宙賊おじさん、公共の敵辞め(させられ)るってよ ~ド田舎星系のしょぼ宙賊、実は人類の天敵……の天敵です~

ふゅーたー饅頭

第0話 セント・ウォーベル号座礁事故

 とあるサイクル、一隻の宇宙旅客艇が外宇宙で座礁した。

 およそ一万人が乗る大型豪華客船の、希望に溢れた処女航海は事故という形で幕を下ろした。

 幸いなことに、船内に取り残された人々の殆どは事故発生時点では未だ無事であったのだが。

 この時は誰もが想像していなかった。

 船が座礁した先が危険で“特殊な”宇宙生物の巣窟だったこと。――これから船内に化け物が流れ込み、それによって殆どが無惨に死に絶えること。

 健気に助けを待つ者を嘲笑うかのように、これから一年以上の月日を絶望の檻の中に囚われることになるのを、この時一体誰が予想していただろうか。



 セント・ウォーベル号管制室の入り口が抉じ開けられようとしていた。

 僅かに開いた隙間にバトンのようなものを挿し入れて。てこの原理に結果を委ねようとしていた。力を籠める度に、男の腹部に開いた穴から血液がたぱたぱと地面に落ちる。

 ギラついた目はまっすぐに、隙間から覗くモニターの光を見据えていた。

 目的地――この地獄から抜け出す為の切符が目の前にある。

 背後では布を裂くような悲鳴と、錯乱したように放たれた銃声。ズタズタの宇宙服を着込んだ男はすでに振り返る訳にはいかない段階に来ていた。

 額に青筋を浮かべ。唸り声を上げて渾身の力を発揮する。


「開け、開けッ! 素直に開けや、クソがぁーッ!」


 すると突然、呆気なく扉が左右に開く。力余って倒れ込む。何が引っ掛かっていたのやらと扉の裏側を見ると、群がる死体が転がっていた。どれも苦悶の表情を浮かべ、閉ざされた出口に追い縋っていたことが伺い知れる。


(此処は地獄だ……本物の)


 何度も思った事を、男は何度も思い返した。


 毒ガスでも部屋に撒かれたのかもしれない、と思い至り、一瞬尻込みする。恐怖と共に、冷や汗が流れ。どっと疲れと痛みが襲い掛かってくる。

 罠の存在を確認する術はない。必要なのは度胸だった。

 妙に息苦しいと思った男は、罅割れたヘルメットを脱ぎ捨てる。半べそ混じりで、彼はコンソールに覆いかぶさる死体を夢中でどける。

 光り輝くUIに一通り目を通し、内容を理解した時。心臓が止まったように青褪めた。


「救難信号が……送られてない……? じゃ、じゃあ、俺が受け取った信号は一体……???」


 愕然としつつも、すぐさま感情を振り払う。


「落ち着け……救難信号が送れなくなっている訳でもない……今から送ればいいんだ……今更かもしれないけれど……それでも望みはある……」


 譫言のように呟きながら、たどたどしく操作する。センサーを確認し、所属を表示している一つの機影を見付けて目を輝かせる。


(最高だ! 通信範囲内ギリギリだけど、船がいる!)


 ああ、神様。居るんなら貴方の足にキスさせてくれ。通信を開く。モニターに眉間に皺を寄せた老人が映る。


(助かる。この地獄から生きて帰れる)


 歓喜に瞳を輝かせた時、ふっと気が遠のく。


(ダメだ……まだ意識を失う訳にはいかない)


 何気なく腹を抑える。

 手の平に溜まった血液。その中に、ぼそぼそとした肉の塊が混じっている。


(これは……まずい……)


 何処か遠くの出来事の様な気分になってきた男の中で、可笑しさが込み上げてくる。


「……此方、恒星間企業連合所属船、サウスモンスリー号。応答願う」


 男が話さない事を受け、老人が話す。男ははっと意識を取り戻した。


「此方、セント・ウォーベル号。聞こえるか?」

(セント・ウォーベル? 一年以上前に消息を絶った、あの?)


 先方に動揺が広がる。老人が「至急、セント・ウォーベルの乗員情報を調べろ」と背後に指示を飛ばす。


「船が座礁し、内部に大量のゼノフォボスが流れ込んでいる。生存者……多数。星系間通信設備はあるか? 至急、皇国航宙軍に救助を要請してほしい!」

「ごほっ、ゼノフォボスだと!?」


 サウスモンスリー号の老艦長を緊張が襲う。ストレスから喘息でも悪化したのか、激しく咳き込んだ。


 人知の及ばない深宇宙からやってくるとされている異種生物。その内、単身で宇宙を渡航する能力を有するといわれる【未知の恐怖ゼノフォボス】。


 判っていることと言えば、恐らくは高度な知的生命体であること。多種多様な形態を持つ事。突然現れ突然消えるという、神出鬼没性を持つこと。そして何より例外なく人類を害すること。


 そのことから霊長の天敵と認識されている。


 一匹でも艦内に入り込めばどうなるか? 恐らく、姿を隠しながらクルーを捕らえ、誰かが気付いた頃には何もかもが手遅れになっていることだろう。この狡猾なモンスターは究極の閉鎖空間である宇宙船にとっては悪夢でしかない。


 老艦長は暫しの間、目を閉じる。


(一年以上も【ゼノフォボス】の居る船にいて、人が生き残れるものなのか?)


