第7話 革命勃発

 勇暦790年7月14日。この日を歴史は『一つの転換点』と表す。


 始まりは、ガロア王国の首都フォレト・ド・ブルボンの郊外にて起きたデモ行進と暴動だった。


「パンと平和を!自由と権利を!」


「貴族を許すな!国家を我らに!」


 何千、何万という群衆が列を成して大通りを練り歩き、大声を街中に響かせる。建物の窓からは行進に加わらなかった者達が潜む様に見つめ、行進の向かう先を案ずる。


 ガロア王国の首都にてこの様な事が起きるまでには、150年も前から歴史を振り返らなければならない。時の国王ルイ3世は海峡を隣り合う国ブリタニアとの覇権争いに明け暮れており、世界のあらゆる富と珍しい産物を追い求め、植民地獲得戦争を続けていた。


 召喚者のもたらす技術と概念によって造船と航海に技術革新が起きた勇暦700年以降は、その動きは加速していた。南にある古き大陸に幾つもの植民都市を立て、新大陸にて金や新たな嗜好物を大量に獲得し、そしてアジリピア大陸の東に広がる未知の世界へと足を踏み入れた。世界そのものを囲む様に植民地を得た結果、ガロアは『日の沈む事の無い国』と名乗るに至ったのである。


 だが、そういった広大な領土と豊かな富は無償で得られたものではなかった。むしろそれらを手にするまでに莫大な浪費を行ってきたのだ。例えば国家予算は、年間で金貨10億枚。うち4億枚を軍隊と植民地の維持に費やしている。そしてその10億枚の金貨を確保するのに、莫大な規模の税金を平民や小作人に課していた。


 平民に課せられた負担は税金だけではない。対外戦争にてガロア軍は大規模な徴兵を行い、多くの働き手を兵士として引き抜いていた。法定で4年、最長で10年にも及ぶ軍役の果てに、多くは若さを訓練と戦争で搾り取られて帰郷し、時には手足や五感のどれかを失って退役させられる者達に労働者としての能力は残されておらず、彼らの後先短い余生を守るための苦労がのしかかる事となった。


 故に、当初は国王へ直々に減税と戦費拡大の中止を求める目的で行進を始めることとしたし、事前に議会である三部会エタの議員を介して政府へ律儀に、穏便に自分達の主張を表すとしていた。平和を求めるための運動が流血沙汰になるのは本末転倒もいいところだったからだ。


 だが、郊外にある教会を巡りながら集会を開く度に規模は増え、そして行進を成す者達も変わっていった。ただの市民の比率は下がっていき、銃を手にした煌びやかな制服の者達と、平民のものにしては小奇麗な衣装をまとった男女の集団に変わっていた。その男女の集団も、白い肌に蒼い目、そして個人差を感じさせない顔立ちばかり。


 政府と軍の上層部が異変に気付いた時には、群衆は高い統率の取れた軍隊となって宮殿を取り囲んでいた。窓から集団の構成を見下ろした将軍の一人は叫んだ。


「何故、第1歩兵師団の兵士までもが加わっている…!?」


 後に『ブルボン城の戦い』と評される事件は、わずか1時間の銃撃戦であったが、その衝撃は余りにも大きすぎた。宮殿を守るのは若い貴族からなる近衛兵であり、華美な装飾の施されたボルトアクション式小銃とサーベルで武装していた。また市街地の治安維持を主目的としていたために、砲兵の代わりに攻撃魔導師が『魔導擲弾兵マジック・グレナティア』として配備されていた。


 対する反乱者側は、この時代には似つかわしくないアサルトライフルと携帯式無反動砲で武装していた。フランス陸軍のFA-MASファマスに似たブルパップ式のアサルトライフルに、バズーカ砲に似た携帯式無反動砲といった重武装で乗り込んだ彼らは、圧倒的火力で近衛兵を蹴散らし、宮殿内部へと足を踏み入る。突然の強襲に対して宮廷貴族の大半は抵抗する間もなく取り押さえられ、時にはその場で処刑された。


