第6話 異変の始まり

 ヒルデガルドが弱り切った身に糧を取り込み、ベッドより上がるだけの余裕を得たのは病室で目を覚まして半日経った頃のこと。彼女はゲトログ郊外にあるプロジア王国陸軍基地の軍病院から陸軍基地司令部の一室に身を移していた。


「お初にお目にかかります。私はプロジア王国王子のラインハルト・ケルギオス・フォン・ヴォルフェンハイム。貴方の第一発見者です」


 応接室にて丁寧に名乗りを上げた、軍服に身をまとう狼人族の青年に対し、ヒルデガルドは瞠目をあらわにする。そして直ちに片膝をつき、跪く形で口を開いた。


「…!こ、これはとんだご無礼を…」


「いえ、そうかしこまらなくても結構です。私はこの形で色々とお伺いに参りました。貴方は一体何者なのか、そしてどの様な理由であの森に倒れていたのか、その経緯を教えていただけませんか?」


 ラインハルトは尋ねる。その後ろには数人の者達の姿もあった。身なりは軍人のそれだが、自身と同年齢らしき青年と少女の他にはゴブリンと思しき男であり、彼の衛兵でない事は確かな様だった。


 ヒルデガルドは席に戻り、息を整えてから語り始める。


「私はヒルデガルド・エウスタキス・ディノドルフ。イルフィランドはスナーユランの町ディノドルフを治めし者グストフ・エウスタキス・ディノドルフの娘です」


 そう名乗りを上げてから、事の仔細を述べ始めた。


 彼女は、イルフィランド南部のスナーユラン地方に居を置いていた地方貴族出身である。二種の霊樹が隣り合う『夫婦樹ペアツリ』が名物である小さな町ディノドルフの町長を務めていた純銀エルフを父に持ち、母は近隣の小さな集落の氏族長を務めるダークエルフだった。


 純銀の様だと例えられる白い肌は父から、よく磨かれた銅の様な赤色が映える栗毛の髪は母から受け継いだものだった。彼女には二種の樹木の木片を組み合わせた護符が与えられた。両親はともに霊樹の下で産まれた純銀エルフであり、ハーフエルフは『出生樹』の木片から護符を作ってもらうのがしきたりだった。特に父方は町の象徴である夫婦樹の下で産まれた由緒正しい家柄であり、その当主が親睦を深めるためとしてダークエルフとの間に子を設けるという決定を批難こそすれど、絶対に反対する者はいなかった。ディノドルフほどスナーユランのダークエルフとの交流で利益を得ている町はなかったからだ。


 優秀な役人だった父からは政治と経済というものを教わり、魔物退治と建国間もないプロジア王国との戦争で覇を馳せた戦士だった母からは狩りと魔法を教わった。時に狩猟に明け暮れ、自然の中で得られた産物を元に宴を開き、神に感謝の言葉を述べながら楽しむ生活。それがずっと続くと信じていた。


 それがまるっきり変わってしまったのは、3週間前の事だった。エルフとして模範になる程の名士だった父はある時、王国政府に召し抱えられた。しかしそれが全ての悲劇の始まりであった。


 ある時、父は反逆のかどを問われ失脚。裁判こそ無事に済んだが、他の側近達に暗殺されたという。どうも、その事件自体は陰惨だが、嫉妬や私怨から起こった政治闘争だったらしい。そしてその政争は今まさに爆発するかの様に起きた惨劇の導火線でしかなかった。


 その悲劇を合図に、イルフィランド政府と王国軍は『大規模特別軍事演習』を実施するという通達を国内外に喧伝した。仮想敵国の侵略に対する迎撃戦略の確認と実施、そして国境地帯に発生した魔物の討伐が目的だとし、此度の演習に対する調査は控える様にと触れ回っていたが、政府と軍が定める『仮想敵国』とは『国境地帯に存在するハーフエルフとダークエルフのコミュニティ』であり、『魔物』とは『純銀エルフ以外のエルフとそれに加担する裏切り者』であった。


「…まるで、民族浄化というものだな」


 ラインハルトの呆れと憐憫が入り混じった呟きに、メルカッツは何とも言えぬ表情を浮かべる。その脳裏にはゴブリンの母がよく語っていた苦難の記憶が浮かんでいた。


 ラインハルトは彼女に尋ねる。その声色には幼年学校学生の色はなく、為政者の後継者としてのものがあった。


「…して、これから如何なされるおつもりか?」


「これから、川向こうに戻るつもりです。今スナーユラン南部では多くのエルフが手を取り合い、抵抗を続けています。それに加わるつもりです」


 ヒルデガルドはきっぱりと言った。その表情には自身の発言に対する迷いというものがまるでなかった。雄大な自然と共に生き、恐ろしき魔物と対峙し続ける道を歩むダークエルフの母から受け継いだのは、赤銅がごとき輝きを放つ髪だけではなかった。