 パニックホラー映画の主役級が溢れ返る中、無事でいられる筈がない。


「君は?」

「……民間人だ。名前はシーザー・シルバーロープ」

「君以外にも生存者はいるのか? 何名だ?」

「100名を超えている。ただ、【ゼノフォボス】で溢れ返る船内ではいつセーフポイントが襲われてもおかしくない。頼む、問答より先に、早く軍を呼んでくれ!」


 真に迫った態度を見て、老人は気圧される。その耳元で副官が囁きかける。

 老船長は「うぅむ」と唸ってから、男に対して問い掛けた。


「……シーザー・シルバーロープ。君の名前がセント・ウォーベル号の乗客乗員リストに載っていないのはどう説明する?」


 男の眉がぴくりと跳ねる。


「無礼だとは思う。だが、宙賊の罠、ということもある。説明してくれたまえ」


 それに良く良く考えれば――ゼノフォボスで溢れ返る船内という話は荒唐無稽に思える。一匹現れるだけでも稀なことだし、この経験豊富な老船長ですら一度も遭遇したことがない。

 だからこそ定年間近まで生き残っているというべきなのかもしれないが。

 男は悔恨混じりにコンソールへ拳を打ち付ける。


「幾らでも説明してやるから! 先に救助を呼んでくれ! この地獄から出してくれ! 皆を助けてくれ、俺を助けてくれ!」


 喚きながら泣き崩れる男。

 サウスモンスリー号の船員達が只ならぬ様子を察するには十分だった。


「軍に救助を要請しろ。ゼノフォボスが勘違いであるにせよ、助けは必要そうだ……シーザー君、君の船の位置が此方で検知出来ない。船の座標を送って――」


 ブゥン。鈍い音と共に、通信室の電気系統が消えていく。

 赤い鼻水を垂らしながら、男は「え? え?」と狼狽する。

 薄暗く赤色灯が灯る。予備電源への切り替わり。

  生命維持装置以外に回す電源が失われたことを意味していた。


「待って……嘘だ、クソ、待ってくれ!」


 一年以上も座礁した船。

 本当は数日くらいを目途に港へ戻る予定だった船。

 それが、此処にきて電力の限界を迎えたのだ。

 寧ろ、長く持った方だった。

 これより、この船の自家発電分の電力は生命維持装置に使われる。

 通信も、コンソールも使えない。OSを使用しなければ、この船の乗組員でもない男に、座標を知らせる為の信号を送る術はない。

 広大な宇宙の中、自分達の居場所を自分達で知らせない限り、目視や手探りでは無理があることを男は理解していた。

 生存者達の悲鳴が近くに聞こえる。彼を此処に送り込む為に名乗りを上げた勇者達の怨嗟の雄叫びが。何かを砕く音と、くちゃくちゃという咀嚼音でかき消されていく。


「……詰んだ? 詰んだ、のか? 嘘、嘘だ……此処まで、来て?」


 力無く笑い、その場に崩れ落ちる。死体の虚ろな目と目が合う。

 もう一度、腹を抑える。出血が止まる気配がないことに対し、男はぼんやりと「そうだった」と呟く。


 男の身体に深々と槍の穂先のようなトゲが刺さっていた。

 その根元についた緑色の嚢が脈打ち、何かを注入し続けている。

 バッグから医療キットを取り出す。ハサミでスーツを切り裂いて、患部の周辺を見えやすくする。

 腹部の傷穴は――ドス黒く変色している。


「ああ、ホント、マジでクソだ……食らってるのは判ってたけど……毒針か……」


 即座に抜くべきだった。

 でも傷口を確認するような余裕はなかった。

 男はぼんやりと後悔しながら、トゲを引き抜く。刺さった周辺の肉と臓器を溶けている為、それは力無く抜ける。よく見てみると、嚢は内容物を全て吐き出して萎みきっていた。手元に針と糸を持っていた男は、トゲと一緒に地面に投げ捨てた。


「ちゃんと確認しとけば……いや、どっちみち食らった時点でアウトだったか……」


 全身にゆっくりと痺れが走る。急に大きく強直した後、男の身体はコントロールを失って倒れ込む。

 夥しい血のプールが地面に、そして凭れ掛かっていた壁に痕跡を残す。


(仮にすぐ船が見付かっても。どの道、助かんねぇだろうな、コレ……)


 男はそう悲観しながら、へらへらと笑う。


 コ、コ、コ。


 喉を鳴らす音。

 男の掠れた視界に、巨大な影が急に現れる。


「はは……お前等の、勝ちだよ」


 男は優しく微笑んだ。


「おめでとう。船の中でお前等を殺し回っていた人間が死ぬ。人類の天敵だったお前等の天敵が、一匹この宇宙からいなくなる」


 でも、俺なんて本当は大したものじゃない。やがて現れるだろう第二第三の俺に震えていればいいさ。

 男は上の空でそのような事を口にするが、きちんとした言葉にはなっていなかったかもしれない。


 コ、コ、コ。


 影は何事か呟く男の台詞を聞き取ろうとしたのか、顔を覗き込んだ。


 ――男が手に持つ刃が光り輝く。


 再起した男が影を貫こうとした所で、ぴたりと手を止めた。


「……血の匂いがしない? くそ……“アレ”とは別の奴か……」


 殺気を萎ませ、男が脱力する。


「一匹でも多く、道連れにしてやれると思ったのに……」


 コ、コ、コ?


 影は首を傾げる。力を失った手が地面に落ちる。

 男はもう遠くに行ってしまっていた。

 影は男の顔にふんふんと鼻息を掛けた後、にちゃっと邪悪に微笑んだ。


「おいしそう」

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