共演
押田桧凪
第1話
寂しくなったら泣きながら「おかーさーん、おかーさーん」って、生得的な行動であるかのように、無意識で聞こえよがしに父に言う。そしたら、いつも「お母さんは蝶になったとよ」「アサギマダラっていうちょうちょばい」とだけ言って、お父さんは黙りこくった。その答えを聞いて、意味も分からず俺はコロコロ笑った。
お母さんが「ちょうちょ」であることを俺は七歳ぐらいまで本気で信じていた。家の本棚にあった唯一の絵本が『はらぺこあおむし』だったからお母さんもサンタクロースとかそういう類なんだろうと思っていたからだ。きっと、父はばつの悪い思いをしていた筈だ。そして、俺は「おかーさーん、おかーさーん」と面白半分にわざと繰り返すことで父に内省を促していただろう自分の愚かさを今になって恥ずかしく思う。
引きずるような足音と気配があって、クロッキー帳の落書きを隠す。はずみで鉛筆が机の上に転がった。
「高校生にもなって、まだ絵描いとうと? 来年から受験生やろうもん」
リビングで勉強をする、という決まりは無かったが気づけば趣味の時間も落ち着くここで過ごすようになったのはいつからか。無言でいきなり入って来たかと思うと、そんな言葉をぶつけてくる父にむっとする。「うるさい、勝手に見らんで」と言うことができたら反抗期上等だろうか。一丁前の口をきくようになったな、と陰で息子として誇らしく思われるだろうか。大学に行け、と最初に告げたのはお父さんだったのに。へんに夢を背負わされたような気がして、俺は到底勉強の気分ではなかった。
再来週には三者面談がある。「一年生の時は芸工大もしくは専門学校志望だったようですが、変えたみたいですね」などと先生がいらんことを言えばたちまち「んあ?」と父が機嫌を損ねるのは目に見えている。「そこんところ、お願いします」と第一志望である大学の芸術コース専攻を伏せるよう担任に言い添えていた。
「……まっ、いいたい。今度返される模試の結果見れば焦るくさ」と不満げな顔をしながらも、独り勝ち誇ったようにそう言い残し、また自室に戻って行った。高校受験の時は通学圏内ならどこでもよか、なんて言ったくせにいつの間に教育パパになったのかと思う。小学生の時だって書写や図画展で賞状を持って帰ってきても俺に見向きもしなかった父がどうして、俺を大学に。
もう一つ、気になることがあった。中学から「美術部には入らせんけん」と言われ、なくなく高校でも科学部(という名前だけを借りた)部活帰り、スーパーの近くで友達の母親に会った。誰だったっけな、一方的に知られているだけのそんな関係性で。ぎこちない笑みを浮かべながら会釈する。
「あら、タイスケ?くんじゃない?」
小学生の時にそいつの家に上がった記憶があって、そうなるともっと昔すぎて覚えてない。あ、おしゃべり好きの光斗のお母さんだ。
「前、お父さんが献血カーに乗り込むの見たわよ。えらいわねぇ」「え」「そういう血って感じするわよね、正義感が強いっていうか。まああんなことがあったとはいえ……やっぱり、うん。それにお父さん、泉高専の電子情報工学科ってとこでしょ? なんでもその時からライダーもののベルトを作りたいとか言ってたそうでね、あっでもその学科は今年廃止になるそうだけど……」
俺の知らない情報が矢継ぎ早に出てきて、混乱する。遠くの夕陽がまぶしくて目を細めながら、体温が上がる。頭がぼうっとしてくると、あ、これ言わない方がいいんだっけ? やだ、まだご飯炊いてなかったからここで、なんていきなりお茶を濁して光斗母は去っていった。情報通のママってどこもこんな感じなのだろうか。親同士が保護者会で顔見知りの関係だとはいえ、プライベートを詮索されるのはあまり良い気分ではなかった。
それにしても。お父さんが高専卒だった。気にしたことも無かったが、高校受験の時に家から一番近い高専の名前だけは候補に挙げなかったことに合点がいく。たぶん、父は意図的にその選択肢を排除していた。俺と同じ道は歩ませたくない、とでも言うように。
検索してたどり着いた高専の公式ホームページを見ると、どうやら今月末に文化祭があるらしい。お父さんの高校時代はどうでもいい、でも見過ごすことはできない。一応ブックマークに登録する。それにお父さんが、献血? あのいかにも不健康でがりがりの体躯になり果てた口だけお父さんが、まずその基準を満たしていたとは俺には考えられなかった。いや、訂正。もっと根本的なことを言うなら、父は出血を避けている。