「…」


 ラインハルトは無言を返す。政府の公式記録や情報収集活動で得られた見聞によれば、イルフィランドの人口は凡そ3600万人で、うちハーフエルフやダークエルフだと記録されている者は2割近い700万人。さすがに全滅という事態にはならないだろうが、21年前の戦争ではプロジア王国軍は当時の人口の3パーセントに当たる135万人が兵士として動員され、その2割に当たる27万人が戦死している。その比率を迫害を受けている者達に当てはめれば、すでに100万人もの犠牲が出ていてもおかしくない。それ程までに召喚者がもたらした近代的な軍事兵器は多くの命を奪えるのだ。


「…ヒルデガルドさん。貴方の気持ちは分かりました。ですが、あと二日は待ってくれますでしょうか。私達はイルフィランドが今どうなってきているのか、その仔細を知らないのです。それに傷はまだ十分に癒えたとは言えません。故郷へ戻るにしても、直ぐに無茶な運動はしない方が良いと私は思います」


 ラインハルトの気遣いを込めた言葉に、ヒルデガルドはぎゅっと拳を握りしめる。彼女はこの時点では知る由もなかったが、プロジア側は複数名の越境してきたダークエルフやハーフエルフを保護しており、彼らからも事情を聞いていた。さらにはイルフィランドに親戚を持つ者からも情報提供が始まっており、あの国で何が起きているのか、その詳しい内容が見え始めていた。


「…二日、ですか。承知いたしました。ですが二日経てば私は自ら故郷へ舞い戻ります。あの地では母が戦い続けており、私は何としてでもそれに加わらなければなりません」


「…そうですか。それまでに、私達の方でも決断を下せる様に努力してみます。ですがその前に一つ伝えておきます。現在私達は4000人程度の難民を保護しており、うち1000人を内陸の病院で手厚く治療しております。残る3000人の処遇については、イルフィランドから如何なる声明が下されるか次第となりますが、できる限り彼らの身柄を守る所存です」


「感謝いたします、ラインハルト殿下。どうか我らに霊樹と聖なる者達のご加護があります様に」


 そう言い、ヒルデガルドは護符を両手で握りしめながら祈る。ラインハルト達はただ、静かにそれを見つめるのみだった。


 プロジア王国の行動は早かった。翌日、内務省は極秘裏に軍事支援を行う事を決定。ヒルデガルドは携帯食料とМ64歩兵銃を手に、数名の同胞と共にイルフィランドに舞い戻り、そして抵抗グループに言伝をした。


「将来の捲土重来を期し、我が国へ亡命してほしい」


 それが国王ヴィルヘルムからエルフ達に対する言伝の内容だった。その際プロジア在住の親戚からの手紙も渡され、彼らは未来をプロジアに託すこととしたのである。


・・・


 大陸の何処かにある、一つの部屋。そこで会話が交わされる。


『すでにガロア領内とイルフィランド領内にて量産は開始され、成果を出しつつある。次は大陸の文明を一気に低下させることとしよう』


『このタイミングでイルフィランドが暴挙を始めたことの恩恵は大きい。彼の国とガロアの愚かなる大衆は必ずや、歪に文明を進めたイルピアの愚か者どもに対し、相応の裁きをもたらすだろう』


『故に、その時が訪れるまで我らは影に潜まねばならない。全ては700年前よりこの世界が冒し続けてきた愚行と、我らに苦しみをもたらし続けてきた者達へ復讐を果たすために』


・・・


 勇暦790年7月14日、プロジア王国北西部の都市ムンスター郊外にある王国陸軍西部方面軍司令部にて、国王ヴィルヘルムは会議に参席していた。


「現在、我が国へ亡命を達成しているのは概算で3万名余り。その大半がエルヴィス川上流の魔物生息地域を通過してのものであり、相当な犠牲者が出ているとの事です」


 将校の一人がレジュメを手に報告し、ヴィルヘルムは俯く。すでに首都フレスベルグを含む大都市では、エルフ系プロジア人とエルフを祖先とする者達がデモ行進を始めており、本格的な戦争で彼らを救済するべきだと論じていた。


 だが、軍事において手を抜く事はない彼と言えども、世論の要求に対してすぐに応じることは出来なかった。同時期に神聖ゴーティア帝国が国境線沿いにて軍事演習を始めており、無言の牽制を仕掛けてきたのである。如何に精強を誇るプロジア陸軍と言えども二方面と長期間戦争をする訳にもいかず、難しい選択を迫られていた。


「現在、西部方面軍は第1軍団を優先的に充足体制へ移行させ、警戒を強めております。しかし、ガロアが微妙に面倒な時期にこれですか…」


「そう文句を漏らしても詮無き事だ。とにかく今はイルフィランドとの避けられぬだろう衝突に備えるのみだ。西部方面軍は全ての部隊を完全充足体制に移行させ、他の方面軍からも援軍を派遣する準備を整える。今我らにできることはこれだけだ」


 ヴィルヘルム王の言葉に、その場に控える一同は頷く。そして次の議題へと移ろうとしたその時、一人の官僚が血相を変えて会議室に入ってきた。


「会議の最中、失礼致します!至急、皆様のお耳に入れておきたい事が起こりました…!」


「卿は、外務省の…何事か?イルフィランドが文句でも言いに来たのか?」


「いえ、それよりも非常に拙い事態でございます…ガロア首都にて、民衆が武装蜂起を始めました…!」

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