Melt Sweets

 カランコロンと音が鳴り、青いドアがゆっくりと開く。食器洗いの手を止めて、手を吹きながらお客様のところへと向かった。

「いらっしゃいませお客様。」

「……ここは?」

「ただの飯処ですよ。ここに来たということは、お腹が空いておられるのでは?」

「うぅん、別にそこまでだけど、折角だし何か食べようかな。」

 十代後半から二十代の女性が席に着いた。

「ここはお客様第一ですので、今お客様が召し上がりたいものを提供させていただいております。」

「そうなんですね?………でも、今ダイエット中だから軽いもので低カロリーの物を。」

「畏まりました。

 お時間はどうでしょうか?お急ぎですか?」

「……そうですね、ちょっと急ぎで……」

「畏まりました。」



 厨房で準備をするシェフには一瞥もせず、女性はスマホを弄る。女性は熱心に画面を見つめ、時折何かを呟いている。

「お客様は先程からどのようなことを見ているのでしょう?」

「え?」

 女性は驚いたようにシェフを見る。

「あ、すみません。ご不都合がございましたら答えていただかなくても結構です。」

「いや、別に良いケド。今はダイエットの記事を見てるの。」

「ダイエット……でございますか?失礼ですが、お客様の体型をお見受けする限り、必要ないと思いますが。」

「そんなわけないじゃん。私がそうやって甘えたら、他の子達に追い抜かれる。だから気は抜けないの。」

「そ、そうでしたか。失礼いたしました。」

「あなたはここ長いの?」

「そうですね、軽く十年は越えているでしょう。」

「へぇ?すごい。今は何してるの?」

 女性は少し興味が出たのか、厨房に顔を向けて頬杖をつきながら尋ねた。

「はい、今作った生地をオーブンで焼くところです。」

「へえーなに作ってるの?」

「それは出来てからのお楽しみです。」





「それでなきちゃんがさぁ───」

 女性とシェフが話していると、オーブンから焼き上がりのベルが鳴った。

「少々お待ちください。」

「はぁい。」

 女性は入店時とは違い、自然な笑顔を浮かべた。


「お待たせいたしました。ショコラキャロットケーキでございます。」

 包丁でカットした三切れのケーキとアッサムミルクティーを出す。

「うわあ美味しそう!」

 女性はフォークで切り取り、口に運ぶ。

「どうでしょうか?」

「とっっても!美味しいです!」

「それは良かった。まだまだありますので。」

「はい!」

 女性は嬉しそうに頷くと、ペロリと一皿を平らげる。そして、その余韻を楽しむように飲み物を飲む。

「美味しい……ご飯ってこんなに暖かかったんだ…」

 女性は染々と呟いた。

「ふふふ、まだ食べますか?」

「…………いや、ごめんなさい。私もう行きます。」

「そうですか。お客様がそう仰るのならば。」

「えっと、お値段は?」

 女性が立ち上がってバックから財布を取り出した。

「いえ、こちらにお名前を書いていただければ、ツケでも構いませんよ。」

「いえ払います。」

「………そうですか。お値段は五十円玉が六枚となります。」

「え?えっと…………あ、ありました。」

 女性が店のカウンターに五十円玉を置いた。

「はい、ちょうど。この度はご来店誠にありがとうございました。」

「はい、それでは。」

 女性は赤い扉を開けて出ていった。

「あなたの心に安寧があらんことを願っております。」

 紫色の三角巾を折り畳み、扉に向かってお辞儀をした。






ー三谷明恵ー


 私の母は女優だった。

 その溢れんばかりの美貌と艶やかに伸びる黒髪。ドラマだけでなくバラエティにも出演していた姿は幼いながらも憧れたものだ。家に帰ってくるのは月に数日しかなかったが、その日は必ず家族で出掛けた。母は仕事の疲れを感じさせないくらいのテレビの画面と変わらぬ笑顔を私にも向けてくれていた。

 そんな日常が壊れたのは私が八歳、母が三十二歳の時だった。母がドラマの撮影中に倒れたという一報が父の電話に入ったのだ。

 私は父に連れられて母が搬送された病院に行くと、人工呼吸器と点滴を付けられた母がそこにはいた。健康的だった肌は病的なまでに白く、顔は少し痩せこけていた。

 医者の話では、栄養失調とのこと。


 後日、母は過労と栄養失調でこの世を去った。世間では母を偲ぶ声や若くしてこの世を去ったスター、母の芸能事務所の管理状況を疑問視する声が錯綜した。






 私が芸能界に飛び込んだのは十四歳の時。母が生前所属していた事務所の社長にスカウトされたのだ。

 私のことは母のネームバリューを使って売り出された。当たり前だ。有名なのは母であって、最初の私にはなんの取り柄もなかったからだ。

 でも私はあの日見た母の姿と同じ場所に立ちたいと父に懇願し、父はそんな私を男手ひとつで育ててくれた。歌にダンスにバレエにピアノ。私は女優三谷雪の名前に負けないように努力した。


 そんな努力も実り、母に負けない人気を手に入れるのも束の間、私の世代は女性全体の水準が格段に高く、下手したら私は埋もれてしまうと感じるほど、たくさんの逸材が芸能界にいた。

 だから仕事の合間も自分磨きを追求した。身体の維持のために食事を減らし、遂には栄養サプリやゼリーで食事を終えるようになった。それでも家に帰ったら父の手料理を必ず食べるようにしていた。それが、父との唯一の約束だったからだ。




 それでも私が二十歳の時、父が亡くなった。死因は過労。母と同じだった。

 そんな私を世間は悲劇の女優と囃し立て、仕事は更に舞い込んだ。事務所はその度その度仕事を持ってきて、私も寂しさを紛らわすために無理を通して仕事に没頭した。


 ドラマの撮影中、頭が揺れて地面に倒れた。確証はなかったけれど、多分過労だと感じつつ、私は重い瞼を閉じた。







「……あれ?お母さん?」

「あきちゃん、良く頑張ったわね。」

 私が一番覚えている、笑顔が最高の母が私に労いの言葉と共にハグをしてくれた。

「な、んで………」

「あき。」

「お父……さん?」

「もうゆっくりしなさい。」

「あ………私……」

 目から涙が止まらない。

「もう、無理することはない。ここで家族三人、ゆっくりしよう。」

 父が私と母を抱擁する。

「あきちゃん、どんなことしたかお母さんに教えて?」

「……っうん!」


 涙を流す彼女の顔は、生きてきた中でとびきり一番の笑顔だった。

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