俺は録画された仮面ライダーを見て育った。それは大抵の幼少期にあることで、いわゆるプリキュア的存在で、ヒーローだった。お父さんはそのスタントマン──「スーツアクター」という仕事をしていた。でもそれを直接的にひけらかすように誰かに言ったことは一回も無かったし、第一「あの中身がおればい」なんて言われても、子どもの時の俺は何だかむずがゆいような、信じる気にもなれないような、信じたくないような、「なりたいもの」が壊されていくような、父を嫌うようなそんな気持ちだった。だから、そのせいで一番遠い存在を常に意識してテレビを見る癖が付いた。次元が違うんだって、会えないんだって。じゃないと、現実がテレビに絡めとられてしまうから。
ある日、ニュースで『フォレスト』の撮影中に事故が起こり、撮影が中断した回があることが暴露された。だけどそれがお父さんが出演した回であることと、急に仕事を辞めてラーメン屋を始めた時期と重なったことを偶然だと、俺は受け止めるよう努めていた。
『らぁめん屋 関ヶ原』。小さなラーメン屋だ。店内にゴキブリが出ても、幸い(?)ネットに晒したりレビューで低評価を付ける人とは無縁の、「ここが潰れて食べれなくなる方が嫌だ」と思っている客に囲まれた場所だ。「地元の味を食べたいって思っとう人がたくさんおるけん」と、お父さんは笑っていた。だから、そういう気持ちで始めた店だって思うことにした。仕事を辞めたのは事件なんかと無関係だって。
その事故映像を、俺は見たことがある。タップ、スワイプ、タップ。また戻ってタップと何度も再生した。もうその頃には高学年になり、仮面ライダー離れしたこともあって、父(の仕事)への興味も薄れていたが、ショート動画で流れてきたそれは機械的にスクロールしていた指を止めるくらいには衝撃だった。
ドラム缶や廃材、鉄骨の束が散らばった撮影現場、コンクリートに流れる血は赤い。スーツ着脱後なら顔に付いた血液の描写として分かるが、それが地面に流れていて不可解な方向にねじれた身体がある時点でもうおかしくて、倒れて突っ伏している(ような演技の)変身後の『フォレスト』がいる。本来ならここで、お決まりのフォレスト・ブーストキックを繰り出す流れになっているのに、その「ボツ」に近い映像の乱れ具合と騒然としたSEじゃない方の怒声が飛び交う現場が長尺で映されることに、違和感を覚える。流出だ。
面白がって、舞台裏の誰かがアップしたであろうその動画は後に「本当の事故」として処理され、炎上した。だからニュースになった。しかも炎上したくせに、三ヶ月後のオンエアでしっかり流れた。日曜日の朝に子供が見る血の量なんて最小限でいい。それでも、本物の血がオンエアされたのは馬鹿らしかった。SNSの投稿で見掛ける『#もう二度と撮れない画像を貼れ』に仮体される何かのように、インターネットの燃料にされたのなら、お父さんは声を上げるべきだった。
それを父の末路と呼ぶのなら、俺は全力で否定したい。東京に来て「お城納豆食べれんとか」ってがっかりしてた父も、当時「えきすとら」で出演していた母と出会い「けっこん」した父も、蝶になった母も、怪我した父も、蝶になった母を追いかける父も、俺は本物だと思っているから。
食事の時はいっとき、へんな箸使いで、筑前煮の角ばったにんじんを落としたり持ち上げたりしていたのも、じつは骨折していて、ただの挫折だと言い張っていたのも嘘で、室内で帽子を被っていたのも、店に立つ時はバンダナだったのもその下の頭は包帯で巻いていて、ずっと傷口が塞がれてないままだったんじゃないかって。そう思うと、俺は途端に虚しくなる。
俺にとってお父さんは絶対だ。背格好だけ見れば誰とも区別のつかない世界で闘って、勝ち、自慢したくても、できない。友達にお父さんがフォレストだって言っても、信じてもらえない。そんな父の存在を抱えておくことが苦しかった。俺がなりたい父は、近づきたい父は創作の側だったと気づく羽目になるから。
一度だけ父に問い詰めたことがある。
「そんなんでいいと? お金は? 本当は出るはずだったのに出番が無くなった仕事は?」
「でも、番組を守った」
しばしの沈黙。この怒りが果たして正しくて、父本人にぶつけることが正解なのかは俺は分からない。