「何事か?卿らは一体何を求めて、この厳粛なる場に身を現した」


 執務室にて、国王ルイは侵入者に対して毅然とした態度で尋ねる。それに対する彼らの解答は極めて単純にして明快だった。


「我らが求めるのは、真なる意味でのガロア国民の指導者です。我らに身分のみで選ばれた主は不要なのです」


 『神聖国民議会』を称する政治グループの手腕は鮮やかだった。ガロアの主要な産業に関わる下級貴族や商人、そしてブルジョワジーと称される資本家。果てには創世教の中でも経典に記された原理への回帰に拘る福音派の聖職者の面々で構成される者達は、身分によって守られる利権を貪るだけの大貴族や、教会への奉仕を建前にして利権に与る聖職者を敵視していた。


 故に、明白な敵を確実に追い込み、始末する算段は整っていた。軍の大半は政府を見限って反乱を起こすことに賛同しており、軍事施設や行政府、大聖堂といった施設にて蜂起に至った者達は、国王以下ガロア国内に身を置いていた宮廷貴族の多くを捕縛。地方でも同様に利権で生きる者達を捕縛し、或いは処刑してきた。


 彼らが『浄化闘争』と称した貴族と高位の聖職者の粛清は6日間行われた。神聖国民議会は『民はすべからく平等であり、己の欲するものを求める権利は神によって等しく分け与えられた』と経典に記された内容を根拠として身分による格差是正の正当性を主張した。


 この知らせは現地で包囲され、保護の名目で身柄を抑えられた駐箚ちゅうさつ大使を経由してイルピア地域の国々に伝えられた。その知らせに対する反応は国によって様々だった。


 一番反応が大きかったのはアウスタリア帝国だった。この国は貴族が政治と軍事の支配者であり、金で爵位と家名と所領を買える豪商が経済の支配者である身分社会の手本であり、何よりルイ国王の王妃マリーは実質的な元首であるマリア・フォン・アウスタリアの娘であった。彼女の身の安堵を心配する以上に、上層部は君主制を全面的に否定する神聖国民議会の方針を強く警戒した。


 次いで、創世教の総本山を抱えるサルディニア王国は公然と非難した。ガロアにて聖職者としての職務を忠実に果たしていた枢機卿を問答無用で処刑し、総本山の教義や解釈を真っ向から否定してきたのである。教皇は『異端の暴挙だ』とガロアの福音派を非難し、創世教を国教とする国々に連帯を呼び掛けた。


 そして神聖ゴーティア帝国は、当初は無言を通したが、『浄化闘争』が終わった頃になって外交交渉を開始した。ずっと先に生まれる筈の概念を持ち込んでくる召喚者とその子孫を多く抱えるゴーティアは、ガロア社会が抱えてきた問題とは縁遠い状況にあり、神聖国民議会が成そうとしている特権身分の解体と聖職者の腐敗撲滅を既になし得ていたからだ。またプロジアの動向とイルフィランドの民族浄化に対して警戒を解けなかったのも大きかった。


 ヒト族主体の国家が神聖国民議会率いるガロアを警戒する最中、魔族と亜人族を主体とする国々の反応は冷ややかだった。個人としての能力が高い魔族と亜人族の社会は実力によって身分が変わると捉える実力主義社会であり、近代化政策にもその傾向が反映されていた。


 例えばデモニヤ帝国皇帝アレクサンドル・デモニスキー・グリムドゥスクは『神聖国民議会は宮廷貴族や枢機卿の身分にあろうとも、民の苦しみを癒すために行動していた者は許すべき』だと公然と非難しつつも、政府全体としては静観する立場にいた。アジリピア大陸の東半分を制する争いをブリタニアと繰り広げている最中、わざわざ幾つもの国々を挟んだ地に干渉する理由はなかったからだ。


 ブリタニア連合王国と、その隣に位置するケルティア王国も同様だった。この2カ国は100年前の内戦と政争を経て立憲君主制に移行しており、平時は国民に政治主権がある状態だったからだ。共に平民の不満を理解せぬ王の命は儚く短いことを理解していた。


