っていない野山は、木々も野草も好き勝手に生え放題で、それはそれで趣がある。だが今ここにあるのは、まるで誰かが慎重にバランスを整えながら剪定せんていしたような美しさがあるのだ。

 例えるなら、美術館・博物館の窓から見る庭だろうか。ヤクザお断りなのであんまり中に入った経験がないが。


 しかもだ。ぼんやりと自ら発光している目立ちたがり屋な花もあれば、水たまりの上に根っこが浮いていて地面を断固拒否しているような気合いの入った木もある。

 どいつもこいつも、転生前の日本じゃ存在しないファンタジックなメンツばかり。

 転生したばかりの頃はお嬢やイティスのことがあってろくに周りを見る余裕もなかったが、改めて観察するとワクワクが止まらん。


 俺は近くにあった名もなき草の前に立つと、そのハート形の葉っぱを噛み千切った。前脚でいじる。


「おお! これはすげぇ! 微かに音が鳴るぞこの葉っぱ野郎! ふはは、断末魔か? 断末魔なのか? それにしちゃあい声だなあぐふふ!」

「兄貴様が壊れた」


 前脚でイティスにイッヌパンチを見舞う。爪を立ててないのでぽふんという気の抜けた音がするだけだ。「なんであたしだけ」とぼやいていたこの舎弟だが、表情は何となく嬉しそうだった。


 しばらくの間、まんま散歩中の落ち着きないイッヌそのままの動きであちこちの植物を見て回る俺。

 お嬢が遠慮がちに尋ねる。


「ヒスキさんは、植物を見るのが好きなの?」

「ええ。生前からの数少ない趣味だったので」

「生前……」


 ぽつりと呟くお嬢。それから彼女は言った。


「あの。もしよかったら、ヒスキさんのことをもっと教えてくれないかな? どうしてこの世界に来られたのか、とか。村までまだ距離はあるし」

「あたしもそれ聞きたい。ただ歩くだけだと退屈ー」


 イティスも手を挙げて賛同する。

 俺は少し考える。

 ヤクザの俺が幼気いたいけでカタギな少女ふたりに語れることなど、そうあるわけではない。血みどろな日常など、彼女らには不要の情報だろう。


 だが。


 俺が俺たりうる矜持を黙しておくのは、それはそれで仁義に反すると思った。

 

 ひとつ息を吐くと、俺は生前のお嬢――黒羽くろばかえでとの記憶を語り出した。





◆9話あとがき◆


植物好きなヤクザ、大いにはしゃぐ――というお話でした。

冒頭ぼんやりとしていた生前のエピソードについて回想が入ります。

では、次のエピソードで。


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