「は? じゃあ俺のことはどうでもいいと?」
唾を飲み込みながら慎重に尋ねる。けして勢いだけで、本気で訊いた訳じゃなかった。信じたくないが、嫌っていたい父親を嫌いになれずにいる自分を試した。息子役を利用した立ち回り方をする、そんな自分が嫌いだった。次に、黙っとってと言われれば俺の負けだ。
「これも運だって、思うことにした」と咳を一つ挟んで、お父さんは呟いた。諦めた、とは言わなかった。ヒーローはけして諦めない存在だからだ。
よく言うよ、車のナンバープレートまで『
その日から、父は父自身と俺から「血」を遠ざけるようになった。それは、よくある親のあんしんフィルタリング設定をするグロテスクとかR18的な意味だけじゃなくて、ありとあらゆる血を、だ。
港近くの市場で開催されるマグロの解体ショーに毎年一緒に行っていたがそれも無くなかったし、パンに塗るジャムのいちごはNGだし(ブルーベリーはセーフ。でも生のブルーベリーを潰した物体は見ため的にダメ。すいかの汁もダメ)、赤鉛筆で塾のやり直しをさせなくなったし(青か緑のシートで消えるオレンジ)、生肉を買って調理することも避けていた。当然、ホラー映画系はあれから見せてくれなくなった。ディストピア漫才でもやってんのか、っていうレベルで父の症状は悪化していって、最終的には軽い鬱になっていたと俺は思う。
献血は正しい。でも誰かにあげるための血じゃなくって(勿論それは誰かを救うってことは分かってるしヒーローの信条にそぐうことも分かってるけど)、ヒーローだったお父さんを返せよ。もしくは人が死なないミステリをやれよ。そう思った。
それから、俺は血を作るようになった。それは半ば反動のようなもので、本能で、至ってシンプルな理由からだ。マリーアントワネット的発想でいうところの、血を見れないなら自分で作ればいいじゃない、という訳だ。
参考資料はお父さんの流出映像(血だけにってか、というコメントにバッドを押した動画を皮肉にも見て)。それの鮮血が迸るシーンだけを切り取って、編集。【キル集】と名付けたマイフォルダに登録。勿論それはゲームのプレイ動画ではなく、過去のドラマの出血シーンを集めた俺専用のデータベースだ。そこから情報を抽出。どんな絵の具、調味料、葉っぱ(シャリンバイの樹皮なんかの植物性染料)、虫(カイガラムシの雌から取るコチニールてきな動物性染料)、薬品、水(例えばカルピスの黄金比を見つけ出すような作業)を混ぜれば、血みたいな赤を再現できるのか。
染色母体は赤、黄、橙に用いるアゾ染料、ちょっと青みがかって見せたい鬱血感をアントラキノン、肝臓撃たれた黒みを金属錯塩染料といった感じで。それから粒子の大きさ、表面状態、密度、色相、隠蔽力、着色力……。「染料の種類を調べる」という名目で科学部の顧問にお願いし、メーカーから試薬を取り寄せた。
粉末状の試薬を電子天秤で量り、純水とともにビーカーに入れて攪拌。マイクロピペットで滴下量を変えて、マンセル表色系に対応する様々な赤を作る。パッチテストとして人工皮膚への固着も確かめた。
今年の文化祭の出し物で、隣のクラスがお化け屋敷をやるってなった時には自由研究(それはどれも「染料・顔料」を作る工程を評価されたもの)で優秀賞を毎年獲っていた俺に「血糊」の依頼が来たこともあった。新聞紙やダンボールに血しぶきや手形を取って壁に飾る。それが本物すぎるからダメ、と言われたら萎えるなぁと感じ断ろうと思ったが、逆にそれがウケた。嬉しかった。初めて、俺は人に認められた気がした。ねぇ、お父さん。俺って才能がある気がする。芸術系に進みたい気がする。そう思った。すげえな、泰輔。そんな言葉が欲しかった。
自分の力を試したくて、血でお金が稼げないかなぁって俺が考えていた時に見つけたのが『闇オークションサイト』、通称『ヤミオク』だった。以前、俺の地元にあったドームを思い出すような名前だ。
サイト内ではお金で落札する商品もあれば、トレードといって交渉に持ち込めば物々交換形式も認めているらしく、いかにも「闇」と謳っておきながら懸けてるものの薄さを俺は感じた。俺が出品したいのは、限りなく本物に近いドラマの撮影で使えるレベルの血だ。水に落ちない鉄臭い濁りのある血。500 mL単位で出品するとして、名前は……『アンウォッシャブル・ブラッド』なんてのはどうだろう。ちょっと中二っぽいか?