 そして最後にプロジア王国は、政府の公式見解としてはガロア王家の身の安全を求めつつも、神聖国民議会に対する干渉は行わないとした。確かに王族は深い交流を有していたが、ゴーティアが神聖国民議会と協調しようとしている動きを見せる中で敵対的な行動を取る訳にはいかなかった。時の外交官や外務省高官はこの時の状況を振り返る。


「神聖国民議会は、ともかく共和制国家の樹立に全力だった。しかも革命の主体となったのは軍部であり、イルフィランドとの緊張状態においてガロアを敵に回すのだけは避けねばならなかった。軍統帥本部を掌握した将軍達は、各地の植民地から義勇軍を動員する権力を手にしていたからだ」


・・・


 勇暦790年7月22日。夏の中盤に入っているプロジア王国中部の都市フレスベルグには、雨が降り注いでいた。


 プロジア王国の首都であるこの都市は、ゴーティアの言葉で『川の町』と意味する様に、複数の河川に挟まれた複数の中州を開発して築き上げられた都市である。勇暦701年の建国宣言にて首都として定められた後、20年かけて行われた開発事業により、小川の多くは埋め立てられるか暗渠とされ、大きな川は河岸工事で整備した後に橋で跨がれている。


 その中央部にある中州の西半分を占める森は近代的開発事業以前より存在する地域であり、ティーアバルト獣の森の通称で知られていた。それを取り囲む様に各国の駐箚大使館が設置され、ティーアバルトの北部に位置する王宮フレスベルグ宮殿と、北東部に位置する宰相官邸は効率よく国々の大使と外交的なやり取りを成す事が出来た。


 その大使館が密集する地区にあるガロア王国大使館では、一人の少女が部屋の中で静かに椅子に背もたれていた。銀色に輝く髪を腰元まで伸ばし、薄い青を基調としたドレスをまとうその少女は、薄暗い部屋の中で沈黙を続けている。


「お嬢様、来客でございます。お嬢様にとって見知った顔でございます」


 ドアをノックする音と共に声が聞こえ、そしてドアが開かれる。そして一人の青年が入ってきた。少女は赤く腫らした頬を拭いつつ、静かに顔を向ける。


「久方ぶりですね、エリザベート殿。母国でのことはお聞きしております」


 ラインハルトはそう言いながら、制帽を脇に抱えつつ近寄る。少女、エリザベート・ド・アウスタリア・ブルボンは国王ルイ・ド・アンリ・カペー・ブルボンの長女で、今年で15歳を数える。彼女は見聞を広げる目的でプロジアに留学しており、その期間中はここ大使館を寝食の場としていた。そして母国での両親と親族に降りかかった受難を耳にして以降は、一人この部屋で顔を腫らすばかりだと、ラインハルトは聞き及んでいた。


「政府は神聖国民議会に対し、国王一家の身の安全を証明する様に求めました。国王派や穏健派の抵抗もある以上は大丈夫でしょうが…今はその身を傷つけぬ様にお願いします。ただ心をすり減らすのみの娘の姿など、ルイ国王陛下は一番望んでいないことですから」


「…ラインハルトさま。こうして気をおかけに来て下さり、感謝いたします。ですが、私はただこうして一人、虚しい時を過ごすのみなのです。どうかそのまま触れずにいてくれませんか…?」


 俯きながら呟く彼女に対し、ラインハルトはただ表情を強張らせるのみだった。小さく礼をして部屋を離れ、扉が閉められた後に小さく呟く。


「…神よ、貴方は我々に如何なる運命を望むのですか?」


 この13日後、ガロア神聖国民議会は『共和国最高評議会』を政府として設置し、王制を廃止。神の名の下に身分の平等を達成する共和制国家『サント・ガロア神授共和国』の建国を宣言した。同時に首都と定めたルテティアの国王通りにて、国王ルイの裁判と処刑が行われた。勇暦790年8月4日の事である。


 その翌日、8月5日。ガロア共和国最高評議会は神聖なる共和政に対する敵を罰するとして神聖ゴーティア帝国に対し宣戦布告。大衆が一番避けたいと望んでいたものを自ら引き起こしたのである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る