それを懸けるんだから、もっと交換不能な何かが俺は欲しい。もう奪われ果てた後のすっからかんな人生みたいな、懸けたもの勝ちになるくらいの。対して、サイト上に出品されている物といえば、ハッピーターンの粉(ヤミツキになる魔法の粉!)、太陽を向くことができないように固定した放置ヒマワリ、皇室献上用イチゴ(廃棄前)、トカゲの人工尻尾、冷凍マンモス A5ランク300 kg(加熱処理済)……といったどこに需要があるか分からない物で溢れ返っている。
と、次の瞬間に目に入ったのは、紛れもない日野から島野へ旧姓に戻ったお母さんだった。信じられなくて目を疑う。でも、見間違いじゃなかった。出品情報に載っている画像の、翅に記された標識コード【HIN1223】はお母さんの誕生日だった。経由地も恐らく正しい。現生種が手に入る、それはつまりヤミオクだから可能なことだ。
『オカアサン(島野朱子、アサギマダラ ♂ )(宮崎→福岡→韓国) 出品ステータス:入札可20万円〜(即決100万)、トレード不可』
──アサギマダラはね、旅をするちょうちょなんよ。やけん、おれらが次見るのはいつになるやろうねぇ、旅から帰ってこん限りは見られんやろうけんねぇ。蜜を吸いに集まるオスと違ってそりゃもうお母さんを見つけるのは大変ばい。
いつかのお父さんの言葉が蘇る。なんだ、あるじゃんいいの。というか本命。というか命。というか奇跡。となれば欲しい、手に入れるしかない。俺の「血」に見合うかは分からない。写真のその翅の下半分は何とも赤黒い血に塗れたうつくしいからだを思わせる妖艶な見た目で、まさにお父さんの求めていた白い蝶に違いなくて、お父さんだってきっと欲しがる筈だった。これは、絶対に説得するしかない。俺が出品することを認めさせるしかない。お金を稼げる力を秘めた血を作ったんだって。どうやって?
本物(みたいな)の血で殺された遺体役になって、帰ってきたお父さんを驚かせる。後頭部を激しく打って地面に突っ伏した、事故現場を再現するんだ。どうだろう? うん。勿論、モデルはお父さん。決まったね、俺にとってハロウィンだけが祝祭だ。決行は、来週の入札締切日と奇しくも同じ10月31日。これが俺なりの、父への反抗だ。
YouTuberがやろうものならそれはそれは、陳腐な企画だ。最悪、父に勘当されるかもしれない。でも俺は不謹慎さと引き換えに『仮面フォレスト』としてあっけなく散ったお父さんの表裏一体さが嫌いで嫌いでたまらない気持ちを捨て去りたいっていう願望があって、それならお父さんの宿敵役にならなってもいいなと思った。バイキンにだって手を差し伸べるヒーローがいるのなら、血で染まった
血を出して死ねないのなら、死なないための倒れている仮装をするんだ。自室とはいえ部屋を血で汚して撒き散らし(水溶性なんてショボいからとびっきり落ちにくいやつで)たのは申し訳ないが、臭いもガチで鉄臭くて、粘りついてイイ感じなのは間違いなかった。
決行当日の夜がやって来た。先週の水曜にテレビでやっていた「ゾンビ映画の見過ぎで無駄に止血法に詳しい人が、出血している人を見たら服を引きちぎってでも助けようとする説」の検証VTRを不意に思い出す。そうだ、俺はアンパンマンのおこぼれを貰うような存在で、そんな風にお父さんに接してもらいたかった側の人間だった。せめてベランダでやればいいものを、室内でやろうとする時点で怒られるに決まっているのだ。節分だってしたことの無い家だった。
ガチャッ
ただいまあ。こんこんっ、とお父さんが靴を脱いで揃える。自動消灯の玄関の明かりをつける。消す前に消える。居間に続く廊下でおかえり、と返事が無ければ「おい」といつものようにノック無しで俺の部屋を開ける。
一瞥する、いや、二度見か(目を微かに開けて反応を窺う)。今日はさすがに、血液ブシャーの姿で倒れてるんだもんな。机にも向かわずに。
「おい」
震える声があった。おかえりを言えの「おい」か怒りの方か。どっちの「おい」だろう。いや、当然後者に決まってる。俺はああ、やっちまったと思った。やっぱりお父さんには相応しくない仮装だった。もう当分、いや一生お菓子なんて貰えない人生かもしれない。ヤミオクで(合法?な)カラフルなお菓子をかき集めるか、SNSのキャンペーンで今後1年分のお菓子を当てない限りは報われない人生だった。トリックオアトリートなんて言える訳が無く、合わせる顔も無い。子供だ。この歳になってまで親の気を引こうとする俺は、本当にガキみたいだ。
「……派手にやったな、こりゃ」
なぜか、俺を
(え、怒ってないと? これだけの事しといて?)ってどの立場からか分からない感想が不意に浮かんだ。
表情が上手く読み取れない。でも、もしそうなら笑っていたらいいなと思う。
「そんな事もあろうかとバレんごと俺が脱色剤塗っとるから心配せんどき」
「エッ」
驚きと同時にああ、俺に張り合うように「俺」という一人称を使い、自分のことを「お父さん」とは言わないひとだったから(単に役に入りこんで抜け出せていないのかもしれないが)、世話を焼いてくれることを親としての責務とイコールで結びつけられていなかったのだと気づく。
「そのうち、いつか壁までキャンバスにしだすやろうって思っとったわ。ここはラスコーか? って具合で。下塗りの白が
もしかしたら、お父さんは俺が
「その……なんだ。赤いラーメンってのは作れんとか? 激辛メニューとかどうだ」
それから発した、不器用な「父」としての歩み寄り方があまりにも思春期・青年期の息子への接し方の典型で、俺は頬が緩む。謝るタイミングを逃す。だけど、どうしたって、それは笑ってしまう。ずるいな。なんで、このタイミングでこの状況でそんな必殺技を繰り出すのだろう。ヒーローじゃあるまいし。それって、俺のこと才能の無駄遣いするくらいやったらアイデア次第で店に貢献できるやろって思ってくれたんかな。それって、俺を褒めてくれてくれとうんかな。じゃあ、もう言っていいんかな全部。
「おとうさーん、ヤミオクってしっとう?」
「ん、ああ」
「あ、しっとるん。それでアサギマダラが出品されとうとよ」
「うん、俺もみたばい」
「え。なん、で」
「んーそれはしらんっちゃけど同じWi-Fi使いよるけん表示されるんやない」
「そんなことあるんやか……、で、おれそれ取り返したいっちゃん」
「うん、俺も」
「え、お父さんもなん」
「そりゃあな」
「でさぁー」
「うん、俺も今日競り落としたしな」
「えなにを」
「俺の変身ベルト。俺がサイン書いたやつ転売されとった」
「え、つら」
「うん、つらいわ。でも取り返せた」
「良かったやん」
「うん、良かったわ」
顔に塗りたくった血が涙で滲んだ気がした。我慢の糸も急に緩んだ気がして、途端に数倍以上さびた鉄臭く感じて、顔を顰める。滲まない成分の筈の貫通した、じんじんと火照った頬から実感するそれは血よりも深い感情かもしれなかった。
今日、俺はなんかお父さんと久しぶりにまともに会話している気がして、それはそうなんだけど、「ヤミオクが引き合わせた縁やね」って言いたかった気がした。でも、「ヤミオクじゃなくてヤフオクドームの方は買われてか知らんけど、みずほPayPayドームっていう名前になったけどな」ってどうでもいいことをお父さんは返してきそうで、だから俺は言うのをやめた。
ねぇ、お母さん。もうここに居ないお母さん。僕、頑張ったんだよね。お父さんを振り向かせたくてさ。お父さんの背中を越えたくて、血を作ったんだよね。褒めてくれるよね? 自慢の息子になれるかな。なれなくてもいいし、そうは望んでないけど。僕はね、お父さんじゃない、ヒーローとしての男が好きだっただけで、役としてのお父さんは別に好きじゃなかったんだよね。
あぁ恥ずかしいな、お母さんの前でだけ「僕」、お父さんの前で「俺」をこんなにも無意識に、だけど自覚的に使い分けられる自分が恥ずかしい。お母さんの前でなら甘えられる気がして、そんなあなたにもう一度会うために。俺は、何をしようとしている? 血を出品したくて、父の承認を得たくて。、母を手に入れたくてでも、そんなのはどこにも売ってなくて。
いつも俺は正解を遠ざけて、たぶん父親っていうもの自体も遠ざけていた。本当はお父さんだって美術に詳しくて、だからやっぱり高専然り同じ道は歩ませたくなくて、血と一緒に俺から遠ざけようとしていたのかもしれなかった。でもこの人は、ただのヒーローだし、まっいいかって思った。だから、お母さんを早く取り返そうね。二人で。俺たちなら絶対うまくやれるよね。俺は
共演 押田桧凪 @proof
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